2014年2月9日日曜日

<おまけ>赤麗なる一族 それでもやっぱり赤松の子孫

 ソフトバンクのお父さん犬の声が「北大路欣也」さんであることは有名だが、「華麗なる一族」といえば、やっぱりキムタク万俵鉄平より、万俵大介、つまり父親のほうが存在感がある気がする。

 そのキムタクが猟銃で自殺するシーン。丹波篠山で死ぬことになっていて、ドラマではあまりに雪深い一面の銀世界が映し出されたので

「なんぼなんでも、篠山はこんなんちゃうわ!これは北海道やろ!」

と北海道出身の嫁と散々文句を言っていたら、やっぱり北海道ロケだった。



 ところがどっこい、2014年2月8日の大雪では、丹波篠山はこんな感じ。



 ・・・十分、雪深いやないかーい!


 まさに、キムタク日和である。


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 さて、無理やりなマクラはほっといて。

 赤松家は、播磨においてまさに「華麗なる一族」であることは間違いない。

 本流こそ没落したものの、誰もが憧れる今をときめく赤松氏であったから、当時の付近の武家たちはこぞって赤松氏に連なる系図を求めた。

 わが大塚一族も、そのあたりはちょっとだけミーハーなところがあったらしく、ちゃっかりと幕府には「村上源氏赤松氏流」だなんて報告してしまうところが、愛らしい。


 本当は、藤原氏流後藤氏の流れかもしれないのに。


 でもまあ、ちょっとだけ正直なところは、家紋を「左三つ巴」にしなかったあたりは、こだわりが残っていると言ってよい。

「実は違うもんね」

と子孫にかすかなメッセージを残してくれているようでもある。


 しかしである。私自身のことを言えば、大塚氏と赤松氏が数百年前どこで姻戚関係を結ぼうが、600年、700年も前の血筋より、もっと濃い血筋で

麗なる一族、赤松氏の末裔」なのである。


 うちのいとこ、赤松某さんは、遠いところでとても偉い人になっているらしい。それに引き換え、私は小さな存在として日々研鑽に励んでいるのだが、それはまあ、置いといて。

 
 以前の記事にも書いたが、うちの母の母の母は、赤松氏の娘である。


 いろんな流れで、その赤松さんの居城(いや、居宅)を、私が買うかもしれない、なんて話もあったのだが、残念ながらそれはなくなった。

 うーん、ある意味先祖代々の赤松氏の居城(いや、居宅)を買うのも面白かったかもしれない。



 母方の親戚というのも、これまた面白くて、いろんなエピソードがあるのだが、一番興味深いのは、

 うちのおかんと「愛と死をみつめて」の大島みち子さんは、ごく近い親戚


なのだそうだ。(そう、年配の方は知っているあの「ミコ」ですよ)


 1964年版テレビドラマでは、大空真弓さん

 2006年版では、広末涼子さん

が演じた、あの大島みち子さんである。



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 話は戻って、実は、つい数十年前の「赤松」の子孫である私なのだが、苗字は当然「大塚」なので、これまで大塚氏について語ってきた。

 逆に、母方の話をすれば、その「赤松」がどこの赤松かは、ズバッとわかっている。


 播磨屋 さんのサイト
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/ak_arita.html

に詳しい「在田赤松氏」は、赤松本流に近く、現在の多可郡「野間山城」に拠点を持ち「在田氏」を名乗った。

 我が先祖の「赤松氏」は、在田姓ではないものの、赤松姓のまま現代まで続く、この「在田殿」の支流である。

 野間山城の様子は



 城めぐ.com さんのサイト
 http://www.siromegu.com/castle/hyogo/noma/noma.htm


 あるいは


 城郭ドットコム さんのサイト
 http://www.joukaku.com/nomayama.html


 に詳しいのでご参照いただきたい。


 ちなみに、うちの母親の旧姓は、赤松とは何の関係もないが、この赤松家と母親の一族とはずっと親類なので、うちのおかんの親類が、今度は赤松家に嫁に行ったりもしている。


 なので、私のいとこも赤松さんなのである。



 しかしまあ、戦国時代に「うちのおとんの先祖」と「おかんの先祖」が播磨をめぐって


 壮絶な夫婦喧嘩


を繰り広げていたかもしれないし、


 仲むつまじい姻戚関係


を結んでいたかもしれないし、楽しい想像はふくらむばかりである。


 ただ、ひとつ言えるのは、「おとんよりおかんの方がいつも強かった」のは、



赤松家が主君筋だった、大塚氏の運命



ゆえかもしれない。輪廻だ輪廻。因果だ因果!



 以上、こぼれ話でした。







 
 
 





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