九州地方に「大塚姓」がたくさん存在することはよく知られていますが、そのルーツはおなじ九州でも地域によってかなり系統が異なるように思います。
 当ブログでもこれまで九州地方の「大塚姓」についてかなり詳細な調査をしてきましたが、調べれば調べるほどその内容の多様さに驚かされます。
 特に私の出自である「福岡県」に存在する大塚氏については、「筑前」「筑後」「豊前」という旧国名での分布を検討する必要があります。それに、隣接する「肥前」や「豊後」についての流入がないかを調べることで、ずいぶんと明らかになってきたことが増えてきました。
 さて、今回は、おなじ福岡県でも深く切り込めていなかった「豊前」地域を概観したいと思います。
 現在放映中の大河ドラマ軍師官兵衛でもおなじみの通り、のちに福岡藩となる黒田氏は、はじめ豊前中津より九州時代をスタートさせます。
 そのため、福岡藩に属する大塚氏のルーツについて
①播磨由来の者
②もともと豊前にいた者
③どこかから豊前に来た者
など、多用な出自を想定しなくてはならない状況でした。
 たしかに、南北朝時代から戦国時代にかけて、もともと筑前「太宰府」を中心に活動した少弐子孫の大塚氏が存在していることから、彼らが北部九州一帯に分布していることは想定可能です。
 しかし、個人的には「なーんかひっかかる」という思いが強くあります。
 これまた、当ブログの読者であればご存知の通り、少弐氏は当初こそ筑前太宰府近くにいますが、どんどんと肥前佐賀方面へと拠点を移します。
 地図で言えば、左へ左へ本隊が移動している中、豊前と言う右側に「大塚氏」が残るというのが「ひっかかる」理由です。
 
 久留米藩の系譜から推測すると、「豊後日田」地方には財津氏・日田氏系統の大塚氏が存在していることがわかっており、そのことから類推しても
 豊前に別の系統の大塚氏がいたのではないか?
と見ることは不自然ではありません。
 というわけで、今日はこの仮説を元にしながらデータを読み解いてゆきましょう。
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■ 伊予宇都宮氏と大塚氏
 ご先祖探しデータベース さんのサイト
http://blog.livedoor.jp/popothan-3915/archives/1009166892.html
 に面白いことが載っていました。
 現在愛媛県の伊予国を治めた宇都宮氏は豊前宇都宮氏が伊予守護を任ぜられたことにはじまるという話です。
 そして、筑前国大木にいた宇都宮氏も、養子にいくことでこの流れを継承します。
 同サイトには家臣団の名前として
 大塚嵐之助
 大塚助兵衛
 大塚新兵衛
の名前が挙がっていますが、彼らがいつの年代の人物かは明示されていません。
 この大塚氏が豊前系なのか、筑前系なのか、まだこの段階ではよくわからないので一旦保留にしておきましょう。
■ 豊前小倉藩と大塚氏
 豊前小倉藩十五万石 さんのサイト
 http://kokurahan.seesaa.net/
にも興味深いデータがあります。
 明治4年の知行帳・切米帳からの名簿がアップされていますが、
大塚鶴之助(後に英治)   250石 中士
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大束庫太郎         17石銀2枚5人
              干城隊正衛半隊司令士
大束可右衛門(後に可平)  13石3人 准中士 下等
大束今右衛門(後に今衛)   6石金2歩3人 差紙方
の名前がありました。石高でもらっている大塚氏は「大塚」、切米でもらっているほうは「大束」を名乗っているようですので、本家筋・分家筋・家格ランクで苗字を変えている可能性が想像できます。
 ただ、この名簿は近代のものになるため、その出自についてはまったくもって不明と言わざる得ません。
■ 豊前大塚氏の古い記録
 これは以前当ブログで取り上げたものです。
http://samurai-otsuka.blogspot.jp/2014/07/blog-post_2.html
 豊前宇佐八幡あるいはその周辺に1363年(室町時代)に大塚氏が存在した記録です。
 この記事を書いているときから、この大塚氏が「少弐系」なのかそうではないのか、ということはずっと引っかかっています。
■ 秋月氏から大塚氏になった者が!
 今回一番の発見はこれ!ちょっと興味深い記事を見つけました。
 かわけんブログ さんの記事から
http://blogs.yahoo.co.jp/kawasakikennkyuukai/12088381.html
 なんと!豊前と筑前の境である「木城」地区。この地域を治めていた秋月蔵人種正の子、大膳守政時が大塚姓を称したらしいのです。
 ネタ元は「豊前大鑑」だそうで、リンク元には引用文も載っています。
 秋月氏本体は秀吉に負けて日向に飛ばされますが、大塚氏の子孫は豊前のこの地で帰農して庄屋になっているとのこと。
 ちょっと大塚の出現時期としては「最近」過ぎるので、近隣の戦国大名に「この大塚氏のうちの誰か」が召抱えられることはあるでしょうが、どこまでメインストリームをぶっちぎれるかは微妙なところ。
 豊前大塚氏の中核にはなれなさそうです・・・。
■ 黒田官兵衛 中津にて兵を集める。
 最後もなかなかの大ネタです。
 ちょっと引用元が不明なので、アレですが、私が調べきれてないだけです。ちょうど前回の「軍師官兵衛」ちゃんの放送でやっていたとこですが、
慶長5年(1600)に黒田如水、中津にて浪人を集めまくる
ということをやってます。
 この時、豊前の地侍とか浪人とか素人みたいのとかを召抱えまくるのですが、
荒牧軍兵衛・小城源兵衛・大塚角太夫・樋口山城・中間喜兵衛
などのメンバーも参入します。
(原典未確認のため、確認次第引用元明記します)
となると、福岡藩士「大塚氏」に豊前メンバーがいた、ということが立証されそうです。
 
 
川崎の内木城の大塚家は、うちの曽祖父、祖母の実家です。
返信削除朝倉の大塚荘から名前をとったそうです。
甘木市、筑前町の境あたりに、大塚という地名がいまでもありますよ。
情報ありがとうございます!
返信削除http://samurai-otsuka.blogspot.jp/2014/05/blog-post_3821.html
で朝倉郡筑前町大塚、の地名を挙げていますが、その土地のことだと思われます。
旧野須郡大塚村、という名前だったことまではわかりましたが「大塚荘」という荘園だったことは、初めて知りました。
荘園だったとすれば、中世からの地名ですので、もっと古い歴史から調査する必要がありますね!
ありがとうございました!また調べて記事にしたいと思います。