2014年2月4日火曜日

<34>原点に立ち戻ってみた

 前回の結果を受けて、袋小路にはまったような感じになっている私ではあるが、ここは原点に立ち戻ってみようと思う。

 というわけで、今回は全国の「大塚さん」にはあまり関係のないローカルなお話をしておこう。


① 我が実家の墓碑写真が出てきた。

 父の長兄が亡くなったおりに、実家の墓碑の調査をしたことは以前に当ブログに書いたが、そのときの写真を膨大なファイルの中から探してきたので掲載しておく。

 


  墓そのものは、大きな塔のような感じで墓所の中心に立っていて、この周囲に、小さいお墓や碑が点在している。

 逆光で見えにくいが、「大塚家之碑」と書いてある。

 
 家紋は、かなり雨風に晒されて痛んでいるが、「抱き茗荷紋」であることがわかる。

 浮き彫りになっているので、この紋が「丸に抱き茗荷」なのか、丸部分が浮き上がっているので「抱き茗荷」を意図しているのかはちょっとわかりにくいが、よく見ると、筋彫りは茗荷の部分にしかないし、丸部分の幅が均等ではないので、「丸に」を意図していない可能性もある。

 口伝では、我が家の家紋は単に「抱き茗荷」とだけ聞いている。



② 祖父の状況が、概ねわかってきた。

  兄弟姉妹から、祖父について聞かされてきたことが概ねまとまってきたのだが、個人情報もあるのであまり書けないが、軍人ではないのに、軍刀や空気銃を所持していたらしいことや、バイオリンなどを弾いていたことなど、戦中戦後にかけて基本的に「ええとこの子(良家の子弟)」っぽい雰囲気を醸し出していることがわかった。

 久留米藩士の家柄という話は、おそらく誤りではないと思われる。



③ 「久留米藩御家中略系譜」「正徳諸士系譜」なるものがあるらしい。

 これも遠方のため確認できていないが、九州大学や久留米の図書館に篠山神社文庫に寄贈された有馬家文書の類があり、その中に、家臣の系譜を略歴したものがある。(マイクロ含む)

 この文書を閲覧できれば、大塚氏の久留米藩における系譜がわかる可能性もある。



 とはいえ、当家のルーツ探しは、一時停滞気味・・・。
 


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