2016年1月28日木曜日

<116>福岡県の大塚さん 筑後に別の「大塚氏」が存在する? ~浮羽郡を中心に~

 当家、三潴地域の大塚氏について研究している最中だが、いわゆる福岡県に相当する地域には、色々なルーツを持つ「大塚氏」が存在していることがわかってきた。


 その中でも、当家を含んで着目している大塚氏は、


 ◇少弐氏→大塚氏という流れのなかで、佐賀へ移動し、佐賀から筑後に入った集団


を想定して話をしているのだが、これとは別に


 ◇筑前に古くからいて、そのまま福岡藩領に根付いた集団(ルーツが少弐かどうかは不明)


というものや、


 ◇日田地方を中心にしながら筑後へ入ってきた集団


というものが存在すると考えられるわけである。



 さて、研究を進めるうちに、「三潴の大塚」ということばに遭遇する比率が上がってきた。


 当家の所在とも関係がある三潴郡(ただし、旧国における)のことなので、見逃すわけにはいかないため、少し考察を加えておきたい。


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 実は筑後における「大塚」という地名は、この三潴郡大塚だけでなく、もう一つ存在する。ややこしいので現在の地名で書いてゆくが、



<福岡県みやま市(瀬高町)大塚> ・・・近世以前は 筑後国山門郡大塚村 

 古くは蒲池・田尻氏の支配を受けていた。



という地域が存在する。


 それに対して今回取り上げるのは、



<福岡県久留米市(旧田主丸町)大塚> ・・・近世以前は筑後国竹野郡(のち浮羽郡)大塚村

 田主丸大塚古墳をはじめ、大塚清長橋古墳群、大塚古墳群などがある。


である。


 

 
ついでに言えば、筑前には


<福岡県朝倉市大塚> ・・・近世以前は筑前国夜須郡大塚村


筑前国続風土記附録に


「神殿一間半・二間半、拝殿二間半・四間、(中略)この村(弥永)及び甘木・隈江・楢原・甘水・持丸・菩提寺・千代丸・牛水・馬田・野町・高田・依井・大塚すべて十四村の産土神にして、夜須郡の惣社なり」

とある。


というのもあるので、ややこしい。



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 これらを総合的に考えると、どうも、筑後なんだけれど少弐系・日田系ではない



 別の大塚氏族


が存在するような気がしてならない。



 でも、情報が少なすぎて困りちゅう・・・。

 

2016年1月10日日曜日

大河ドラマ「真田丸」いよいよスタート! 真田丸ズバリ解説!武田はどうして偉いのか?!

 待ちに待った2016年大河ドラマ「真田丸」がいよいよ始まりましたね~。

 まるまる1年間のブランクを経て、当ブログに大河ドラマ解説の記事が帰ってきました!わーいわーい。


 このブログでも公言しておりましたが、基本的にアンチ幕末な大塚某なので、


「戦国大河」


が帰ってきたことは嬉しくてたまりません。


 というわけで、第1回の真田丸の補足がてらズバリ解説!をお届けしたいと思います。



<ズバリ解説!1> そもそも今回の真田丸のスタートはいつの時点やねん!!


 物語は天正10年からはじまりました。真田氏が使えている親方さまは「武田氏・武田勝頼」です。

 これを見て、一般の人たちは「あーなんか、織田信長が武田の騎馬隊と戦ったらしい話は聞いたことあるよな~」と、武田の名前を思い出すところだと思います。


 そうそう、その武田!と言いたいところですが、実はそのお話火縄銃の三段打ちVS武田騎馬隊の長篠の戦いは天正3年ですから、もう7年も前の話。


 すでに織田方と武田方の勝敗は決しているわけで、今回武田さんは、すごすごと逃げも隠れもしていますが、それもそのはず、


 もう最後の瀕死の状況から、ドラマはスタートしたわけなのです。


 歴史ファンとしては、武田騎馬隊が負けて織田が優勢に進んでいる中での、現在のこの落ち目な状況、というあたりに一言触れてほしかったような。

 
 とまあ、いきなり武田さんが、ズダボロ状態なのは、そういう文脈で押さえて下さい。



 <ズバリ解説!2> そもそも、武田ってなんですごいの?

 さて、戦国時代といえば、やはり武田信玄を始めとする武田氏のネームバリューです。「信長の野望」シリーズから戦国マニアになる方も多いようですが、ワタクシ大塚某は、なんとやったことがありません(笑)

 「風林火山」の言葉とか、カッコいいし、信玄は確かに強いし、


「なんか武田って凄いぜ、武田って偉いんだぜ」

というイメージがあると思います。

  しかし、苗字研究家からすると、武田氏の凄さというか家柄の凄さはそこではナイのです。

 それを紐解くには、少しだけ日本史の勉強に立ち戻りましょう。

 1192(いいくに)つくったらしい鎌倉幕府の主人公は、言わずと知れた源頼朝ですね。この源頼朝は、もとを正せば

 清和天皇末裔、清和源氏・河内源氏の系統ですから、相模国鎌倉に根付いたこの源氏は、


 清和源氏・河内源氏・相模(鎌倉)源氏のみなもと氏


とでも呼ぶことができます。


 さて、鎌倉幕府の次の幕府は、室町幕府ですね。室町幕府は、足利氏によって開かれましたが、足利氏のルーツを辿ると、これまた清和源氏・河内源氏になります。

 とすれば、その所領をもって


 清和源氏・河内源氏・下野(足利郷)源氏の足利氏


とでも呼べるわけです。


 さあ、そこで武田氏です。武田信玄を代表とする武田氏は、またまたまた清和源氏・河内源氏であり、その所領常陸那珂郡武田郷をもって


 清和源氏・河内源氏・常陸源氏の武田氏


と呼んでも差し支えない、ということになります。

 ところがここに一つだけポイントがあって、この武田氏、常陸の国から、一度甲斐国に流刑になった縁で、甲斐に根付きます。

 そこで、この一派は常陸源氏ではなく、「甲斐源氏」と呼ばれるわけですが、武田氏はその後正式に甲斐守護を任官しますので、たしかに


 甲斐を所領とする武田氏


となったのです。


 ここまでくるとなんとなくわかりますね?鎌倉源氏が鎌倉幕府を開き、足利源氏が室町幕府を開いたのだから、甲斐源氏の本家本流である武田氏は


 世が世であれば甲斐武田幕府を開いても全然おかしくない


レベルの家柄だったことがわかります。


 そうですとも!織田や徳川よりも、かなり本物に近い「源氏の武家のトップである正統後継者(候補)」ですから、 凄くて偉かったわけですね。


・・・今日のドラマでも、武田勝頼は結局「甲斐を出るわけにはいかない」と逃げそびれたわけですが、信玄公うんぬんどころの騒ぎではなく、


「甲斐武田の本領たる甲斐を出ることは、甲斐源氏の名を捨てることにも等しい」


重要な決断だった、ということになるのです。



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  というわけで、第一回にふさわしい濃い話をしてしまいましたが、学生のみなさん!!


安心してください!テストには出ませんから!!

 (とにかく明るい大塚某)



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 <お知らせ>

  2016年大河ドラマ「真田丸」を毎回つっこむ新連載

【NHK大河連動 ”今日の『真田丸』”】ブログ

は、長野県・信濃周辺を重点的に調べている

横尾さんのルーツ ~ご先祖様探しと家系調査ミステリー不思議発見!~ The roots of samurai yoko. 

http://53kiri-yokoo.blogspot.jp/


のブログに移行します。真田丸関係は、こちらのブログでお楽しみくださいね!


 大塚系ブログは、九州に軸足をおいて連載を続けます。

2016年1月5日火曜日

北海道の苗字・ルーツ 「屯田兵名簿」の紹介

 うちの奥さんが北海道出身なのはこのブログでは既出ですが、北海道にお住まいの方のご先祖さま探しは、まずは


「北海道から脱出する」


ことが、最初のステップになります。

 ちなみにうちの奥さんの場合は、直系尊属を戸籍で辿ってゆくと、

 道東のある町→帯広市内→福島県

と3代くらい遡ってなんとか道内脱出に成功したところです。その先は、まだ調べてないので、


「早く調べてよ!」


とせっつかれています(^^;;


 名字の由来や直接のご先祖さま探しについては、まだ継続中なのですが、うちの奥さんのルーツである福島県のある村では

「村の若者達に、大々的に満州と北海道方面への移住開拓を進めていた」

という情報が挙がってきています。 おそらくそうした動きがあったので、奥さんのご先祖様も新しい大地へと渡っていったのでしょう。


 北海道出身の方のルーツは、いくつかの特徴的なパターンがあります。



①松前藩成立以前~以後において北海道に関係した人たち。

 ・・・この方たちは、現在の北海道在住の人数からみるとかなり少数です。いわゆるアイヌと和人の交易に関わったり、松前藩と絡んで商業取引に当たった人は存在しますが、絶対数が少ないのです。


②明治維新直後の、各藩分領支配によって移住した人たち。

・・・いわゆる映画「北の零年」世代です。北海道開拓を進めるために、とりあえず各藩の「領地」ということにして士族や農民を移住開拓させるのですが、その縁で「釧路鳥取」とか、そういう地名が生まれます。


③屯田兵制度によって入植した人たち。

 ・・・教科書でよく習う「屯田兵」は北方ロシアの脅威に立ち向かうことと、開拓のためということで、「兵士でもあり、農民でもある」という立場でした。



 屯田兵出身の方のルーツ調べについては

 T.Takedaさんのサイト
 http://www.asahi-net.or.jp/~XJ6T-TKD/tonden/index.html


 に詳しい解説がありますのでぜひご参照下さい。

PDFファイルによる「全屯田兵名簿」も公開なさっていますので、先祖が屯田兵、という伝承がある方は、一度ご覧になると良いと思います。




④一般開拓者として、移り住んだ人たち。

 うちの奥さんのご先祖パターンがこれだと思いますが、主に東北地方の農家の方で、長男以外のため、継承できる土地がなかったなどの理由で、満州や北海道・サハリン地方へ移住した方が多数おられます。

 北海道人口のルーツで言えば、おそらくこのパターンが一番多いのではないか?とも考えられます。




⑤ 炭鉱の関係で移住した人たち。

 昭和に入ってからですが、炭鉱の工夫や技師として北海道に入る方も多数おられました。筑豊などの本州系炭鉱が閉山になるに従って、最後まで石炭の産出をしていた北海道へ移る方もたくさんおられました。

映画「幸せの黄色いハンカチ」における高倉健さんのパターンですね。



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 こうした全体を通して、やはり一番多いのは、地理的に近い「東北地方」からの移動だと思います。風土環境のことを考えても「寒さに耐えられる」という目算があったのでしょう。

 逆に、各藩の分領支配で入った人たちは、士族が開拓に耐えられなかったことはもとより、農家でも「寒さや環境の厳しさに耐え切れずに撤退」という事例も多々ありました。


 しかし、どのパターンであっても、現在の北海道があるのは、先人のおかげであることには変わりありません。

 厳しい環境でも生き延びてきてくださったからこそ、私はうちの奥さんと結婚できたわけで・・・(^^

2015年12月16日水曜日

<話題> 苗字研究家が考える「夫婦別姓」 〜最高裁判決を解説する〜

 みなさんこんにちは。お久しぶりです。ちょっと、諸事情で更新が止まっていましたが、復活しました(^^


 さて、今日は、先日よりニュースになっていた


 夫婦別姓を認めないのは、違憲かどうか?


の最高裁判決がありました。


 ニュースなどはこちら

 NHKニュース 夫婦別姓認めない規定 合憲判断
 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151216/k10010343011000.html



 さて、最高裁判決は、


「夫婦が一つの姓を名乗るのは、合理性がある」


というもので、結果として夫婦別姓を認めないことを合憲とするものでした。


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 で、この最高裁判決がどうなるかについては、当ブログでも予言しておりまして。 

 その記事がこちらです〜。


<話題>夫婦別姓 最高裁判決を予言してみる! ~姓氏家系研究家がみた「夫婦別姓」問題~

http://samurai-otsuka.blogspot.jp/2015/02/blog-post_20.html

 

 はい。ここにも書いていたとおり、日本の戸籍制度は「父という枠、母という枠、子という枠を家族という箱」に入れて管理することにしています。

  これは、近代国家が民主主義社会において運用している「個人の人格や人権」とはまた別の管理方式であり、あまり個人の概念については、この枠や箱には組み込まれていません。

 

 そのため、同姓同士が「父という枠、母という枠に入っても構わない」(同姓同士の結婚が認められた)し、養子のように、DNAに基づかない親子関係が認められるようになっているわけです。

 

  こうした形は、民法上は明治になってからの規定ですが、実際には戦国時代あたりから、こうした形が運用されるようになっていた、と姓氏家系研究家である大塚某は見ています。

 

 家という箱は、徳川家や、伊達家、黒田家のような当主とその家臣団にも似ています。こうした「家」の概念は、戦国時代から現代まで、実は連綿と続いているわけです。

 

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  もし、日本で夫婦別姓を実現するためには、現実の運用上必要な住民票レベルでは、けっこう早く対応できると思いますが、戸籍制度のほうは、かなり改変を要するものと思います。

 欧米で夫婦別姓が実現しているのは、すでに「個人」の概念で市民管理制度が運用されているからで、「家」という箱概念を重視する日本では、そこからひっくり返さない限り、難しいということになるのでしょう。

 

 たとえば、こういうことです。

 

 「どこそこに住んでいるAさんという個人」を管理することを積み重ねるのであれば、夫婦別姓は可能です。AさんのDNA上の父はBさんで、DNA上の母はCさんだけれども、それらは血縁上だけ重要なのであって、市民生活上はどうでもいい、というのが個人主義的な管理方法です。

 

 ところが、日本では実態も運用も違います。管理は「家単位」でなされているので、「Bさんという世帯主がいて、その配偶者がCさんで、こどものAさんはこの家のこどもである」という形で管理されているので、行政がこの家族にアクセスするのもまずは世帯主Bさん宛になるし、学校に通わせる義務もBさんにあるし、こどもであるAさんは結婚するまで独立した戸籍を持てないのです。 

 

 ちなみに、今、上の例を読むとみなさんは普通の3人家族を思い浮かべるでしょうが、実体としては、BさんとCさんは再婚同士で、Aさんは養子で入った子という設定でも、Bさんは男性で、Cさんは性別変更した元男性で、AさんはCさんの連れ子という設定でもおなじなのです。

 

 つまり、やっぱり日本では「父という枠、母という枠、子という枠」にあてはめて物事が遂行されていることがわかるのです。

 

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 ところで、姓氏家系研究の上では、「夫婦別姓」は反対すべき制度なのか、と言われれば、けしてそうではありません。


 夫婦別姓も、ちゃんと、姓氏家系と名字の成り立ちの上では、忘れてはいけない概念なのです。


 古い時代の苗字・本姓の例を挙げる時に


「源平藤橘」

 

 という言葉を使うことがよくありますが、これは、日本人のルーツを辿ると、

 

源氏・平氏・藤原氏・橘氏

 

が源流になっている家が多いよ、ということで代表的な4つの姓として取り上げられるわけです。


 このうち、橘氏の成り立ちがおもしろいのです。


 橘氏というのは、

 

 Wikipediaより、橘氏 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%98%E6%B0%8F

 

県犬養三千代という女性(奈良時代の女官)が、元明天皇から「橘宿禰」の姓をもらったことに始まります。

 

 県犬養というのが彼女のお父さんの名字で、なので、

「県犬養さん家のみっちゃん」

が、”橘みっちゃん”になるわけです。

 

で、この橘三千代さんは、 藤原不比等(あの中臣鎌足の二男で、いわゆる藤原氏の祖)の後妻になるわけですが、不比等と三千代の子は当然、「藤原氏」ということになりますね。

 

 でもでも、そうすると、橘氏は存在しないことになりませんか?

  だって、三千代は藤原不比等の嫁で、子供は藤原なんだから、橘姓を名乗る者がいないじゃん!ということになりますね。これは変です。


 実は、みっちゃんは、不比等の後妻になる前に、美努王という皇族の王子様と結婚しており、その時に「葛城王」という王子様が生まれていたのです。

 この王子様は皇族ですから、もちろん最初は名字がありません。ところが、彼がのちに臣籍降下して「苗字を必要とするようになった」時に、源氏でも平氏でもなく、


 おかんの名字である橘を名乗って、”橘諸兄”となる


のです。ちなみに彼は大伴家持の友達ですので、万葉集には彼の歌がよく出てきます。



 この橘さんの話を読み解くと、古代の「夫婦別姓」の様子がなんとなく見えてきます。


 まず、みっちゃんは、藤原不比等さんと結婚したものの、実は「藤原のみっちゃん」にはならずに、最後まで「橘三千代」だったことがわかっています。


 そう、みっちゃんは夫婦別姓だったのです!!!!


  夫、藤原不比等。妻、橘三千代。と思えば、夫婦別姓でなかなかカッコイイじゃありませんか!

 しかし、子供は「父の苗字を名乗る」のが一般的だったようですね。なので、不比等と三千代の子は「藤原姓」になっていました。


 でも、母の姓というのもそれなりに重要だったので、再婚前のお兄ちゃんたちは、(もともと姓のない皇族だったことも関係あるのですが)


おかんの苗字を名乗るぜマミー!!


ということになりました。

(意外に、これは現代でもありますね。山田さんと結婚した鈴木さんという女性が、離婚して子供は生まれたときの姓は山田なのに、鈴木姓を名乗る、みたいな)



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 というわけで、古代と現代はちょびっと違うところもありますが、日本の歴史を振り返れば


 夫婦同姓も歴史が長いし、夫婦別姓も昔はあったんだぜ


ということが学べます。以上、今後のご参考に(なんの参考やねん)


2015年11月14日土曜日

<話題>全く新しいオリジナルサービス!「あなたが生まれるまでの1000年の物語」を歴史教科書に!

 おかげさまでココナラさんでやっているサービスがみなさんに評価され、エキスパート認定を受けることができましたが、今回はそれを記念して新しいサービスを開始しました!



あなただけの「日本史」教科書を作成します ~あなたが生まれるまでの1000年の物語~





 なんと!世界にひとつだけの「あなただけの日本史教科書」を書いてしまうという、暴挙です(^^;


 御祖父さま、御祖母さま、お父様お母様の旧姓をお教えいただくと、可能な限りルーツを遡って、それぞれの家の歴史と日本の歴史をかみ合わせながら


「あの、中学高校で使ったような教科書風」


の書物(PDFファイルです)にしてお届けするという、人類史上初のサービスが出来上がりました。



年頃のお子さんにプレゼントして、歴史の授業に興味を持ってもらったり、あるいは「自分がなぜ生きているのか」のヒントを得たり、いろいろなあなた自身の発見があると思いますよ。


価格は1000円です。


※最新価格は、ココナラさんでお確かめください!



ご興味のある方は、一度お問い合わせくださいませ。



☆もちろん、ルーツがはっきりわからない。判定できないという場合もあろうかと存じます。その場合は、わかったところまでをきちんとご報告します。




 

2015年11月4日水曜日

<話題>日本で最も古い家へ行ってみた!

 こんにちは。

 昨晩は、あの伝説的番組「学校へ行こう!」の同窓会編とも言うべき2015年版が放送されていましたが、ネットでもかなり話題だったようです(^^


 もちろん、学校へ行こう!といえば、出演者のV6があんなことやこんなことをして学生生活と絡んでいくという番組なのですが、ちゃんと


 岡田官兵衛ネタ


も随所に仕込んであり、当ブログでもみっちり追いかけていた官兵衛ちゃんが再び見られて大変うれしゅうございました。


 ちなみに、ジャニーズには、「イケメンなのに残念な2大巨頭」というのがおりまして、1人が長瀬くんで、もう1人が岡田くんであります。


 どちらも、完全にそうは見えないのに、かなりおバ○で有名で、そのエピソードの数たるや枚挙にいとまがないそうなのですが、昨日の岡田先生も、かなり残念振りを発揮なさっていましたね(苦笑)


 大軍師や、大教官よりも、やっぱりひらパーにいさんが最もしっくりきそうな、岡田准一さまでございました。



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 さて、そんな岡田君、いや黒田官兵衛どのを体感できる「同時代ツアー」を敢行して参りましたので、レポートです。


 同時代ツアーとは、その名のとおり、官兵衛が生きた時代を体感できる旅でございます。



 今回、旅して来たのは、旧国名で言えば摂津ではありますが、現代の三木市にほどちかい神戸市北区の山田町は


「箱木千年家」


です。ババーン。


 


 場所は、新神戸トンネルの北側出口から車で十数分といったところですが、なんと室町期から建っているという



 日本で一番古い家(国指定重要文化財)


なのですよ、この箱木家は!!


 ウィキにもあるよ
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%B1%E6%9C%A8%E5%AE%B6%E4%BD%8F%E5%AE%85



 さて、このおうち。大同元年という「棟上の記録」が残っているため平安時代からあるという


 千年家


と呼ばれていますが、現在の建物に残る6本の柱は、移築解体の際に


 室町時代からのもの


だと推定されています。






 ↑中から外を見ると、頭がぶつかりそうなくらい深い軒。






 ↑戦国期大河ドラマに出てきそうな、板の間づくり。注目は、床板です。




 まだ、「かんな」が発明されていないので、床板は槍鉋(やりがんな)で削られており、完全に平面にはなっていません。


 荒い板を、槍の曲がったような道具でちょこちょこ削って大きな平面を作っていったのです。






 ↑官兵衛ちゃんの時代の息吹を伝える、「柱」。角が大きく面取りしてあるのが特徴で、古い時代ほどこの面取り巾が大きいそうです。

 (これもチョウナで”はつって”いったものと思われる)




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 さて、そんな箱木家住宅ですが、いまでも管理は子孫の「箱木一族」が担当しておられます。


 


 古いよろいなども展示されていて、箱木一族の「戦国武将」→「帰農して豪農」→「旧家として今へ至る」歴史がよくわかるというものです。



 というわけで、ここからは箱木氏と官兵衛ちゃんの同時代体感話をいくつかお届けしましょう。



 展示してある系図には、なかなか興味深いことが書いてあります。


 

 
 箱木一族は、もともとからこの摂津国山田庄に根付いた一族だったようですが、この建物がバリバリの現役だったころ、


 そう、つまり官兵衛ちゃんの時代


には、箱木氏は、あの別所氏に従っていました。(摂津国とはいえ、三木城はけっこう近い)


 そのあたりの息吹が感じ取れる、上の系図をデジタル変換して読みやすくしてみましたよ!





 どうだ!これで読めるでしょ?!(加工は大塚某)


『属 三木城別所氏 天正五年四月一日~』 からはじまって、『同年羽柴筑前守秀吉 播国府御着城小寺加賀守ヲ攻むる時~』



 出ましたね~。


 ここらへんで赤鼻のトナカイとあぶない刑事が脳裏に浮かんでくるというものです!!


 
 右半分には、箱木与一左衛門が、別所長治に従っており、戦死した話が書いてあります。



 いっぽう左半分は、さらに興味深いです。


『箱木與一郎 藤徳 母は別所大和守村重の女(むすめ) 藤徳は人質となる為三木城内に入り~』

『別所長治君自殺し後、秀吉の命に依り 三木篭城の諸士退散』

して、衝原館にやってきたというわけ。


(箱木千年家は山田町衝原にあります)



 まさしく、大河ドラマでみた、あのシーンの一部ですね。


 箱木氏は、三木城で官兵衛軍と相対していたのでしょう。


 その頃から建っている住宅を現代でも見られる、というのは凄いことだと思います。



 
 この地域は、秀吉が直轄した有馬温泉や、当時有馬氏が支配した淡河地域などとも隣接しており、戦国の息吹がそこかしこに眠っています。


 神戸近辺の方はぜひ、一度遊びに来てくださいね。

2015年11月1日日曜日

<話題> ココナラエキスパートに認定されました。 苗字・名字を研究しています。


 更新お久しぶりです。

 大塚氏に関する研究は、現在大物が出ていないのでひそかにやってます(^^


 その分、他の名字・苗字に関わる研究や分析をやらせていただいており、全国各地のあらゆる苗字・名字・氏族・お名前について調査をしているところです。


 ココナラというサイトで、依頼を受け付けておりますが、おかげさまで今回、私大塚某のサービスが

”ココナラエキスパート”に認定されました!!


 ココナラ

苗字・名字の由来と先祖探し・ルーツ探しのアドバイスをします 

  https://coconala.com/services/41874



 本来、氏族のルーツを探るというのは膨大な手間と費用がかかるのですが、なんと私のサービスは


540円


という驚愕の値段でやっております(笑)


 というのも正式な氏族のルーツ探しは、


①戸籍謄本を可能な限り取得する。

②墓石や寺などの情報を集める。

③親戚・関係者などから話を聞く。

④土地台帳などの資料を取得する。

⑤おなじ名字の情報について図書館などで調べる。


などの調査をひとつひとつ丹念に実施してゆくので、日当だけで十数万円から数十万円かかるのですが、


(仮に10日間、親戚周りと図書館通いをしただけで、日当1万円なら10万円、というわけ)


私大塚某の調査は、


⑤について、地域とネット上のデータ、図書館等の資料を探す


というところに特化してやりますので、たった500円&最速1日で結果が判明するのです。



 これまで数多くの方に喜んでもらっておりますので、ご自身のルーツについて興味のある方はぜひ一度ご利用ください。



 というわけで、たまには宣伝でした!