しばらく、ブログの更新をしていなかったのは、実は資料の到着を待っていたのである。
その間、別の大塚氏について調査を進めてもよかったのだが、大雪がまた降ったので、右往左往していた。
関東のほうでは、えらいことになっているらしいが、北海道暮らしの長かった私は、いちおう雪には慣れているので、なんとか「ノーマルタイヤ(ただし四駆)」で乗り切った!
さて、その待っていた資料と言うのは、久留米藩に伝わる「略系譜」である。
本日、それを読むことがついに叶ったので、さらなる迷宮!いや、冥府魔道の入り口へ、みなさまを案内する次第である。大五郎ーっ!
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久留米藩の文書は、篠山神社蔵を経て、現在久留米市立図書館に収蔵されており、九州大学にもマイクロフィルムがあるらしい。
今回、私が拝謁至極に存じたのは、久留米市立図書館版の以下の資料である。
①(久留米藩)御家中略系譜
②(久留米藩)中小姓御徒士中略系譜
③(久留米藩)正徳略系譜
の3つで、うち、①と②はかなり濃い内容なので、実に面白い。
結論から言おう!
久留米城下図や分限帳に載っている竹ノ間組の大塚氏と、中小姓格の大塚氏のおおむねの系譜はわかった。
その他、もう一家の大塚氏のこともざっくりとわかった。
しかし、その調査結果が、わが一族との関連性において、さらに混迷を極めてしまったのである。
もう一度結論を言おう!
まったくわけがわからなくなってしまった!というのが近い。たぶん。
誰か!助けて~。
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それでは、上記3点の資料から判明したことを、かいつまんでお送りしようと思う。当然、大塚さんのプライバシーのこともあるので、特に明治近くのことは伏せておくがご了承願いたい。
【大塚氏】 竹の間組に属した、馬廻り格の300石大塚氏 (御家中略系譜より)
家紋 「丸のうち大古文字」
■ 伸右衛門 生まれは越後日田、御代官岡田九郎左衛門に仕える。
- 平十郎 (宝暦5年竹ノ間組) ※分限帳に名前がある
(以下略)
【大塚氏】 中小姓組の大塚氏 (中小姓御徒士中略系譜より)
家紋 「碁石」 「丸のうち三割松」
■ 財津九兵衛 - 林賀 (有馬頼元の時代に、坊主)
- (中略) - 九兵衛 ※分限帳に名前がある。
【大塚氏】 その他、禄高など不明 (正徳略系譜より)
家紋 不明
■ 三郎兵衛 拾五人扶持 - 丹治 - 狩之助 - 友弥 - 長蔵
(年代不明)
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残念なことに、以上の資料とわが家系をつなぐ「名前」を見つけることはできなかった。そして、これまた迷宮入りなことに、歴史上明らかな人物
大塚敬介(助)
大塚太蔵
についても、関連のありそうな記載を見つけることができなかった。
その他、分限帳に名前がある、大塚忠兵衛、大塚処平、大塚陽次郎、大塚福蔵などについても、上記資料には名前がなかった。
それより何より、一番たまげたのは
「家紋 碁石」ってなんだ!?
ちょっとばかし家紋には詳しいつもりでいたが、「碁石」という家紋を知らないし、ネットで調べても平安紋鑑でしらべても載っていない。
あるいは他の家紋の別名なのかもしれないが、全くもってわからない。
家紋 碁石について知っている人!ぜひメールをお願いする!
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