2014年5月2日金曜日

<調査中><59> もう一人の”大塚将監”は何者なのか?! 山形県の大塚さん

 すでに連載開始から100回を軽く越えている当ブログであるが、「え?いまさら?!」という衝撃の内容でお届けする今日のお話。

 そう!実はかなり初期から気付いていたのに、読者のみなさんには「黙っていた」この一件を今更ながら取り上げてみようと思う。

 いったいどんな事実が飛び出すのか、とあの人の記者会見のようにドキドキしながら読んでいただきたい。


 実は、こんな話があるのだ。


 大塚将監は二人いる?!


 なんということでしょう!


 これまで赤松氏流大塚氏の正体のひとつ、としてずっと追いかけていた「大塚将監」であるが、実は、もう一人別の大塚将監が存在するのである!


 まずは、おさらいをしておこう。


 当ブログのメインテーマである、「赤松氏流大塚氏」として想定できそうな播州姫路地域の「大塚氏」として、後藤又兵衛の兄である後藤基こと「後藤将監」が、のちに「大塚将監」と名前を変えて姫路香呂地区に子孫を残したことは既に説明している。

 これが、播磨鑑に記載されているところの「永禄年間に生きていた赤松麾下の大塚将監」であり、もしかしたら九州大塚氏の祖かもしれないと現在調査中なわけだが、ここまでは既出。



 そして、今回登場する大塚将監は、おなじ戦国時代に生きた人物なのだが、


 活動した地域が全然違う!


ので、これまでノーマークでスルーしてきたのであった。


==========

 こちらの大塚将監(以降、紛らわしいので、大塚将監Ⅱと呼ぶ←呼ぶな)は東北地方の御仁である。

 拠点は山形県で、鎌倉時代からの大塚氏だと言われている。

 詳しいことは



 山形県教育委員会 大塚城跡発掘調査報告書
 http://wrs.search.yahoo.co.jp/FOR=qvZhArRV3iiMqcwBY30iIZaVj9jlVW4vCPzSQTM3B9GPPhaKJLCPDcLImEreQvn85TPGR.kmCaJ6xW1WIfRrDI6.4GatzoD5lKfS.g8r3FWrfkTFys2zYUZp3VSyDqEZvhAm0GucuDtvZUDyNFespPzehXpaOHoA8tZRXAygQ3a2upzv4V6CEtHjxvNeVXO8h8E2HfLkdAd1FuUrmMTT.dDx5QAkUWa9hbbMFfRc8eXVvQL4_sHA7idT9I4zerqrBZfX5ssnZ1i5QVam5lp1Ct20.oCVOOMW76dxro8Lr05YBqzDuwVmdti7w7M592TbID.duu_mGA35sNBax9ns7xOsv_4NzMOE8yce7zW6_GX7_UzoibpDRpeCMKhSjrvEm5Nkci3lBrxq_dPpJlTDlTFFwI2s3A87ajyWeV71mPe668KvCrW3FkVr0if5YiKK9sfoAbPEJeVqMx0UNAAiHbo-/_ylt=A8vY8izYzWFT4DcAV96DTwx.;_ylu=X3oDMTBuY3I0cTk1BHBvcwMxMARzZWMDc3IEc2xrA3RpdGxl/SIG=1a5inkvse/EXP=1399019416/**http%3A//rar.yamagata.nii.ac.jp/file/522/20111125095230/P-161_%25E5%25A4%25A7%25E5%25A1%259A%25E5%259F%258E%25E8%25B7%25A1%25E7%2599%25BA%25E6%258E%2598%25E8%25AA%25BF%25E6%259F%25BB%25E5%25A0%25B1%25E5%2591%258A%25E6%259B%25B8.pdf%23search=%27%25E5%25A4%25A7%25E5%25A1%259A%25E5%25B0%2586%25E7%259B%25A3%27


を参照願いたい。


 この大塚氏は鎌倉時代に「大塚因幡守親行」が置賜郡長井荘大塚城に拠点を持ち、その子孫である、「大塚将監(Ⅱ)」が、伊達晴宗に仕えたという記録が残っている。


 その後、大塚氏は、天正19年に伊達氏が岩手山に移封されたことで帰農し、大塚城は廃城になったという。


 城の雰囲気は


 お城の旅日記 さんのサイト
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/uzenootuka.htm


 にも紹介があるので、ぜひご覧いただきたい。



 その他、大塚将監Ⅱについては、


 梁川町郷土史年表 
 http://is2.sss.fukushima-u.ac.jp/fks-db/txt/10007.102.yanagawa/html/00003.html


 にも記載がある。


 
 ちなみに、大塚将監Ⅱが仕えた「伊達晴宗」は、独眼竜正宗(渡辺謙、古っ)の「おじいちゃん」である。


 さらにちなみに、伊達政宗のおじいちゃんだということは、すなわち


 サンドウィッチマンの伊達みきおさん

 とか

 麻生太郎氏

 とかの先祖だということでもある!

 
 ついでにちなみに、よもや誤解はないと思うが、杏さんがいくら渡辺謙さんの娘であっても、伊達氏とは何の関係もないことを申し添えておく。

 
 というわけで、山形県の大塚さん、家紋を教えてください!
 

2 件のコメント:

  1. 山形県米沢市、綱木集落出身者のものです。
    家系のルーツが気になり、調べていたところでした。

    苗字は遠藤。丸に二つ引き引両紋です。

    集落自体に元々あった家は取り壊されていますが、円照寺という寺跡の参道沿いに住居跡の土地があります。

    平家の残党が隠れ住んだとされている綱木集落ですが、その後天文ニニ(1553)年に伊達晴宗から大塚将藍が綱木の遠藤又七知行地を与えられたそうです。

    詳しくはわかりませんが、
    この与えられたものと私は関係しているのでしょうかね…

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  2. 不躾ながら、突然失礼します。
    五十沢村史(現福島県伊達市梁川町五十沢)に載っていた実家のご先祖が遠藤又七と言います。浪々の末、株木部落の下屋敷に住みついた身長矮小世人呼んで三尺又七という豪胆な人間だったらしいです。

    その時代の人間かもわかりませんし、同姓同名かもしれませんが、時々思い出しては調べてみたりしています。

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