2018年3月4日日曜日

あなたのルーツを日本史に! ココナラサービスの状況のおしらせ



 お知らせです。


 3月2日(金)に、「あしたも晴れ!人生レシピ」 (NHK Eテレ)

にて放送されましたココナラでの、


「あなたのルーツを日本史の教科書風に仕上げてお届けします」


というサービスですが、反響が大きくココナラさんでの受付枠が満杯になってしまっています。


受付枠が溢れると「受付休止中」の表示に切り替わります。



ルーツ調べ「あなただけの日本史」教科書を作成します

https://coconala.com/services/79457



 テレビ放映ですぐに満杯になったので、追加で臨時受付を開いたのですが、


臨時増設「あなただけの日本史」教科書を作成します

https://coconala.com/services/484513



こちらもすでに満杯になってしまいました。



 現在、総受付数が80件近くに上っており、それぞれ3氏~4氏について調査依頼が来ているので、全て回答するには下手すると2~3ヶ月かかるかもしれません。



 3月9日(金)に再放送があるのですが、 それを見てココナラに来られた方の受付余裕は残念ですが厳しい状況です。



 受付再開になってからあらためて申し込んでいただくか、ココナラに受付再開になるとしらせが行く機能がありますので、それをご利用ください。



 また当ブログにて、空き状況なども今後お知らせする予定ですので、ご迷惑をおかけしますが、よろしくご理解くださいませ!





2018年3月3日土曜日

テレビ出演と再放送のおしらせ ~あなたの苗字のルーツを探します~



 こんにちは。


 あえてこちらでは告知しておりませんでしたが、昨日NHK Eテレで放送された



 あしたも晴れ!人生レシピ

「生かしませんか?あなたのスキル」

2018年3月2日(金)20:00~

 http://www4.nhk.or.jp/jinsei-recipe/x/2018-03-09/31/2387/1481299/



に、わたくし大塚某が出演しておりました。


 2018年3月9日(金)午前11:00~11:45分の再放送にて、もう一度見られるチャンスがありますので、お時間が許す方はぜひどうぞ!



 こちらで告知しなかったのは、ココナラさんでのサービス依頼が激増することが予想されたためで、案の定



 一晩で50件超!!!



の依頼が押し寄せ、パンクしております(^^;;;



 これからお1人ずつ苗字調べをしてゆきますが、つぎの金曜日が来ればまた依頼増の可能性が高く、これから戦々恐々としております。



 というわけで、当ブログの愛読者さまに置かれましては、落ち着いてからいつでも依頼くださってかまいませんので、できれば



 お願い、今はちょっと待ってて!!!!



という悲痛な叫びです(苦笑)



 そのうちにまた暇になりますので、特に全国の大塚さまのみなさまにおかれましては、このブログの更新を楽しみにお茶でも飲みながら待っていてくださいね!!






2018年1月27日土曜日

<調査中>織田信長と相撲取り ~信長家臣の大塚氏をめぐる謎を解く~



 すっかり全国の大塚姓の方に知られてしまった当ブログだが、何度も「わたしも大塚です」という方から情報提供を頂くことがあるので、可能な範囲で紹介できるところは紹介している次第である。



 さて、今回、とても興味深いお話を教えていただいた。もちろん、個別の事情については、苗字と言うとても個人情報に関わることであるので、十分配慮しながら取り扱いする所存。




 今回のお話は、なんとあの織田信長と大塚氏にまつわる新情報!



 信長の家臣である大塚氏には、すでに3氏がよく知られ、戦国武将系の書物やサイトでもよく言及されている。まずはおさらい。



<調査中>織田信長と大塚氏
https://samurai-otsuka.blogspot.jp/2014/05/blog-post_13.html



この記事でも取り上げているとおり、


■ 大塚新八郎(資料によっては新八)

■ 大塚孫三(資料によっては弥三)

■ 大塚又一郎


の3氏は、とくによく引用されていると言ってよい。



 さて、大塚新八郎であるが、「相撲取りであったらしく、信長主催の相撲大会で何度か出場し、召抱えられた」という話が信長公記あたりの引用でよく語られる。


 そのあたりの経緯は、信長の記録についてまとめておられる書物やサイトをご参照願いたい。




 ところで今回、この大塚新八郎について、新しい情報が見つかった。


 教えてくださった方は、大塚新八郎のそれ以前の経緯とその子孫について言及した文書の写しを所有しておられ、今回拝読させていただいた次第。



 では、信長の真実に迫るかもしれない新情報を、まとめてみよう。





<新事実1>


 大塚新八郎の父親の名前は、大北重兵衛という。

・・・相撲大会に出たという縁で信長家臣となった件は既出だが、新資料によれば「信長から大塚姓を拝領し、大塚を名乗った」とある。

 ということは本来は大塚姓ではなく「大北姓」の人物だった、ということである。

 ちなみに父親の本姓も記載があり「藤原氏」。


 大北重兵衛は、近江佐々木氏に仕え、のちに信長家臣となったらしい。




<新事実2>


 大塚新八郎は、本能寺で死んでおらず、関が原にて戦死したらしい。


 ・・・信長家臣の大塚氏のうち、残りの二人は本能寺で死んだ説があるが、大塚新八郎については言及がなかった。それもそのはず、亡くなったのは関が原の合戦においてだというのである。


 新八郎が信長に召抱えられてからの経緯は次のとおり。


■ 天正7年 蒲生氏付きになる。(蒲生氏郷は信長家臣。近江国蒲生郡。)

  ということは、天正9年の天正伊賀の乱には、氏郷の下で参戦したか?


■ 天正18年 蒲生氏の奥州入りへついてゆく


■ 不明    のち、滋賀へ戻ってくる。


■ 慶長5年  関が原の合戦にて死去

 どういう立場で参戦したかは明記がない。




 ・・・・・・文禄4年に、蒲生氏郷の子、秀行は、秀吉によって会津領を没収の上、近江へ2万石で封されたという説があり、これに関連するのか気になるところ。

 しかし最終的には、蒲生秀行は関が原前に宇都宮に封されていたため、このとき近江がどうなっていたのか、あるいは大塚氏がどうしていたのかは要調査であると思われる。


 蒲生秀行は、関が原の合戦では徳川秀忠の指揮下で動いている。(しかし、宇都宮周辺で守りについていたらしい)


 とすれば、大塚新八郎が、どの立場で関が原戦死ということになるのか、いろいろな可能性が考えられる、ということになろう。


 さらに、興味深いのは、新八郎の子が「安藤対馬守」付きになっていることである。これはおそらく安藤重信のことであろうと推測され、彼は慶長16年より秀忠の老職を務め、のちに上野高崎藩主となっている。

 安藤重信は、慶長5年時点では秀忠軍下で真田の上田城攻めに参戦している。


 どうもこの秀忠家臣団の中で、大塚氏が活動している感触がある。




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 まだまだこの大塚新八郎をめぐっては考察すべき部分が多いと思われる。


 情報がまとまりしだい、またご紹介する予定!






 







2017年12月7日木曜日

NHKの「日本人のおなまえっ」が面白い!



 NHKの木曜夜7:30から放映している「日本人のおなまえっ」がめちゃめちゃ面白いですね。



 人名探求バラエティ「日本人のおなまえっ」
 http://www4.nhk.or.jp/onamae/



 ふだん、このブログでもやっているとおり「苗字調べ」をメインに活動しているものですから、おのずと苗字にまつわる番組は見てしまいます。


 昨日なんかは「舌」さんとか「目(さかん、さっか)」さんについてのお話でしたが、なかなか興味深かったです。



 この番組を見ていてもわかるのは「実は、明治になって新姓をつけた家というのは意外に少なく、それぞれかなり古い時代からの苗字が伝わっている」ということでしょう。



 「舌」 さんの先祖が鬼(鬼神)であったり、それこそ皇室ではないですが神話の時代から引き継がれている苗字や家系もたくさんあります。


 「目」さんも、”守・介・掾・目”(律令四等官・国司)の『さかん』から来ているとか、時代が古いことこの上ない!



 さすがに律令時代(奈良~平安)由来の苗字は少ないですが、たいていのおうちは、戦国時代くらいにはざっくり遡れることが多いです。



 ちなみに、私の場合は番組を見る際には、



「どういう書物に当たっているか」

「どういう文献を見て調査しているか」


など、テクニックのほうに興味があります。まあ、たいていはその苗字を持つおうちの方に聞いても伝承が意外と伝わっていない、なんてのはこちらで調査している際もおなじなので面白いです。




 あと、余談ですが、苗字研究をなさっている森岡先生が、毎日放送の「ロケみつ」の時は


「セリフが棒読みで有名」


だったのに、NHKのこちらの番組では、ふつうに流暢に話しているので、そのギャップが面白いです。


 ロケみつファンだったかたは必見です(笑)




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 さて、そんなこんなで、当方の苗字調べ活動のほうも盛り上がっています。


 テレビ取材も何度か入りましたし、ココナラでの活動もたいへん喜んでもらっています。



 あなたのルーツを日本史に!あなただけの日本史教科書作成。
 https://coconala.com/services/79457


 ↑一番人気のサービスです~。このほか、通常の苗字調べもやってます。


 自分の苗字に興味を持ってくださる人が増えると、うれしいですね!



2017年9月8日金曜日

江戸時代から「大塚家」だった? ~苗字「大塚」の新発見!~



 大塚氏、大塚家のルーツを探すことに全力を傾けているこのブログだが、今回久しぶりに実家本家へ帰省することができ、



 新たな発見



があった!


 それはこれまでの調査で見落としていた大変興味深い内容で、まさに驚愕の事実だったりするのである!




 実家のお墓に関する調査で、これまで見つかっていなかった碑文を見つけた時にはさほどなんとも思わなかったのだが、



「実に面白い」



ことを見つけてしまったのだ。



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 今回発見した墓は明治時代のものである。


 明治、と聞けばたいていのこのブログの読者は「なんだ明治か」とちょっとスルーしてしまいそうになるのは当然。


 苗字の成り立ちやら、先祖やルーツを調べるに当たっては「明治」時代はもはや最近のことで、なんなら明治生まれの人は


「会ったり話したりしたことがある」


ことだって可能な”いわば現代”なのだからである。



 なので、最初私も、スルーしかけたのだが、そこに「大きな謎」が仕込まれていたのである。



 そのお墓、祀られているのは私のおそらく先祖筋に当たる人で、



「大塚■■」


さんのお墓、と刻印されている。建立者はその人のお父さんで、


「大塚□□」


さんと、これまたこの人の苗字と名前も彫り込んであるのである。




 問題なのは、その建立年号で、


「明治三年 午二月○日」


と刻まれている。


 江戸時代から戦前までの年号は、ほぼ干支が同時に記載されているので、その表記法が、

『寛政五癸丑○月○日』

とか

『文政六癸未正月○○日』

とか

『天明二壬寅年○○月廿○日』

とか、

『明治廿一子○月○日』

とか、六十干支の場合もあれば、十二支の場合もある。”年”の文字の記載がある場合も、ない場合もある。



 
 さて、当家の場合は、年号プラス十二支バージョンだと思われる。それ自体はなんてことないのだが、


明治3年2月のお墓に「大塚だれそれ」の文字が入っていることが、



「実に面白い」



のであった。


 なぜか。


 「平民苗字許可令」(太政官布告第608号)が出たのは明治3年9月19日(1870年10月13日)のことであり、


 明治3年2月の時点では、「苗字を名乗ることはまだ許されていない」可能性が大なのである。


 ましてや、必ず苗字を名乗れ、と定められた、「苗字必称義務令」は明治8年のことである。


 だとすれば、当家大塚氏は、


「苗字を名乗れと決められてから大塚を名乗った」


のではなく、ましてや


「苗字を名乗っていいよ、と決まる前にフライングでお墓に書いて」


いるのである。



 これを、「幕末から明治草創期に、苗字を名乗る許可を受けていた」と見ることもできる。

(あるいは許可直前で統制が緩んでいた?)




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 いずれにしても、これからわかることは、


 大塚家は、江戸時代から大塚家であり、後付した苗字(いわゆる必称令によって、創作したりしたもの)ではない


ということなのである。



 という地味ではあるが派手な発見がこの夏一番の成果であった。












2017年8月24日木曜日

<調査中> 高知県の大塚さん




 高知県の氏族は、いわゆる長宗我部時代と、そのあとの山内時代で大きく変動があり、むしろ旧来の豪族達はちょっとだけ圧力をかけられていた節があるので、調べるのに苦労することが多い。


 高知土佐と言えば坂本竜馬だが、坂本家が士分を後から購入したとはいえ

 
「上士と下士」


に身分が別れていた、なんてのはよく知られた話である。



 竜馬もののドラマなんかを見ていると、いばり散らす上士と、いじめられる下士のシーンが良く出てくる。


 この待遇の違いは、簡単に言えば長宗我部の旧家臣などの古い時代の豪族や戦国武将の子孫が「下士」で、新しく統治を任された「山内一豊」ら、後から入ってきた武士達が「上士」ということになる。


 このほか土佐では、侍待遇なんだけれど、城下ではなく郡部に住んでいる「郷士」格もたくさんいたので、そのあたりは本当にややこしい。


(ちなみに土佐以外では郷士に当たる地場の戦国武将の末裔は、帰農して庄屋になったりしていることが多いので、武士身分は失っていることがある)




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 さて、というわけで、土佐にも大塚氏の記録が。


ウィキペディアより

大塚八木右衛門
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%A1%9A%E5%85%AB%E6%9C%A8%E5%8F%B3%E8%A1%9B%E9%96%80


土佐一条氏の家臣ということなので、古い時代の武家である。


土佐一条氏はバリバリの元貴族で、藤原氏の直系5摂家のひとつ。それが応仁の乱あたりに自分の荘園があった土佐へ移動してきたもので、格式が高いまま武家へと変化していった。


 戦国の争乱では、最終的には長宗我部に負けてしまうのだが、その長宗我部も・・・ねえ。




 で、大塚八木右衛門は、国侍なので中央からの下向組ではなく、元は地元の豪族であったか。


 
 現在でもこの土佐大塚氏が続いているのかは、不明。高知県の大塚さん、なにか伝承があれば教えてください!
  

<調査中> 宮城県の大塚さん



 苗字調べをしていて、北海道移住者や、開拓者などの名簿を当たっていると、「大塚氏」に出くわすことがある。




琴似兵村入植者
http://www.kotoni-works.co.jp/history/history3/history3.shtml




 今回は北海道は琴似へ移住なさった大塚氏。



 出身は宮城県の亘理郡とのことだが、亘理郡では氏族として大塚氏の記録があまり見つからない。


 その代わりに地名としての大塚が存在して、


 ■ 宮城県亘理郡亘理町長瀞大塚
  

 ■  宮城県亘理郡亘理町吉田大塚



の二箇所がすぐに見つかった。




 宮城県には、


 ■ 宮城県東松島市大塚



という地名もあり、こちらは一般的には「陸前大塚」と呼ばれている。陸前大塚駅があるので、地元の人はよくご存知だと思う。




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 逆に、大塚氏族の系譜があまり見つからないということは、地名由来の苗字なのかもしれない、と現段階では調査不足。



 宮城県の大塚さんで、ルーツをいろいろ伝承なさっている人は、ぜひお教えいただきたい。



 旧陸奥地方は、分割前が広大だったため、絞込みが難しいのが難点!!!