またまた続きを。
近代デジタルライブラリー より 「北肥戦誌・九州治乱記」 エピソードツー
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3441746
<コマ82> 大塚内蔵允
龍造寺四天王の一人らしい「成松遠江守」(成松信勝)に引き続いて戦っている「大塚内蔵允」なる人物の名がちらりと。
当然、龍造寺家臣。
<コマ85・99・100・107・124・140> 登場回数一位、ぼくかつえもん!
後半戦になって、やたら登場するのがこの人物。龍造寺家臣の「大塚勝右衛門」なる男だが、たくさん出てくる割には、何者かよくわからない。
コマ85では、「龍造寺隆信勢が、ちょっと押されて崩れかかったところ、大塚勝右衛門とその仲間たち30人くらいが頑張ったので、勢いを取り戻した」とある。
やるな、勝えもん。
コマ99では、肥後和仁城を攻めるに当たって、龍造寺は「鍋島信生」を筆頭に差し向け、大塚勝右衛門もそこに同行している。
コマ100では、隅府攻めに際し、基本同じようなメンバーで戦っている。センター「鍋島信子(笑)」、チームNに「大塚勝右衛子(笑)」もいる。
コマ107では、筑後山下城(蒲池志摩守鑑広の城・八女市)攻めに対して、なんと
一番槍
を勤めたらしい。これはっ!総選挙で一位になった「さしこ」みたいなもんなのか!
ここにいっしょに登場するのが「大塚伯耆守」という人物。何者かは、やっぱりわからない。
★犬塚伯耆守の誤記の可能性あり。犬塚家重・家直か?
コマ124では、勝右衛門は、我が一族に関わりのある大事件の現場に居合わせている。もちろん、龍造寺側の人間なので、
どちらかと言えば悪役の一味
なのだが、この話はもっとゆっくり別に機会を取るべし。
事件は「蒲池鎮漣(かまちしげなみ)殺人事件」。鎮漣は、北肥戦誌では「蒲池鎮竝」と記載されている。
<コマ114>
龍造寺氏が肥後征伐へ向かう時の話。先陣はやっぱり不動のセンター「鍋島信生」なのだが、二陣に「大塚三郎右衛門家広」なる人物が挙がっている。
これはおそらく誤記で、正しくは「犬塚三郎右衛門家広」であり、肥前中津隈城主であろう。
<コマ140> 既出ですが。
大塚勝右衛門ならびに大塚内蔵允の記載あり。
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というわけでざっと見てきたが、「大塚と犬塚の記載まちがいが怪しい箇所」があるので、別の「北肥戦誌」と比較の上再度修正するかも。
しかし、天下の犬塚氏は資料がたくさんあるのに、我らが大塚氏は資料があんまりないとはどういうこっちゃ!
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