お久しぶりです、こんにちは。
当ブログの名物コーナー『今日の軍師官兵衛ちゃん』は毎週更新しているものの、通常の
「日本全国大塚家探しブログ旅」(ロケみつ風に)
はちょびっと停滞している今日このごろ。
はい、その通り!別名義の活動が忙しくて、というかさらには、自治会の役員の仕事やらもあって、バタバタしておりました。
というわけで全国のみなさまから「続きはまだか!新しい情報はないのか!」と叱咤激励の声が聞こえてきそうです。
このゆるーい停滞期間の間に、全国の大塚さん、大塚さんにゆかりのある方から、どんどんお手紙が来ています。
順番に返信しておりますので、みなさま方これからもよろしくお願い申し上げます。
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さて、その中で、別の地域の「抱き茗荷大塚家」さんにゆかりのある方からご連絡をいただきました。
これまで「福岡」「徳島」「東京」に記録がある「抱き茗荷」の大塚家ですが、新情報は「静岡」です。
駿河国益津郡の田中藩、本多氏
の家臣に大塚氏がいたようで、その家紋が「抱き茗荷」だそうです。
本多氏の本流は、古くから三河松平氏に仕え、徳川政権下で多くの系列大名や、旗本を輩出しました。
田中藩の本多家は駿河のあと、安房国長尾藩に移動し、幕末を迎えます。
ウィキペディアより 田中藩
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E8%97%A9
ご連絡をくださった方の情報では、千葉にもこの系列の大塚氏が別れて移動しているようです。
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ところで、ではこの「大塚氏」がどういった氏族か、となると現時点での情報量ではちょっと判別しかねるところ。
もちろん何か意味があって「抱き茗荷」を用いていると思われるので、調査続行です。
本多氏と田中藩の関わりは、享保15年ですから、それ以前の時期に本多氏の「転封元」である上野国沼田藩からついてきたとすれば、
茨城・埼玉系大塚氏
の可能性も出てきます。
本多氏全体として、徳川幕府と密接に関係がありますので、その絡みでどこかからかやってきた大塚氏という可能性もあります。
いずれにしても、三河から北関東あたりが調査範囲になりそうですね。
かるーく気になるのは、本多氏の拠点であった三河国に大塚城というのがあって、そこの岩瀬氏が一度本多氏とガチバトルを繰り広げているので、そのあたりの絡みから本多家臣の大塚姓が生まれても不思議ではなさそうです。
もっとも、↑は思いつきレベルの仮説ですが・・・。
というわけで 静岡、千葉の大塚さん!ブログ読んでいたら連絡くださいね!
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