このブログの愛読者さんの大半が、子供の時の自己紹介で「大塚です」と名乗ると、「製薬?!」なんてツッコミが入ったり、あるいはそのまま大塚製薬さんがらみの「あだ名」をつけられた経験があるのではないでしょうか(笑)
大塚グループさんのホーロー看板は、それこそ日本の高度経済成長の生き証人として、今でも日本中のどこかに佇んでいます。
さて、そんな「大塚製薬」さんの創業者は、徳島県ご出身。今回は、徳島に着目します。
というのも、実は徳島県出身の大塚さんで「抱き茗荷」紋の大塚さんの情報を頂いたので、これはぜひ調べてみよう、と思い立ったわけです。
正直なところ、抱き茗荷紋かつ大塚氏で現在確認がとれているのは、
『寛政譜収録の幕臣大塚氏』
『三潴地方の我が大塚氏』
『今回情報を頂いた徳島系大塚氏』
の3氏だけですので、これらが相互に関係あるのやら、ないのやら興味津々な毎日です。
というわけでここでいつものCM
「家紋『抱き茗荷』な大塚さん!ご連絡待ってます!」
ちなみに、私は徳島県にご縁があって、徳島県立男女共同参画センターの名前(愛称)をつけたのは
私
です。えへへ。
ちなみに、もう宇宙の塵となって消えてしまいましたが、JAXAの月探査人工衛星「かぐや」の名前をつけたのも
私
です。うへへ。
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さて、徳島の大塚さんについてですが、もともと地域に根ざした地場の「大塚さん」がおられるのではないか、と考えられる指摘が見つかりました。
阿波学会研究紀要 さんのサイトから (郷土研究発表会紀要第36号)
http://www.library.tokushima-ec.ed.jp/digital/webkiyou/36/3617.html
阿波学会研究紀要 さんのサイトから (郷土研究発表会紀要第36号)
http://www.library.tokushima-ec.ed.jp/digital/webkiyou/36/3617.html
こちらの論文では、柳田国男が着目した徳島県板野郡土成町の「十三塚」の周辺をめぐって、この地に
「大塚姓」
の方がたくさんおられることと、恐らく当地の古墳に由来して「大塚姓」が発生した可能性が示されています。
ただ、当論文は史跡としての十三塚の研究がテーマであるため、姓と塚との関係については、それ以上の言及を避けています。
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近世における徳島と「大塚氏」の関係については、以前にも「北海道の大塚さん編」でご紹介した
快左衛門 さんのサイト(稲田騒動に関するページ)
http://kaizaemon.com/inada/inada.html
にいろいろ面白いことが紹介されています。
① 「阿波藩稲田家御家中と類親の系譜」(国見慶英編) より引用の藩士名簿に大塚氏の名前(けっこう多い)があります。
大塚氏の箇所
http://kaizaemon.com/inada/am/05.jpg
② 洲本(淡路島)の稲田家家臣にも、大塚氏の名前があります。順不同だそうです。
http://kaizaemon.com/inada/sm/sm.html
★徳島藩は、淡路島も治めていたので、淡路とも関連があります。
★「稲田家御家中筋目書」(猪井達雄編)という藩士の取り立て経緯などのわかる文書があるそうです。これを入手すれば、稲田家臣の大塚氏の系譜がわかるかもしれません。
さて、少し話は戻りますが、徳島藩という藩は、事前に知っておかなくてはいけない知識が必要な藩で、多少ややこしいですがお付き合いください。
まず、徳島藩を治めていたのは蜂須賀氏で、徳島藩は「徳島(阿波国)と淡路島(淡路国)」を領地としていました。
しかし、淡路の支配権を持っていたのは蜂須賀家家老の「稲田氏」であり、稲田氏は淡路島洲本を拠点として幕末まで続いています。
そして、面白いことに、稲田氏は、蜂須賀氏に遠慮して「家臣」を名乗ってはいるものの、実はかなり対等に近いような力関係を有していたと考えられているのです。
ウィキペディアより 稲田植元
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E7%94%B0%E6%A4%8D%E5%85%83
洲本市のサイトより 「稲田騒動」
http://www.city.sumoto.hyogo.jp/hp/shisei/simaitosi/kougo.html
従って、徳島・淡路に跨るこの地については「徳島藩」と簡単にまとめることもできますが、その実「蜂須賀家臣」と「稲田家臣」の2系統がある、と言えるわけです。
そのため快左衛門さんのサイトにあるように「稲田家の家臣」だけに着目することができるのです。
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さて、誰もが気になる大塚製薬さんのルーツについてですが、創業者の方のコメントがありましたので紹介しておきます。
大塚製薬そのものを創業なさったのは、大塚武三郎さんという方ですが、
ウィキペディアより 大塚武三郎
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%A1%9A%E6%AD%A6%E4%B8%89%E9%83%8E
彼の息子さんが先祖についてのコメントを残しておられます。
大塚国際美術館 さんのサイトより
http://www.o-museum.or.jp/character/story.html
これによると、息子さんの正士さんからみて「祖先は曽祖父辺りまでは知っているけれど、その上はわからない」とのこと。
ご本人がそうおっしゃっておられるので、大塚製薬の詳細なルーツは探れないようです。
(この章つづく)
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