2014年3月7日金曜日

<44>西郷隆盛と久留米藩士大塚処平<追記あり>

 久留米藩の略系譜を入手して、じっくり調べている途中だが、そういえば竹の間組の大塚平十郎やら、中小姓格の大塚九兵衛やらは系譜にあったものの、徒士格の大塚処平などについては、系図が見つからなかった。

 そんな大塚処平の名前が、あろうことかtwitterで流れてきたからビックリ仰天である。

 いくら情報化社会とはいえ、当ブログ「俺ん家コード」の愛読者以外まったくどうでもいい、あるいは知りもしない「大塚処平」さんの名前が、ツイートされちゃうんだからすごい時代である!


 そんな凄いツイートをなさっていた方は幕末の研究をなさっている「町田明広さん」という方。

 特に明治維新前後について、詳しく調べておられる大学の先生である。


 ツイートの内容はこれ


 町田明広さんのtwitterより
 https://twitter.com/machi82175302/status/437917392400691200

 以下引用

 「慶應1年2月24日、「鹿児島藩士西郷吉之助・同三原次郎左衛門・同関山新兵衛・熊本藩士和田権五郎・同古閑富次・久留米藩士伴勝三郎・同大塚処平・福岡藩士月形洗蔵「詳」・同筑紫衛「義門」・同万代安之丞・同三坂小兵衛・佐賀藩士中野数馬等、太宰府に会商(す)」


 出典が書かれていなかったのだが、何かの記録(日記)からの引用だと思われる。町田さんはこのほかにも、幕末関連のツイートを多数なさっているので、いろいろ興味深いことが流れてくる。


 さて、大塚処平の動向である。まず、ここに登場する人物を調べてみよう。


鹿児島藩士

「西郷吉之助」 ・・・誰あろう西郷隆盛その人である。通名「吉之助」。


「三原次郎左衛門」 ・・・詳細不明だが、代々の三原次郎左衛門は島津家の家老の(分家)家柄。

「関山新兵衛」 ・・・詳細不明。


熊本藩士

「和田権五郎」 ・・・新・肥後細川藩侍帳さんに名前あり。大村益次郎の彰義隊討伐軍に名前。

「古関富次」 ・・・詳細不明。


久留米藩士

「伴勝三郎」 ・・・藩の参政役だったらしいとの記述あり。

「大塚処平」 ・・・久留米藩分限帳に名前あり。うちの先祖の関係者かもしれないし、違うかも。


福岡藩士

「月形洗蔵」 ・・・月形半平太のモデル。薩長同盟の立役者。ウィキペディア参照。

「筑紫衛義門」 ・・・福岡県護国神社、明治維新志士之墓に祀られている。

「万代安之丞」 ・・・詳細不明。

「三坂小兵衛」 ・・・「三坂小兵衛私情事件」という事件があったらしい。何をしたんだ?!


佐賀藩士

「中野数馬」 ・・・尊皇攘夷派の重臣。


これらが大宰府で集まって相談をした、というのである。


 いやあ、なかなかに濃いメンバーに思える。西郷どんやら「月さま、雨が・・・」やら、ビッグネームもちらほらいるし、当時各藩でそれなりの地位にあった人物の名前もある。

 大塚敬介のこともそうだが、幕末の志士たちのネットワークのすごさにも驚かされるし、まあ、藩を横に飛び越えてしっちゃかめっちゃかいろんなことがあったのだろう、と興味は尽きない。


 しかし、個人的には大塚処平はたぶん、うちの直接の先祖ではナイと考えている。なぜなら、幕末から明治新政府の時代にかけて、わが先祖の大塚氏はすでに久留米城下ではなく三潴地域に暮らしているからである。

 それでも、家系は繋がっているかもしれないが、遠いおじいちゃんではなさそうな大塚処平の活躍が、こんなところで見られたのは嬉しい楽しい大好き♪


 というわけで、久留米市内在住の大塚さん!あなたのご先祖は西郷隆盛と一緒にツーショットだったんですよ!

といったお話で今日のところはご勘弁を。


 引き続き、久留米・三潴の大塚さんを始め、全国の大塚さんからの熱いメールを待ってます。


==========

2014.5.8 追記

「大塚処平」氏について、詳しく説明がされている文献があったので紹介しておく。

 『久留米人物誌』 篠原正一 久留米人物誌刊行委員会 菊竹金文堂S56

によると、大塚処平は

■文政10年生まれ、父は大塚九兵衛、

■嘉永3年 御徒士取り立て

■万延元年 江戸勤務

■慶応2年 中小姓取り立て

■明治6年 北荘島小学校 初代校長

という人物だったとのこと。



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