姫路香呂地区の大塚氏について詳しい方から、播磨後藤氏について詳しいことをいろいろ教えていただいたので、その概略をまとめておく。
より具体的には、黒田藩や有馬藩との関わりなどを丁寧に調査してゆく必要があるのだが、姫路の大塚氏についておおまかに掴むには、とても素晴らしい情報だったので、紹介したい。
① 打越の大塚氏について
郷土史「うちこし」によれば、出雲国能義郡大塚村(現安来市大塚町)から戦国大名尼子氏に仕え、のちに赤松氏に仕えて播磨・美作・備前にとどまった、とのこと。
↑貴重な情報なので、これも追跡してみたい!
② 香呂の大塚氏について
「播州後藤氏の栄光」(松本多喜雄)によれば、上野構後に建てられた泰法寺は、現在浄土真宗、もとは天台宗であったらしい。
後藤将監は、いちど又兵衛たちと筑前入りをしているが、のちに戻ってきて上野蟄居後大塚を名乗ったらしい。
ただ、大塚将監は又兵衛が亡くなったあと、九州大分へ移って死んだとの伝承もあるとのこと。大分に子孫がいるらしい。
↑筑前(黒田藩)との関わりは興味深い。でも久留米藩とは・・・?
他にも、細かいことを色々と教えてくださり、実によく調査なさっておれらるので感服する次第である。こうやって、それぞれがいろんな観点やポイントで調べたことを寄せ集めていくと、どんどん面白くなるのでやめられません(^^
歴史調査も、インターネットの発達で「個々の研究」から「ソーシャルネット研究」へと発展すると面白いですね。
ここから先は、全国の大塚さんの情報が頼りです。いただいた情報は、整理しながら共有できるようにまとめてゆきますので、ぜひメールをくださいませ!
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