今日は衆議院選挙のため、われらがNHK大河ドラマ「軍師官兵衛ちゃん」はお預け状態になっています。
というわけで、一週間もフラストレーションが溜まっているみなさんのために、なんとリアル官兵衛ちゃんツアーを決行!して参りました。
基本的に貝原益軒説をとらない当ブログのひねくれたスタンスでお送りしますので、もちろん行くところは
播磨黒田氏ゆかりの場所
でございます(笑)
それでは、最終回直前ミニツアーのはじまりはじまり。
==========
黒田氏播磨出自説によれば、黒田一族は現在の西脇市黒田庄町の出身だとされています。この町に「黒田城」という小さな城があり、赤松一族の諸流としてこの北播磨の地を守っていたとか。
黒田庄町には現在「本黒田」と呼ばれる地域があり、その一角の山城が「黒田城跡」だとされています。
現在ちいさな稲荷神社が祀られているこの山の上が、黒田城あと。付近には、
今回の大河ドラマにあわせて地元の人が気合を入れて作った
「黒田官兵衛生誕の里」
の碑が!
ついでに、山の麓は家臣たちの邸宅や館が集合されていたとされ、ちょうど山の真下あたりに
「官兵衛が生まれた屋敷」
の伝承が残っている地名の場所があったりします。
「姥が懐」なる地名が残されており、そこが官兵衛の生まれた屋敷があったとされる場所!ここにも気合の入った碑が立っております。
==========
さて、ここからはミステリー不思議発見!ひとし君人形が飛び出しそうなエピソードですが、この黒田一族がいたかもしれない地域に、なんと
キリシタンの遺物
が残っているのです。
官兵衛の真実に近づくには、けして避けて通れないキリシタンの道。
そう!この地に「キリシタン大名の影響があった」と推測できる遺物が、「背中に十字架を背負った地蔵像(江戸期)」なのです。
この背面に十字架がある地蔵は、長い間当地でも発見されていなかったそうです。
==========
さて、播磨黒田氏最大とも言える遺跡が、これ!
さきほどの本黒田から少し南に下った地区にある、「兵主神社」はなんと県の文化財になっています。
何がいったい文化財なのかと言えば、聞いて驚け見て笑え、
この茅葺の拝殿が、
なんと天正19年棟上
だという棟札が屋根裏についているのです!!!
つまり、戦国時代からの現存築建物だというわけ!
地域の伝承では、「三木攻めに当たって、秀吉が黒田官兵衛に代参させて勝利を祈ったのがこの神社である」ということですが、天正19年といえば、既に官兵衛はジョスイとして隠居していますので、ちょっと時代が違いますね。
しかし、「勝利を祈った」ということと、「実際に拝殿を寄進した」ということを切り離して考えれば、このエリアが、秀吉や官兵衛ゆかりの場所であることは全然不思議なことではありません。
むしろ、黒田氏が当地出身だからこそ、この場所での祈願や、拝殿の寄進が可能になるわけだと考えれば、
「近江の薬売りの子孫がなんでこんなとこで?」
という説より、よっぽど信憑性があると想うのですが、どうでしょう?!
=========
さて、実は今日はこの場所からそれほど離れていないとある場所で、うちの母方の先祖の研究を進めてきました。
そこではおなじ天正時代にかかわる
「大きな謎」
に遭遇してしまったのですが、それはまた別のお話。
では、来週の黒田官兵衛ちゃん最終回スペシャルでお会いしましょう!
0 件のコメント:
コメントを投稿