ソフトバンクのお父さん犬の声が「北大路欣也」さんであることは有名だが、「華麗なる一族」といえば、やっぱりキムタク万俵鉄平より、万俵大介、つまり父親のほうが存在感がある気がする。
そのキムタクが猟銃で自殺するシーン。丹波篠山で死ぬことになっていて、ドラマではあまりに雪深い一面の銀世界が映し出されたので
「なんぼなんでも、篠山はこんなんちゃうわ!これは北海道やろ!」
と北海道出身の嫁と散々文句を言っていたら、やっぱり北海道ロケだった。
ところがどっこい、2014年2月8日の大雪では、丹波篠山はこんな感じ。
・・・十分、雪深いやないかーい!
まさに、キムタク日和である。
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さて、無理やりなマクラはほっといて。
赤松家は、播磨においてまさに「華麗なる一族」であることは間違いない。
本流こそ没落したものの、誰もが憧れる今をときめく赤松氏であったから、当時の付近の武家たちはこぞって赤松氏に連なる系図を求めた。
わが大塚一族も、そのあたりはちょっとだけミーハーなところがあったらしく、ちゃっかりと幕府には「村上源氏赤松氏流」だなんて報告してしまうところが、愛らしい。
本当は、藤原氏流後藤氏の流れかもしれないのに。
でもまあ、ちょっとだけ正直なところは、家紋を「左三つ巴」にしなかったあたりは、こだわりが残っていると言ってよい。
「実は違うもんね」
と子孫にかすかなメッセージを残してくれているようでもある。
しかしである。私自身のことを言えば、大塚氏と赤松氏が数百年前どこで姻戚関係を結ぼうが、600年、700年も前の血筋より、もっと濃い血筋で
「赤麗なる一族、赤松氏の末裔」なのである。
うちのいとこ、赤松某さんは、遠いところでとても偉い人になっているらしい。それに引き換え、私は小さな存在として日々研鑽に励んでいるのだが、それはまあ、置いといて。
以前の記事にも書いたが、うちの母の母の母は、赤松氏の娘である。
いろんな流れで、その赤松さんの居城(いや、居宅)を、私が買うかもしれない、なんて話もあったのだが、残念ながらそれはなくなった。
うーん、ある意味先祖代々の赤松氏の居城(いや、居宅)を買うのも面白かったかもしれない。
母方の親戚というのも、これまた面白くて、いろんなエピソードがあるのだが、一番興味深いのは、
うちのおかんと「愛と死をみつめて」の大島みち子さんは、ごく近い親戚
なのだそうだ。(そう、年配の方は知っているあの「ミコ」ですよ)
1964年版テレビドラマでは、大空真弓さん
2006年版では、広末涼子さん
が演じた、あの大島みち子さんである。
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話は戻って、実は、つい数十年前の「赤松」の子孫である私なのだが、苗字は当然「大塚」なので、これまで大塚氏について語ってきた。
逆に、母方の話をすれば、その「赤松」がどこの赤松かは、ズバッとわかっている。
播磨屋 さんのサイト
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/ak_arita.html
に詳しい「在田赤松氏」は、赤松本流に近く、現在の多可郡「野間山城」に拠点を持ち「在田氏」を名乗った。
我が先祖の「赤松氏」は、在田姓ではないものの、赤松姓のまま現代まで続く、この「在田殿」の支流である。
野間山城の様子は
城めぐ.com さんのサイト
http://www.siromegu.com/castle/hyogo/noma/noma.htm
あるいは
城郭ドットコム さんのサイト
http://www.joukaku.com/nomayama.html
に詳しいのでご参照いただきたい。
ちなみに、うちの母親の旧姓は、赤松とは何の関係もないが、この赤松家と母親の一族とはずっと親類なので、うちのおかんの親類が、今度は赤松家に嫁に行ったりもしている。
なので、私のいとこも赤松さんなのである。
しかしまあ、戦国時代に「うちのおとんの先祖」と「おかんの先祖」が播磨をめぐって
壮絶な夫婦喧嘩
を繰り広げていたかもしれないし、
仲むつまじい姻戚関係
を結んでいたかもしれないし、楽しい想像はふくらむばかりである。
ただ、ひとつ言えるのは、「おとんよりおかんの方がいつも強かった」のは、
赤松家が主君筋だった、大塚氏の運命
ゆえかもしれない。輪廻だ輪廻。因果だ因果!
以上、こぼれ話でした。
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