当家、三潴地域の大塚氏について研究している最中だが、いわゆる福岡県に相当する地域には、色々なルーツを持つ「大塚氏」が存在していることがわかってきた。
その中でも、当家を含んで着目している大塚氏は、
◇少弐氏→大塚氏という流れのなかで、佐賀へ移動し、佐賀から筑後に入った集団
を想定して話をしているのだが、これとは別に
◇筑前に古くからいて、そのまま福岡藩領に根付いた集団(ルーツが少弐かどうかは不明)
というものや、
◇日田地方を中心にしながら筑後へ入ってきた集団
というものが存在すると考えられるわけである。
さて、研究を進めるうちに、「三潴の大塚」ということばに遭遇する比率が上がってきた。
当家の所在とも関係がある三潴郡(ただし、旧国における)のことなので、見逃すわけにはいかないため、少し考察を加えておきたい。
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実は筑後における「大塚」という地名は、この三潴郡大塚だけでなく、もう一つ存在する。ややこしいので現在の地名で書いてゆくが、
<福岡県みやま市(瀬高町)大塚> ・・・近世以前は 筑後国山門郡大塚村
古くは蒲池・田尻氏の支配を受けていた。
という地域が存在する。
それに対して今回取り上げるのは、
<福岡県久留米市(旧田主丸町)大塚> ・・・近世以前は筑後国竹野郡(のち浮羽郡)大塚村
田主丸大塚古墳をはじめ、大塚清長橋古墳群、大塚古墳群などがある。
である。
ついでに言えば、筑前には
<福岡県朝倉市大塚> ・・・近世以前は筑前国夜須郡大塚村
筑前国続風土記附録に
「神殿一間半・二間半、拝殿二間半・四間、(中略)この村(弥永)及び甘木・隈江・楢原・甘水・持丸・菩提寺・千代丸・牛水・馬田・野町・高田・依井・大塚すべて十四村の産土神にして、夜須郡の惣社なり」
とある。
というのもあるので、ややこしい。
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これらを総合的に考えると、どうも、筑後なんだけれど少弐系・日田系ではない
別の大塚氏族
が存在するような気がしてならない。
でも、情報が少なすぎて困りちゅう・・・。
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