2014年2月3日月曜日
<33>事件は現場で起きているんだ!~姫路大塚氏の真実解明!~
今回は、かなり衝撃的な事実を発見してしまい。実は意気消沈している私である。
というのも、日曜日の休みを利用して、なんと姫路縦断ツアーを決行。とにかく、現地にいかないと始まらない!ということで、行ってきたのだ。
ノイシュバンシュタイン城!!・・・・・・なんでやねーん!
姫路近辺の人にはおなじみ、播磨のノイシュバンシュタイン城こと「白鳥城in太陽公園」
実は、この城、大塚重太夫の構居裏の山に建っている!じゃじゃーん。
というわけで、まず訪れたのは姫路市打越地区。家族サービスの一環として、白鳥城で遊んだあと、姫路市立峰相小学校近くの「岩崎構」の調査をしてきた。
事前の調査で、なんと岩崎構周辺に「大塚さん」が何軒も住んでおられることがわかっていたので、周辺を歩いていろいろと訪ねまわったわけだ。
その結果、以前話に出ていた「大塚三郎右衛門」の顕彰碑を見つけたり、
(たぶん、近くに寄らないと写真では読めない・・・)
地元の大塚さんの墓所を発見したりしたのだが、結果として衝撃の事実を知ってしまったのである。
それはなんと!打越地区の大塚重太夫の子孫と思われる大塚さんの家紋が、
片喰(かたばみ)
だったのである!!!ガガーン!(正式には、「丸に片喰」である。地域の氏族の方の墓所なので、目視確認のみ)
残る、一氏。後藤将監あらため大塚将監の住んだ「上野構」の地域には、残念ながら現在大塚さんがほとんど住んでいないため、そこからすぐ近い「香寺・香呂」地区へもそのまま走ってみた。
車で香寺付近へ近づくと、商店や会社の看板に、「大塚」の文字がとたんに増える。この地域にも一定の大塚氏が根付いているのが体感できるというものだ。
ところが、この地区の大塚氏の家紋は
蔦(つた)
で、これまた違ーう!!!!(これまた、正式には「丸に蔦」で、こちらも目視確認のみ。)
後藤家出自なら、藤紋でもよさそうなものだが、もちろん香寺の大塚氏が、後藤家あらため、ではない可能性もあるので、
謎がさらに謎を呼ぶ事態
になってしまった。
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愕然とした結果に、私は叫んだ。
「所轄は下がって!捜査を立て直すわよ!(by真矢みき)」
・・・・・・あらためて、整理しよう。
岩崎構・大塚重太夫の子孫は、「方喰」紋。
上野構・大塚将監の子孫と思われる近隣の大塚氏の家紋は「蔦」紋であった。
当然、600年~700年近く前のことを調査しているので、諸事情で家紋が変わっている可能性もないとは言えない。
しかし、なんとなくすっきりしない。もしかしたら両大塚氏とわが家が関係するかもしれないが、しないかもしれない、という、つまり
さっぱりわからない
事態に戻ってしまった、というわけなのだ。
あまりにすっきりしないので、帰宅そうそう私はぐっすり・すやすやと寝込んでしまった。そして、今日も元気に会社に出勤したので、
この事態を飲み込めないまま、とりあえずは調査停滞!
という状況で、本日はここまで!
姫路の大塚さん!他の家紋の大塚さんがいたら、教えてください!(切実)
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私は大塚家に嫁いだものです。両親とも、亡くなってしまい、家紋がはっきりしません。主人の父の出身地は姫路です。姫路市溝口に本家があると聞いていますが、50年前のことで、わかりかねます。丸に雁金か、丸に結び雁金かわかりませんが、お墓には丸に雁金が彫ってあるので、こちらではないかと思っています。
返信削除情報ありがとうございます。
返信削除その後溝口近辺も調査に行きました。
基本的に姫路のそのあたりの大塚氏は黒田官兵衛(福岡藩祖)の部下だった後藤又兵衛のお兄さんの親族なのですが、家紋は結構分かれているようですね!