今日も戦国関連で面白そうなニュースが出ていました。
民家に信長の書状=秀吉も、九鬼家宛て―神戸
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141208-00000132-jij-soci
元ネタは時事通信さんです。
話の概要は、神戸の民家で「信長から九鬼家」「秀吉から九鬼家」あての手紙が見つかった、とのことで、所有者は九鬼家から流出したものを持っておられたようです。
いやいや、さすが九鬼(くき)家!現在はニュータウンが広がる兵庫県三田(さんだ)市の三田藩主の家柄です。
もちろん、当ブログにも大いに関係のある「三田藩と九鬼家」!今日はそこらへんをおさらいしておきましょう。
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まず、私が今の会社に入った時、関係先として「九鬼さん」という方がおられました。九鬼氏の拠点は当然摂津三田だったのですが、ちょっと違う別の地に九鬼一族が住んでおり、その地の方とお聞きしています。
おそらく三田九鬼家とは分家筋だったのでしょう。
現在、その「九鬼さん」は引退なさっているとのこと。
さて、三田市の九鬼家については
旧九鬼家住宅資料館
http://www.jalan.net/kankou/spt_28219ae2180119485/
が公開されていますので、お好きな方はどうぞ。
さて、その九鬼氏が治めた三田藩、もともとは我らが赤松有馬氏の居城です。そう!久留米藩に移動した有馬氏は、もともと三田も治めていたというわけ。
なので、ここから面白いのですが、
現在、三田藩のお城「三田城」跡には有馬高校が建って
おります。
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ところが、歴史ファンのみなさんには九鬼氏は「水軍」として知られています。
ウィキペディアより 九鬼氏
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E9%AC%BC%E6%B0%8F
そうなんです。もともとは志摩スペイン村パルケエスパーニャ!の志摩国が拠点なので
海の男
だったわけ。
織田信長に従った九鬼水軍とそれに抗する毛利水軍は有名ですね。しかし、関が原以降の平和な時代には水軍は不要となり、九鬼氏も否応なしに陸に上げられてしまいます。
九鬼氏の船にはお風呂もついていたとか。家臣への指示の手紙に風呂の寸法まで載っているらしいです(笑)
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さて、最初の話に出てきた「九鬼さん」という方。実は彼の住んでいるところには「九頭神社」なるものが鎮座しています。
九鬼氏はそもそもは和歌山の熊野大社の神官の末裔とされており、そこから志摩国へ移動し海沿いに展開した一族が海賊になったといいます。
九頭神を祀っていることからも、この集落に住む「九鬼氏」がガチな九鬼系だとわかるのですが、藩主一族ではなく、何かの理由で流れ着いた別の一団の可能性もあります。
このあたりは私も流石に調査していませんが、詳しく調べると何かわかりそうな予感がします。
クズの神を祀る神社 さんのサイトより
http://kamnavi.jp/jm/kuzukami.htm
わらじ祭り公式ホームページ さんより
http://www.warajimatsuri.jp/saijin/iyagongen.html
あたりを参考にすると、どうやら九鬼氏は「くずの神」を祀っていたらしく、どうやら「くずの神信仰」は
ダイダラボッチ
と関係があるらしい!さあ、ここからは
もののけ姫
の世界ですね(^^
・・・だんだんと脱線しそうなので、今日はこのへんで。
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