2015年7月25日土曜日

<姓氏家系>完全網羅 苗字 安永姓・安永氏・安永さんのすべて! 全安永氏族 由来・ルーツ 超まとめスペシャル

 今回の記事は、九州少弐系の氏族を中心としながら、横の広がりを調査するためにまとめたものです。

 全国の安永氏・安永さんにまつわる先祖のルーツを完全網羅しています。

 抜けているもの、未調査のものは、随時加筆しています。(最終更新 2016.3.28)


 ☆個別の御家のルーツについてより詳しく知りたい方は、記事下部の
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★ 参考文献 ★

 今回のリスト制作に当たっては、以下の参考文献を元に作成した。

 

 ① 「家紋でたどるあなたの家系」 千鹿野茂  八木書店

 ② 「続・家紋でたどるあなたの家系」 千鹿野茂  八木書店

 ③ 「姓氏家系辞書・姓氏家系大辞典」 太田亮 近代デジタルライブラリー版

 ④ 「日本の苗字7000傑」  http://www.myj7000.jp-biz.net/
 
 ⑤ その他

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 今回のリストは、上記参考文献を元に、全国各地に散らばる「安永姓」「安永氏」について、なるべく重複を避ける形でわかっていることを列記したものである。



【  】内についてはわかるかぎりの家紋を示した。


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A 安永氏  大蔵氏流(帰化漢族の末裔) 岩門氏を経て安永氏 安永種永が祖 【地紙か?】

B 安永氏  豊前田川の豪族 応永正長の頃に安永大膳允がいた。 家紋不明

B' 安永氏  少弐系 武藤資頼の次男頼茂から四代後の定行が安永と称し鞍手(郡)に住む。領地田川郡大任町安永より名を取る。 家紋不明

B' 安永氏  少弐系  資頼の次男頼茂の四代目である定行が筑後国三原郡の安永荘を賜り姓を安永と定めその子、安永但馬守藤原重勝が若宮町日少神社(北斗宮)を建立した、とある。

C 安永氏  肥前三根郡安永より出た氏族がいたか? 家紋不明

D 安永氏  熊本県上益城郡益城町安永より出た氏族がいたか? 家紋不明

E 安永氏  御井郡安永村(久留米市北野町中川・安永)より出た氏族がいたか? 家紋不明


そのほか、安永姓の家紋では

【桐紋】


を用いるものがある。


 この他は現在調査中

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3 件のコメント:

  1. こんにちわ、愛媛県の安永姓です。
    こちらは、旧松山藩領内の庄屋に安永が複数います。
    私一族では戦国時代の前の頃の宝篋印塔もありますよ。
    西条藩領内にも安永姓がいます。
    菊間にも。うちの一族は丸に五三の桐紋です。
    参考にどうぞ。
    大半は稲作農家でした。
    私の家では、先祖は太宰府の役人で、転勤で来たと伝わってます。
    松山藩の筆頭の神社味酒神社宮司さんは、正真正銘の大宰府天満宮の宮司家の分家で有名です。いっしょについてきたかもしれません。



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  2. こんばんは、本籍は愛媛県越智郡菊間の安永です。

    安永姓の多い県は1位が福岡で、長崎、山口と同心円状に
    広がっているのですが、なぜか愛媛は2位です。

    福岡では、大宰大弐大蔵氏からと大宰少弐武藤資頼から安永が。

    大蔵からでた安永種永の子孫が元寇で活躍し、桐紋をいただいています。
    歴史の教科書載っている有名な蒙古襲来絵詞に描かれているそうです。

    その功績により熊本の大矢野の地頭職になり大矢野氏に。
    大矢野家は今も続いており、
    蒙古襲来絵詞は大矢野家が所蔵していたものを皇室に献納したそうです。

    http://www2.harimaya.com/sengoku/html/o_yano.html

    また、元寇で活躍した武家で伊予河野氏がおり
    河野氏も肥後国下久具村(現熊本県宇城市)に恩賞地をもらったそうです。
    河野氏は、幕府から熊野水軍の討伐を命じられたのですが
    いやだったのか、長く九州に留まっています。

    https://ja.wikipedia.org/wiki/河野通有

    宇城と大矢野は近く、海にでるには関係しなくてならない
    位置関係ではないかと思われます。

    これは推測ですが、安永種永の子、安永種能は大矢野と
    名乗ったのですが、その兄弟とその子孫はそのまま安永を名乗り
    河野氏とともに伊予に渡ったのではないでしょうか。
    熊本にいたときに河野と安永の関係が深くなったたとは
    考えられないでしょうか。

    桐紋の安永さんが中予に多くいらっしゃいますね。
    お墓まいりに行くと菊間にもいらっしゃいます。
    本家、あるいは本家に近いお家ではないかと思われます。

    うちは曾祖父も祖父も長男ではありません。
    分家も分家です。
    曾祖父の家紋は、唐花の上下が逆転したもの、
    祖父の家紋は、影蔦です。
    曾祖父と祖父が違うというのも、すごい話ですが
    桐紋は長男しか使わせてもらえなかったのかもしれません。
    曾祖父の家紋、祖父の家紋も構造だけは桐紋に
    似ているのかもしれません。
    似ているのから選べって言われたのかもしれません。
    存命中に祖父に聞いとけばよかったと思います。
    父は知らないようです。

    これはもちろん私の推測です。
    何か確信にいたる材料を探しているのですが。。。

    返信削除
  3. 本籍は愛媛県越智郡菊間の安永です。

    ちなみに大宰の大蔵は、
    中国の後漢の12代の皇帝、霊帝の末裔が帰化した時に
    与えられた氏となっています。

    元は漢人ということですね。
    坂上氏とか丹波氏もそうですね。
    丹波哲郎が生前、自分でそうだと言われていましたね。

    返信削除