2015年7月22日水曜日

<113>福岡藩大塚氏 続報 ~官兵衛ちゃんの家臣はやっぱり播磨から来たのだ~

 いつも、福岡藩の大塚氏について色々な情報をお寄せくださっている方から、新しいデータが届いたので紹介しておきたい。


 いやあ、それにして九州の大塚姓は、一筋縄ではいかない!それぞれ様々な由緒を持っている別個の氏族が入り混じっているので、ロマンティックが止まらないのである。


 だ・れ・か、ロマンティックと・め・て♪


 CCBはココナッツボーイズの略だって知ってた?それから眼鏡の笠さんは福岡出身だってことも!


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 だからなんなんだ、という余興は置いといて、本題へ。



<1>大塚権兵衛 情報続編


 以前、何度かシリーズで取り上げた福岡藩の「大塚権兵衛」、彼は森鴎外の名作「栗山大膳」にも登場する。

 
 <特別編>文豪森鴎外の描く大塚氏 ~「栗山大膳」を読む~
 http://samurai-otsuka.blogspot.jp/2014/01/blog-post_22.html


 <特別編つづき>「栗山大膳」登場の「大塚権兵衛」の正体
 http://samurai-otsuka.blogspot.jp/2014/01/blog-post_28.html


 <特別編・補足> 森鴎外「栗山大膳」に登場する大塚権兵衛について
 http://samurai-otsuka.blogspot.jp/2014/09/blog-post_12.html


 
 とまあ、3回も記事になっているので当ブログでは有名人の大塚権兵衛であるが、以前に考察したとおり、吉田家と養子のやり取りをしている関係上、吉田氏とともにチェックすべしである。

 今回寄せてくださった情報では、


「吉田家伝録」



「大塚権兵衛直重ハ播州ノ人ナリ。始祖ノ系伝未ダ知ラズ。権兵衛直重若年ノ比ロ、前田加賀ノ守利家ニ仕エシトカヤ」


という記述があった、という。


 吉田家も播磨から官兵衛ちゃんに付き従っているので、大塚氏も播磨系であってもいっこうにおかしくなかったのだが、ここにきちんと「播磨大塚氏」という存在が出てきたわけである。


 推定としては、「後藤又兵衛兄の大塚将監の系」「白鳥にいる島根から来た大塚氏」「寛政譜の赤松支流大塚氏」が真っ先に考えられるのだが、前田利家との絡みでいえば、


 <調査中>石川県周辺の大塚さん
 http://samurai-otsuka.blogspot.jp/2014/03/blog-post_29.html


で考察したとおり、加賀前田家臣にはやたらと大塚氏がいるので、関係があるのかもしれない。


 余談だが、三木攻めの時に、播磨に小さい砦がたくさん築かれるのだが、その中で


「高木大塚城」

お城の旅日記さんのサイトより
http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/takagiootuka.htm



は前田利家が築城担当であった。これは関係ないかな?




<2>福岡藩船方の大塚氏


 これも、同じ方からの情報。福岡藩で船方を担当していた大塚氏は、福岡市博物館の資料によれば、


「大塚右京之進宗種」が大友義統の家臣であり、大友氏衰退ののち「大塚宗久(惣太夫)」が長政に召抱えられ、「大塚喜太夫」に至る


とのこと。


 大塚右京と言えば、佐賀勢では小城に「大塚右京」がいたことが知られているが、


(「小城桜岡、其昔鯖岡と申候由、天正之頃大塚右京宅地のよし、日峰様御隠居あそばれ候には、鯖の字を桜の字にあそばれ候よし」 小城町史「「千枝の落ち葉」より)

 
 これはおそらく別人。それよりも、以前に考察した大友配下の大塚氏との関連性を調べたいところである。



<86>豊前大塚氏の痕跡を追え! 大友家臣の大塚氏はいたのか?!
http://samurai-otsuka.blogspot.jp/2014/08/blog-post.html



 いやあ、それにしても尽きませんねえ。北部九州の大塚氏の系統を読むだけで、論文が書けそうなくらい!




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