ワタクシ大塚某のような在野の研究家のことを平たく言えば
・・・マニア
と言うのがおそらく正解だと思うが、ちょっと卑猥な感じがするので(どこが)、せめて
・・・研究家
と呼んでほしい。
で、大塚某がいったい何の専門家なのかと言えば、そりゃ「国文学・国史学」の狭い領域(特に苗字と家系と限られたエリア)になるわけだが、本当はもう少し広い意味での
「情報と国文学」とか「情報と国史学」
という分野領域に興味がある。
実はこの分野は、学問としてはまーったくと言っていいほど立ち上がっていないと思われる。国文学にしても、国史学にしても、基本的には
「元ネタとなる実物や、原本というテクスト」
が存在するわけで、国文学や国史学のアプローチから言えば、そのホンモノこそに価値があり、まずはそこから学問が波及するというわけだ。
ところが、どんどこしょ。
情報と冠が付くくらいだから、私がやりたい国文学は、何がしかの形で「電子化」されているだろうし、IT化されているのだろうが、モノホンの研究者から見れば、電子化されたテクストや史料なんて、二番煎じでちゃんちゃらおかしいぜ、ということになるのだが、ワタクシは、そこに落とし穴があると考えている。
いいですか?みなさん。
国文学研究の歴史をひもといてみれば、とりあえずはホンモノからの活字化の歴史だったと言ってよい。
漢文を訓読し、くずし字を解いてなんぼという国文学・国史学の歴史は、考え方をちょっとやわらかくしてやれば、
「ただの、テクストへの変換」
に過ぎなかったことになる。
活字化に成功して、索引を作りまくって、図書館にある資料同士を繋げて考察するのが人間さまの役目であり、それが国文学国史学だったのだ、という部分に着目すれば、
そんなの、電子テキストとハイパーリンクにまかせてしまえばいいじゃん!
ということになる。
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ワタクシが大学を卒業したのは、1997年だったのだけれども、ワタクシの直接のセンセイに当たる人物は当時から面白いことをしていた。
彼は、今でも基本的にはおんなじことをやっているのだが、「浮世絵」をデジカメで撮って集める、という作業を命がけでやっている。
浮世絵をデジカメで撮る、というと、なんだかアホみたいだが本人は当時から大真面目だった。
かっこよく今風に言い直そうか?
「浮世絵コンテンツを、デジタルでスキャンして補正し、データをアーカイブしてクラウドに収蔵してビッグデータに変換する」
ということを彼はやっていたわけだ。
もう随分ご無沙汰しているので、センセイはワタクシのことなんぞ忘れてしまっているに違いないが、現在でも「文化のデジタルアーカイブと分析」にかけては最先端を突っ走っておられる。
その直属の教え子なので、ワタクシも当然そういう発想で動いている。だから、パソコンの前に諏座っているだけでたいていの研究はやってしまうし、たいていの史料はただでどこからか探してくる。
そこで思うのである。
「とりあえず、史料をデジタル化するところまでは、たくさんの研究機関がやっている。図書館にあるデジタルデータもそうだし、検索のデジタル化もそうだ。しかし!しかしなのだよ!
それらのデータを有機的に繋いで、デジタル上で研究を進める手法を、私たちはまだ発見していない!
ということなのだ」
このブログを長く読んでおられる読者にはおなじみだが、私のやっている大塚研究は基本は「インターネット上のテキスト検索」だけである。
そんなのグーグル先生だってやるし、siri先生だってお得意だ。
だが、彼らは単純にキーワードを順番に並べているだけで、まだ有機的な検索結果を出してはこない。
情報日本文学の研究者は、その間隙を突きたいのだ!!
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ちなみに、「研究者」と名乗っていいのは、大学に所属しているとか「学会に属している」人だけなんだそうだ。
というわけでワタクシのような在野の兄ちゃんは「研究家(マニア)」でしかないのだが、それなら勝手に「学会を作ればいいんだろ、バーロー」と開き直った。
だいたい、人文学系の大学をつぶそうなんて動きがあるくらいだから、大学のセンセイたちが在野に転げ落とされてくるのも時間の問題である。
それなら、大学なんて縛りは気にせずに、俺たちゃ好きなようにやるぜ!
ってこと。
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というわけで、自称「情報日本文学会」なる学会を1人ではじめました。まるで、冷やし中華のごとく!
”Infomation Technology of literature”
”Infomation Technology of history”
をよろしくね!
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