毎週日曜日のお楽しみ、今日の「軍師官兵衛ちゃん」の時間がやってまいりました。
今回は、
あっ!という間に九州を平定してしまい、
あっ!という間にキリシタンを禁止してしまい、
かなり、はしょった展開でしたね。
うーん、どういう配分で脚本をまとめてくるのか、ちょっと不明ですが、このままだとあっと言う間に、朝鮮出兵も終わってしまいそうです。
まあ、時節的に韓国の人たちの感情もあるので、さらっと流す気まんまんだと思いますが、そのお隣の韓国では
「鳴梁」という秀吉軍を撃退した李舜臣の映画
が大ヒット中だそうです。
対比も兼ねて、ワールドワイドな視点で、我らが官兵衛ちゃんを見てみたいところ。
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さて、話は変わって今日のメインは、やっぱり豊前宇都宮氏こと城井氏がらみの展開でしょう。
ウィキペディアより 城井氏
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9F%8E%E4%BA%95%E6%B0%8F
これから、黒田氏は豊前国へと国替えさせられるのですが、そこでジモティの城井氏と当然ぶつかることになります。
それがどういう結末になるのかは、次回をお楽しみに!といったところ。
歴史的には、これまでクリーンなイメージの強かった黒田家に、謀略の影が・・・・(おおっと!ここまで)
==========
そんな本編に対して、今日のみどころをふたつほど
① 全国の村重ちゃんファンの声援にこたえて、今日もちらみせ!
ああ!終わったと思ってたらまさかの不意打ち!思い出しシーンの形で、村重ちゃん登場です。もう!ファンサービスが良すぎるNHK!
みんなが思わず画面に釘付けになる、村重回想シーンをお見逃しなく!
② 石田三成のセクシー大作戦!
最近、秀吉とただならぬ関係を匂わせている石田三成。三成といえば、常に
衆道(男色)
のうわさが絶えぬ男です。残念ながら、ワタクシ大塚某にはそっちの趣味はないので、詳しく知りたいことはグーグル先生に聞いてください。
しかーし!
三成が秀吉の尻を揉むシーンを取り入れることで、彼の性癖を暗示しているNHK演出のすばらしさ!
そういう視点で見ると、もうそういう視点でしか見られない、罠にはまりましたな。くくく。
==========
さて、最近やや視聴率が落ちている理由がわかりました。
後半になって、
「茶々がヤヴァイ」
のは、まあ良いとして、次のほうがポイント大きいかも。
「・・・秀吉がこ、怖い」
もうなんか、演技がすごすぎて、秀吉が怖いんだか、竹中直人が怖いんだかわけわからなくなってきます。
今の秀吉の顔なら、絶対に「稲川淳二の会談より怖い」自信があります。
というわけで、大河ドラマでは存在そのものを抹殺された龍造寺家臣の大塚がお送りしました!
2014年8月31日日曜日
2014年8月30日土曜日
<姓氏家系>完全網羅 苗字 馬場姓・馬場氏・馬場さんのすべて! 全馬場氏族 由来・ルーツ 超まとめスペシャル
<改定済>
今回の記事は、九州少弐系の氏族を中心としながら、横の広がりを調査するためにまとめたものです。
全国の馬場氏・馬場さんにまつわる先祖のルーツを完全網羅しています。
抜けているもの、未調査のものは、随時加筆しています。(最終更新 2014.10.8)
☆個別の御家のルーツについてより詳しく知りたい方は、記事下部の
「苗字・名字の由来と先祖探しのアドバイスをします」
よりご依頼ください☆
==========
★ 参考文献 ★
今回のリスト制作に当たっては、以下の参考文献を元に作成した。
① 「寛政重修諸家譜」 索引ならびに影印本 近代デジタルライブラリー 国立国会図書館
http://kindai.ndl.go.jp/
② 「家紋でたどるあなたの家系」 千鹿野茂 八木書店
③ 「続・家紋でたどるあなたの家系」 千鹿野茂 八木書店
④ 「姓氏家系辞書・姓氏家系大辞典」 太田亮 近代デジタルライブラリー版
⑤ 「日本の苗字7000傑」 http://www.myj7000.jp-biz.net/
⑥ その他の資料など
==========
今回のリストは、上記参考文献を元に、全国各地に散らばる「馬場姓」「馬場氏」について、なるべく重複を避ける形でわかっていることを列記したものである。
※ 寛政譜に記載のある場合、数字においては【八木書店版】「寛政重修諸家譜」の巻数を表す。
【 】内についてはわかるかぎりの家紋を示した。
==========
A 馬場氏 清和源氏義光流武田支流 寛政譜19 【井桁】【丸に花菱】
A+ 馬場氏 甲斐国清和源氏義光流武田支流 寛政譜3 【五瓜に松皮菱】【揚葉蝶】
A+ 馬場氏 Aのうち信明支流 寛政譜19 【割り菱】【揚葉蝶】【目結】
B 馬場氏 現在は平野氏を称す、桓武平氏維将流 寛政譜20 【丸に三つ鱗】【五本骨扇】
C 馬場氏 信濃国の清和源氏為義流 寛政譜2 【笹竜胆】【釘抜】【檜扇】【外四つ環に釘抜】【隅切角に釘抜】
C? 馬場氏 為義流より木曾氏を経て馬場氏 【笹竜胆か?】
D 馬場氏 常陸国那珂郡馬場より、桓武平氏大掾氏族 寛政譜20 【丸に十五枚笹】【十曜】
D? 馬場氏 桓武平氏良文流 寛政譜20 【丸に十五枚笹】【十曜】
E 馬場氏 甲斐国教来石より、のち馬場に。寛政譜3 【割り菱】【笹竜胆】【花菱】【三つ蝶に菊】【陰陽割り菱】
F 馬場氏 近江国の宇多源氏佐々木氏族 【丸に違い角】【七宝に四つ目】
G 馬場氏 肥前少弐氏族(秀郷流武藤氏より) 【寄り懸け目結】
H 馬場氏 上加茂社家氏より出る、加茂氏末裔。
I 馬場氏 惟宗氏より忠親流・執印氏を経て馬場氏 【五本骨扇か?】
J 馬場氏 嵯峨源氏融流、上松浦党を経て馬場氏。
K 馬場氏 多々良氏より大内氏を経て馬場氏。
L 馬場氏 尾張姓熱田大宮司家より出る。
M 馬場氏 義光流、美濃佐竹氏より馬場氏。【日の丸扇】
N 馬場氏 千葉氏より出る。【九曜か?】
O 馬場氏 建部氏末裔、禰寝氏より出る。
その他馬場姓の家紋として
【片喰】
【三つ盛片喰】
【五三鬼桐】
【釘抜菱】
【七宝】
【丸に葉付切竹】
【三つ根笹】
を用いるものあり。
この他は現在調査中!
新しい発見があれば更新します。
==========
<告知です>
500円でなんでも頼めるココナラにおいて「苗字・名字の由来と先祖探しのアドバイスをします」というサービスを開始しました。
https://coconala.com/services/41874
みなさんの「名字・苗字のルーツ調べ」をさくっとお手軽にお手伝いいたします。
詳しいサービス内容は上記リンクをご参照ください。
既に何件かサポートさせていただきましたが、喜んでいただいております(^^
あなたも歴史ミステリーの扉を開いてみませんか?!
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「こんなの見たことない!」ワクワクするユニークなサービスまとめ
http://coconala.com/featured/entry/4372
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<新サービス開始>
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今回の記事は、九州少弐系の氏族を中心としながら、横の広がりを調査するためにまとめたものです。
全国の馬場氏・馬場さんにまつわる先祖のルーツを完全網羅しています。
抜けているもの、未調査のものは、随時加筆しています。(最終更新 2014.10.8)
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★ 参考文献 ★
今回のリスト制作に当たっては、以下の参考文献を元に作成した。
① 「寛政重修諸家譜」 索引ならびに影印本 近代デジタルライブラリー 国立国会図書館
http://kindai.ndl.go.jp/
② 「家紋でたどるあなたの家系」 千鹿野茂 八木書店
③ 「続・家紋でたどるあなたの家系」 千鹿野茂 八木書店
④ 「姓氏家系辞書・姓氏家系大辞典」 太田亮 近代デジタルライブラリー版
⑤ 「日本の苗字7000傑」 http://www.myj7000.jp-biz.net/
⑥ その他の資料など
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今回のリストは、上記参考文献を元に、全国各地に散らばる「馬場姓」「馬場氏」について、なるべく重複を避ける形でわかっていることを列記したものである。
※ 寛政譜に記載のある場合、数字においては【八木書店版】「寛政重修諸家譜」の巻数を表す。
【 】内についてはわかるかぎりの家紋を示した。
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A 馬場氏 清和源氏義光流武田支流 寛政譜19 【井桁】【丸に花菱】
A+ 馬場氏 甲斐国清和源氏義光流武田支流 寛政譜3 【五瓜に松皮菱】【揚葉蝶】
A+ 馬場氏 Aのうち信明支流 寛政譜19 【割り菱】【揚葉蝶】【目結】
B 馬場氏 現在は平野氏を称す、桓武平氏維将流 寛政譜20 【丸に三つ鱗】【五本骨扇】
C 馬場氏 信濃国の清和源氏為義流 寛政譜2 【笹竜胆】【釘抜】【檜扇】【外四つ環に釘抜】【隅切角に釘抜】
C? 馬場氏 為義流より木曾氏を経て馬場氏 【笹竜胆か?】
D 馬場氏 常陸国那珂郡馬場より、桓武平氏大掾氏族 寛政譜20 【丸に十五枚笹】【十曜】
D? 馬場氏 桓武平氏良文流 寛政譜20 【丸に十五枚笹】【十曜】
E 馬場氏 甲斐国教来石より、のち馬場に。寛政譜3 【割り菱】【笹竜胆】【花菱】【三つ蝶に菊】【陰陽割り菱】
F 馬場氏 近江国の宇多源氏佐々木氏族 【丸に違い角】【七宝に四つ目】
G 馬場氏 肥前少弐氏族(秀郷流武藤氏より) 【寄り懸け目結】
H 馬場氏 上加茂社家氏より出る、加茂氏末裔。
I 馬場氏 惟宗氏より忠親流・執印氏を経て馬場氏 【五本骨扇か?】
J 馬場氏 嵯峨源氏融流、上松浦党を経て馬場氏。
K 馬場氏 多々良氏より大内氏を経て馬場氏。
L 馬場氏 尾張姓熱田大宮司家より出る。
M 馬場氏 義光流、美濃佐竹氏より馬場氏。【日の丸扇】
N 馬場氏 千葉氏より出る。【九曜か?】
O 馬場氏 建部氏末裔、禰寝氏より出る。
その他馬場姓の家紋として
【片喰】
【三つ盛片喰】
【五三鬼桐】
【釘抜菱】
【七宝】
【丸に葉付切竹】
【三つ根笹】
を用いるものあり。
この他は現在調査中!
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500円でなんでも頼めるココナラにおいて「苗字・名字の由来と先祖探しのアドバイスをします」というサービスを開始しました。
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<姓氏家系>完全網羅 苗字 古賀姓・古賀氏・古賀さんのすべて! 全古賀氏族 由来・ルーツ 超まとめスペシャル
<改定済>
今回の記事は、九州少弐系の氏族を中心としながら、横の広がりを調査するためにまとめたものです。
全国の古賀氏・古賀さんにまつわる先祖のルーツを完全網羅しています。
抜けているもの、未調査のものは、随時加筆しています。 (最終更新 2014.10.8)
☆個別の御家のルーツについてより詳しく知りたい方は、記事下部の
「苗字・名字の由来と先祖探しのアドバイスをします」
よりご依頼ください☆
==========
★ 参考文献 ★
今回のリスト制作に当たっては、以下の参考文献を元に作成した。
① 「寛政重修諸家譜」 索引ならびに影印本 近代デジタルライブラリー 国立国会図書館
http://kindai.ndl.go.jp/
② 「家紋でたどるあなたの家系」 千鹿野茂 八木書店
③ 「続・家紋でたどるあなたの家系」 千鹿野茂 八木書店
④ 「姓氏家系辞書・姓氏家系大辞典」 太田亮 近代デジタルライブラリー版
⑤ 「日本の苗字7000傑」 http://www.myj7000.jp-biz.net/
⑥ その他「考証古賀家譜」etc
==========
今回のリストは、上記参考文献を元に、全国各地に散らばる「古賀姓」「古賀氏」について、なるべく重複を避ける形でわかっていることを列記したものである。
※ 寛政譜に記載のある場合、数字においては【八木書店版】「寛政重修諸家譜」の巻数を表す。
【 】内についてはわかるかぎりの家紋を示した。
==========
A 古賀氏 筑後国三潴郡古賀郷の漢帰化族(劉姓)。寛政譜22 【二重釘抜】【三つ鱗】
A 古賀氏 後漢霊帝の末裔といわれる帰化人 坂上田村麿流
B 古賀氏 肥前国の少弐氏族 秀郷流藤原氏より出る。
C 古賀氏 寛政譜にある狛氏流とされる古賀氏。佐賀藩に仕え、一部幕臣。
D 古賀氏 清和源氏武田氏流 肥前空閑邑より起こる。
E(A~D?) 古賀氏 豊前中津・宇佐に古賀氏あり。
その他古賀姓の家紋として
【梅鉢】
【五本骨日の丸扇】
【丸に枡】
を用いるものあり詳細未詳。
==========
但し、古賀姓はそもそも「空閑」=空き地、開発前の土地を意味することばから起こっており、九州地方特有の「古賀」姓のみならず、それに類した別の漢字が当てられている場合も考慮が必要です。
「古賀」・・・筑前・筑後・肥前に多い。
「空閑」・・・肥前に多い。
「古我」・・・相模にあり。
「古河」・・・下総にあり。
「小鹿」
「小賀」・・・安芸にあり。
「玖賀」・・・丹波にあり。
「玖珂」・・・周防にあり。
「久賀」・・・山城・下野・周防にあり。
「久我」・・・山城にあり。
(参考文献、『考証古賀家譜』)
このほかは、現在調査中!
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==========
今回の記事は、九州少弐系の氏族を中心としながら、横の広がりを調査するためにまとめたものです。
全国の古賀氏・古賀さんにまつわる先祖のルーツを完全網羅しています。
抜けているもの、未調査のものは、随時加筆しています。 (最終更新 2014.10.8)
☆個別の御家のルーツについてより詳しく知りたい方は、記事下部の
「苗字・名字の由来と先祖探しのアドバイスをします」
よりご依頼ください☆
==========
★ 参考文献 ★
今回のリスト制作に当たっては、以下の参考文献を元に作成した。
① 「寛政重修諸家譜」 索引ならびに影印本 近代デジタルライブラリー 国立国会図書館
http://kindai.ndl.go.jp/
② 「家紋でたどるあなたの家系」 千鹿野茂 八木書店
③ 「続・家紋でたどるあなたの家系」 千鹿野茂 八木書店
④ 「姓氏家系辞書・姓氏家系大辞典」 太田亮 近代デジタルライブラリー版
⑤ 「日本の苗字7000傑」 http://www.myj7000.jp-biz.net/
⑥ その他「考証古賀家譜」etc
==========
今回のリストは、上記参考文献を元に、全国各地に散らばる「古賀姓」「古賀氏」について、なるべく重複を避ける形でわかっていることを列記したものである。
※ 寛政譜に記載のある場合、数字においては【八木書店版】「寛政重修諸家譜」の巻数を表す。
【 】内についてはわかるかぎりの家紋を示した。
==========
A 古賀氏 筑後国三潴郡古賀郷の漢帰化族(劉姓)。寛政譜22 【二重釘抜】【三つ鱗】
A 古賀氏 後漢霊帝の末裔といわれる帰化人 坂上田村麿流
B 古賀氏 肥前国の少弐氏族 秀郷流藤原氏より出る。
C 古賀氏 寛政譜にある狛氏流とされる古賀氏。佐賀藩に仕え、一部幕臣。
D 古賀氏 清和源氏武田氏流 肥前空閑邑より起こる。
E(A~D?) 古賀氏 豊前中津・宇佐に古賀氏あり。
その他古賀姓の家紋として
【梅鉢】
【五本骨日の丸扇】
【丸に枡】
を用いるものあり詳細未詳。
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但し、古賀姓はそもそも「空閑」=空き地、開発前の土地を意味することばから起こっており、九州地方特有の「古賀」姓のみならず、それに類した別の漢字が当てられている場合も考慮が必要です。
「古賀」・・・筑前・筑後・肥前に多い。
「空閑」・・・肥前に多い。
「古我」・・・相模にあり。
「古河」・・・下総にあり。
「小鹿」
「小賀」・・・安芸にあり。
「玖賀」・・・丹波にあり。
「玖珂」・・・周防にあり。
「久賀」・・・山城・下野・周防にあり。
「久我」・・・山城にあり。
(参考文献、『考証古賀家譜』)
このほかは、現在調査中!
==========
<告知です>
500円でなんでも頼めるココナラにおいて「苗字・名字の由来と先祖探しのアドバイスをします」というサービスを開始しました。
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みなさんの「名字・苗字のルーツ調べ」をさくっとお手軽にお手伝いいたします。
詳しいサービス内容は上記リンクをご参照ください。
既に何件かサポートさせていただきましたが、喜んでいただいております(^^
あなたも歴史ミステリーの扉を開いてみませんか?!
==========
<特集で紹介されました~>
「こんなの見たことない!」ワクワクするユニークなサービスまとめ
http://coconala.com/featured/entry/4372
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<新サービス開始>
「戦国武将・歴史上の人物に出会う旅! ~あなたと偉人を繋げます~」
https://coconala.com/services/47988
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2014年8月24日日曜日
<話題>今日の軍師官兵衛ちゃん どこかで誰かが上條恒彦
どこかで~♪ 誰かが~♪
そんな懐かしいメロディで始まった今日の官兵衛ちゃん!(違うわ)
そうです。大友宗麟役でしょっぱなから登場したのは、我らが上條恒彦!いい俳優さんを使ってますね~!
ちなみに、若い人は知らないかもしれませんが、上條恒彦が歌う「誰かが風の中で」はかの
木枯らし紋次郎
のテーマ曲です。
そもそも木枯らし紋次郎を知らない?! 長い楊枝をくわえた旅姿のおっさんの話です。
==========
さて、上條恒彦さんといえば、私が高校生の頃、「阿国」というミュージカル(木の実ナナ主演)をやっておりまして、以来ファンでございます。
「声のでかさで四条を制す」
というセリフにはまりましたな。
ちなみに、大学時代研究テーマが「江戸の演劇」になったのも、もしかしたら上條恒彦効果だったかもしれません。
さて、今日の主人公の一人、大友宗麟は豊後の戦国大名、祖先大友氏は、少弐氏のいとこです。
もともと同族と言ってよい少弐系と大友系ですが、お約束どおり親族同士喧嘩しまくりなので、戦国期にはすでに誰が敵で誰が味方かよくわからんようになってしまっていました。
(このあたりは、赤松系の内紛とかとよく似ています)
そこへ薩摩から島津軍団が北部九州へ攻め上ってきたので、大慌て!というわけ。
島津軍団にはあのくまモン隆信も殺されていますので、 その隙に筑後奪回をめざすも、また島津に追い詰められる、という
いろいろとドツボ
状態のまま秀吉軍を迎え入れることに。
しかし、不思議なのは「大友宗麟」はキリシタン大名なのに、なぜか仏教の法号である
宗麟
で呼ばれることが多く、本人も不本意なことでしょう。
ここはいっそ、洗礼名である
ドン・大友(小西)
とか
大友フランシスコ
と呼んであげるべきでしょう。
本人は
「”フラン大友”と呼んで(はあと)」
と言っていたとかいないとか(笑)
==========
ちなみに、今日の影の主役だった吉川元春は、四十五を過ぎても足でシンバルを蹴り上げるという・・・・
ちがーう!
それは吉川晃司!
というお約束のギャグをおりまぜつつ、実に「かっこいい役」で出ておりました(^^
それもそのはず、吉川晃司は吉川氏のマジ子孫だそうで。
詳細はウィキペディアをご参照くださいね!
吉川元春
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%B7%9D%E5%85%83%E6%98%A5
そんな懐かしいメロディで始まった今日の官兵衛ちゃん!(違うわ)
そうです。大友宗麟役でしょっぱなから登場したのは、我らが上條恒彦!いい俳優さんを使ってますね~!
ちなみに、若い人は知らないかもしれませんが、上條恒彦が歌う「誰かが風の中で」はかの
木枯らし紋次郎
のテーマ曲です。
そもそも木枯らし紋次郎を知らない?! 長い楊枝をくわえた旅姿のおっさんの話です。
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さて、上條恒彦さんといえば、私が高校生の頃、「阿国」というミュージカル(木の実ナナ主演)をやっておりまして、以来ファンでございます。
「声のでかさで四条を制す」
というセリフにはまりましたな。
ちなみに、大学時代研究テーマが「江戸の演劇」になったのも、もしかしたら上條恒彦効果だったかもしれません。
さて、今日の主人公の一人、大友宗麟は豊後の戦国大名、祖先大友氏は、少弐氏のいとこです。
もともと同族と言ってよい少弐系と大友系ですが、お約束どおり親族同士喧嘩しまくりなので、戦国期にはすでに誰が敵で誰が味方かよくわからんようになってしまっていました。
(このあたりは、赤松系の内紛とかとよく似ています)
そこへ薩摩から島津軍団が北部九州へ攻め上ってきたので、大慌て!というわけ。
島津軍団にはあのくまモン隆信も殺されていますので、 その隙に筑後奪回をめざすも、また島津に追い詰められる、という
いろいろとドツボ
状態のまま秀吉軍を迎え入れることに。
しかし、不思議なのは「大友宗麟」はキリシタン大名なのに、なぜか仏教の法号である
宗麟
で呼ばれることが多く、本人も不本意なことでしょう。
ここはいっそ、洗礼名である
ドン・大友(小西)
とか
大友フランシスコ
と呼んであげるべきでしょう。
本人は
「”フラン大友”と呼んで(はあと)」
と言っていたとかいないとか(笑)
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ちなみに、今日の影の主役だった吉川元春は、四十五を過ぎても足でシンバルを蹴り上げるという・・・・
ちがーう!
それは吉川晃司!
というお約束のギャグをおりまぜつつ、実に「かっこいい役」で出ておりました(^^
それもそのはず、吉川晃司は吉川氏のマジ子孫だそうで。
詳細はウィキペディアをご参照くださいね!
吉川元春
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%B7%9D%E5%85%83%E6%98%A5
2014年8月22日金曜日
<92-2・姓氏家系>九州北部の苗字スペシャル!少弐氏末裔・子孫の姓氏・苗字総まとめ!
前回に引き続いて九州中世のビッグネーム「少弐氏」とそこから分かれた各諸氏について紹介する今回の記事。
判明分ごとに詳細を追加してゆくのでお楽しみに!!
(2014.8.23判明分)
基礎資料
『北肥戦誌』によれば
「九州には肩を並べる者がなく、子孫は次第に繁栄し、朝日・窪・出雲・平井・馬場・山井・志賀・大塚・加茂・吉田と名字が分かれる。一門はそれぞれ肥筑地方に蔓延って大勢の者となった」
との記載があります。
◇「少弐」さん
現在も九州に残る少弐姓、苗字の由来はもちろん大宰少弐の官職による「武藤少弐」の系列だと考えられます。
戦国武将・戦国大名としての少弐本流は滅び、大半の子孫は「武藤」に苗字を戻していますが、「少弐」姓のまま現代にいたる家系も。
福岡県から山口県にかけて現在も分布している苗字だそうです。
◇「武藤」さん
少弐氏の本来の苗字、それが「武藤」氏です。少弐本流が滅びた後、苗字を武藤に戻している家系がおおいとのこと。「少弐さん」の項を参照のこと。
◇「朝日」さん
少弐盛経の子の少弐資法が祖とされています。佐賀県朝日山城を拠点としましたが、本流は断絶しています。
ウィキペディアを参照のこと。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%B0%8F
◇「横岳」さん
少弐貞頼の子頼房が文安元年(1444)、肥前国三根郡西島を拠点として横岳を称したことからはじまります。
播磨屋さんのサイトを参照のこと。
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/yokotake.html
◇「平井」さん
少弐資頼の次男盛氏の子経氏が平井と改姓し肥前に移ったとされています。
室町時代には千葉氏家臣となったことが、佐賀県杵島郡白石町のサイトに示されています。
白石町ウェブサイト
http://www.town.shiroishi.lg.jp/view.php?pageId=2298
◇「馬場」さん
少弐貞経の息子「少弐経員」から始まり、佐賀県綾部城近辺を拠点としました。(現みやき町)
系譜の詳細は「大塚さん」の項を参照のこと。
◇「大塚」さん
当ブログにて追跡中の、少弐系大塚氏は、3系統見つかっています。
① 佐賀の大塚家に伝わる系譜では、少弐冬資の弟、資俊から-某-資忠-資家-俊氏と続き、この少弐俊氏が嘉吉元年に佐賀、三根郡大塚村に来て大塚と名乗ったとのこと。
家紋は、靠目結を略して釘抜の紋に変えたそうです。出典は『武藤少弐興亡史 渡辺文吉著 海鳥社1989』
② 『歴代鎮西志』によると、
『少弐貞経入道妙恵に5人の男子があった。頼尚は世継ぎであり、次男は馬場肥前守経員と号した。三男は頼賢である。四男貞衡は大塚氏を称した。五男は僧宗応』
という系譜で、少弐貞衡から大塚氏がはじまります。
③ 『肥前旧事続編料』によれば、
『永正9年、佐賀本庄神社の宮司別当大塚新右衛門藤原重家という人物がいたが、あるいはこの家は現在は絶えていて、今の大塚氏は與賀神社神官千布氏の次男が家を継いで大塚と称している』
という話が伝わっています。
◇「吉田」さん
少弐資頼の弟宗平の子孫の頼宗が、規矩郡(現在の北九州市小倉近辺)吉田村を開発して土着し吉田を称したことにはじまります。下記サイト参照のこと。
企救の里のサイト
http://www.geocities.jp/kikunosato2005/sub1a.html
◇「古賀」さん
少弐氏系の古賀氏の系譜です。
『永正3年、少弐重房が穂波郡弥山に隠れて、はじめて古賀氏を称し、その子、古賀重儀が天文23年に上座郡に移住、平松村を興した』
という話が、『考証古賀家譜・S13古賀氏同族会』に記されています。
==========
判明分ごとに詳細を追加してゆくのでお楽しみに!!
(2014.8.23判明分)
基礎資料
『北肥戦誌』によれば
「九州には肩を並べる者がなく、子孫は次第に繁栄し、朝日・窪・出雲・平井・馬場・山井・志賀・大塚・加茂・吉田と名字が分かれる。一門はそれぞれ肥筑地方に蔓延って大勢の者となった」
との記載があります。
◇「少弐」さん
現在も九州に残る少弐姓、苗字の由来はもちろん大宰少弐の官職による「武藤少弐」の系列だと考えられます。
戦国武将・戦国大名としての少弐本流は滅び、大半の子孫は「武藤」に苗字を戻していますが、「少弐」姓のまま現代にいたる家系も。
福岡県から山口県にかけて現在も分布している苗字だそうです。
◇「武藤」さん
少弐氏の本来の苗字、それが「武藤」氏です。少弐本流が滅びた後、苗字を武藤に戻している家系がおおいとのこと。「少弐さん」の項を参照のこと。
◇「朝日」さん
少弐盛経の子の少弐資法が祖とされています。佐賀県朝日山城を拠点としましたが、本流は断絶しています。
ウィキペディアを参照のこと。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%B0%8F
◇「横岳」さん
少弐貞頼の子頼房が文安元年(1444)、肥前国三根郡西島を拠点として横岳を称したことからはじまります。
播磨屋さんのサイトを参照のこと。
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/yokotake.html
◇「平井」さん
少弐資頼の次男盛氏の子経氏が平井と改姓し肥前に移ったとされています。
室町時代には千葉氏家臣となったことが、佐賀県杵島郡白石町のサイトに示されています。
白石町ウェブサイト
http://www.town.shiroishi.lg.jp/view.php?pageId=2298
◇「馬場」さん
少弐貞経の息子「少弐経員」から始まり、佐賀県綾部城近辺を拠点としました。(現みやき町)
系譜の詳細は「大塚さん」の項を参照のこと。
◇「大塚」さん
当ブログにて追跡中の、少弐系大塚氏は、3系統見つかっています。
① 佐賀の大塚家に伝わる系譜では、少弐冬資の弟、資俊から-某-資忠-資家-俊氏と続き、この少弐俊氏が嘉吉元年に佐賀、三根郡大塚村に来て大塚と名乗ったとのこと。
家紋は、靠目結を略して釘抜の紋に変えたそうです。出典は『武藤少弐興亡史 渡辺文吉著 海鳥社1989』
② 『歴代鎮西志』によると、
『少弐貞経入道妙恵に5人の男子があった。頼尚は世継ぎであり、次男は馬場肥前守経員と号した。三男は頼賢である。四男貞衡は大塚氏を称した。五男は僧宗応』
という系譜で、少弐貞衡から大塚氏がはじまります。
③ 『肥前旧事続編料』によれば、
『永正9年、佐賀本庄神社の宮司別当大塚新右衛門藤原重家という人物がいたが、あるいはこの家は現在は絶えていて、今の大塚氏は與賀神社神官千布氏の次男が家を継いで大塚と称している』
という話が伝わっています。
◇「吉田」さん
少弐資頼の弟宗平の子孫の頼宗が、規矩郡(現在の北九州市小倉近辺)吉田村を開発して土着し吉田を称したことにはじまります。下記サイト参照のこと。
企救の里のサイト
http://www.geocities.jp/kikunosato2005/sub1a.html
◇「古賀」さん
少弐氏系の古賀氏の系譜です。
『永正3年、少弐重房が穂波郡弥山に隠れて、はじめて古賀氏を称し、その子、古賀重儀が天文23年に上座郡に移住、平松村を興した』
という話が、『考証古賀家譜・S13古賀氏同族会』に記されています。
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2014年8月21日木曜日
<93・番外編>あめがた(飴形)のナゾを解け! 龍造寺支配エリアとの不思議な関連?!
ついこないだまでなーんにも思わなかったのだが、ふとひらめいた不思議なことを思いついたので書いておこうと思う。
当ブログの最初のほうで「柳川のまち」について触れたりしたこともあるが、
<4>水郷 柳川
http://samurai-otsuka.blogspot.jp/2013/12/blog-post_3812.html
当家(本家)は柳川にも近いので(当たり前だ三潴地方だもん)遊びに出かけたり、うなぎを食べにいったりすることは多いのである。
そして、私がほんの子どもの頃から、実家には常に置いてあり、また関西へもわざわざ送ってくれていたのが
「大松下のあめ」
という飴であった。
大松下飴本舗 (店主 古賀さん)
http://www.omatusita.com/
どんなのかというと、
こんなの。(画像は大松下飴本舗さんより転載です)
この飴は、もち米と麦芽だけで作っており、砂糖を入れて甘くしているわけではない。
(でも、めちゃくちゃ甘い)
麦芽から糖ができ、発酵させるとビールとなったり、糖から水あめができたりするのはご存知のとおり。
それがもち米と組み合わさって最高の飴ができあがる。
この飴、叩くと割れるくらい「硬い」のに、伸びたり曲がったりするくらい「やわらかい」という不思議な性質をもっている。
このナゾ加減は、実際に食べたものしかわからない(笑)
==========
さて、ここからが本題。この大松下のあめ、実家では「あめがた」と呼んでいる。
おそらく地元周辺の人は、みな「飴形(あめがた)」という名前でこの飴を認知していると思うのだが、この
「あめがた」
というキーワードで探ってゆくことにする。
なぜか?
それは、大松下の飴さん以外に、あめがたを製造販売しているところをピックアップすると不思議なことがわかってくるのである。
==========
「徳永飴 総本舗」
http://www.tokunagaame.com/
アマゾンでもYahoo!でも買えるという最も入手しやすい「あめがた」のお店。佐賀市金立町薬師丸。店主 江口さん。江戸後期創業。
「徳永飴本家」
http://www.its-mo.com/c/%E5%BE%B3%E6%B0%B8%E9%A3%B4%E6%9C%AC%E5%AE%B6/DIDX_DKE,6119323/
上のお店と親戚筋にあたるらしい。おなじく佐賀市金立町徳永。店主 江口さん。江戸期創業。
「小笠原商店」
http://www.e-ame.com/info_meika.html
麦芽系の飴(水あめ)がメインのお店だが「あめがた」も製造。佐賀県鹿島市高津原。店主 藤田さん。文政5年(1822)創業。
「あめがた屋」
http://www.spa-u.net/shopping.html?id=22&cate=5
嬉野温泉にあるあめがた店。佐賀県嬉野市嬉野町下宿乙。店主 中村さん。
ここまでが現存する飴形専門店。大松下のあめ以外、全部佐賀というのが面白い。
さて、ここからさらに面白くなってくるのである!
以下は、別の地域のあめがたにまつわる話を拾い上げてみた。
「筑後飴 磯家食品」
http://www.isoyashokuhin.com/
今はあめがたを作っていないが、昭和13年ごろあめがた製造。福岡県三潴郡大木町横溝。店主 磯野さん。
「赤坂飴本舗」
http://www.crossroadfukuoka.jp/jp/event/?mode=detail&isSpot=1&id=400000005997
明治15年創業。筑後市蔵数。まだあめがた販売中。
「八女市のあめがた祭」
http://www.city.yame.fukuoka.jp/kankou/yame/yanajima.html
こちらは、店舗ではなく「祭」の説明。”柳島の十七夜”というのが正式。
その昔、黒木城主の奥さんが観音像を抱いて矢部川に身を投げ、それを飴形売りが拾ってあめがたを備えて供養したという伝説があるのであめがた祭。福岡県八女市柳島。
「あめがたや」
http://www.its-mo.com/c/%E3%81%82%E3%82%81%E3%81%8C%E3%81%9F%E3%82%84/DIDX_DKE,5577266/
長崎の魚屋さん。今もあるかどうか不明。屋号は「あめがたや」なので、もともと飴形を売っていたと思われる。長崎県北松浦郡小値賀町笛吹郷。
==========
ここまでリストアップしてくると、当ブログのファンの方は、なんとなくピンとくるに違いない。
そうなのだ。
まず、あめがた文化のスタートはおそらく佐賀であり、柳川などの筑後系あめがたはそれに続いて広がっていることがわかる。
そして、面白いことに、あめがたが北部九州に放射状に広がっているというよりも、
龍造寺くまもん支配エリア
に伝播しているという可能性が高いのだ!!!
位置関係を整理しよう。
長崎県小値賀町は離島なのでちょっとほっとくが、松浦あたりまで「あめがた」が存在していた証拠として仮置きしておく。
まず、西から嬉野・そして鹿島・佐賀と有明海を回るように東へ向かう。そして、大木町・柳川・八女市と有明海沿いに回ってゆく。(ただし、海岸線ではない。米と麦がとれないと飴はできないので穀倉地帯をめぐるルートだ)
これが、飴形ロードなのだ!
黒木城がらみの話は、もうちょっと検証しなくてはならない部分があるが、少なくとも黒木氏は
龍造寺家臣
である。柳川も当然蒲池エリアで龍造寺家臣、大木町横溝も、柳川城を建てた蒲池治久の弟の城「横溝城」があったところなのだ。
もちろん、戦国時代に飴形があるわけもなく、いわゆる飴文化は江戸期より栄えることになるので、少し時代錯誤がある。
しかし、佐賀と筑後の一部に文化的近縁性がみられることが、実に興味深い。
このあたりのナゾ、誰か論文にしてみませんか?(笑)
P.S. 個人的には、あめがたと朝鮮飴(長生飴)の関係についても気になる。
当ブログの最初のほうで「柳川のまち」について触れたりしたこともあるが、
<4>水郷 柳川
http://samurai-otsuka.blogspot.jp/2013/12/blog-post_3812.html
当家(本家)は柳川にも近いので(当たり前だ三潴地方だもん)遊びに出かけたり、うなぎを食べにいったりすることは多いのである。
そして、私がほんの子どもの頃から、実家には常に置いてあり、また関西へもわざわざ送ってくれていたのが
「大松下のあめ」
という飴であった。
大松下飴本舗 (店主 古賀さん)
http://www.omatusita.com/
どんなのかというと、
こんなの。(画像は大松下飴本舗さんより転載です)
この飴は、もち米と麦芽だけで作っており、砂糖を入れて甘くしているわけではない。
(でも、めちゃくちゃ甘い)
麦芽から糖ができ、発酵させるとビールとなったり、糖から水あめができたりするのはご存知のとおり。
それがもち米と組み合わさって最高の飴ができあがる。
この飴、叩くと割れるくらい「硬い」のに、伸びたり曲がったりするくらい「やわらかい」という不思議な性質をもっている。
このナゾ加減は、実際に食べたものしかわからない(笑)
==========
さて、ここからが本題。この大松下のあめ、実家では「あめがた」と呼んでいる。
おそらく地元周辺の人は、みな「飴形(あめがた)」という名前でこの飴を認知していると思うのだが、この
「あめがた」
というキーワードで探ってゆくことにする。
なぜか?
それは、大松下の飴さん以外に、あめがたを製造販売しているところをピックアップすると不思議なことがわかってくるのである。
==========
「徳永飴 総本舗」
http://www.tokunagaame.com/
アマゾンでもYahoo!でも買えるという最も入手しやすい「あめがた」のお店。佐賀市金立町薬師丸。店主 江口さん。江戸後期創業。
「徳永飴本家」
http://www.its-mo.com/c/%E5%BE%B3%E6%B0%B8%E9%A3%B4%E6%9C%AC%E5%AE%B6/DIDX_DKE,6119323/
上のお店と親戚筋にあたるらしい。おなじく佐賀市金立町徳永。店主 江口さん。江戸期創業。
「小笠原商店」
http://www.e-ame.com/info_meika.html
麦芽系の飴(水あめ)がメインのお店だが「あめがた」も製造。佐賀県鹿島市高津原。店主 藤田さん。文政5年(1822)創業。
「あめがた屋」
http://www.spa-u.net/shopping.html?id=22&cate=5
嬉野温泉にあるあめがた店。佐賀県嬉野市嬉野町下宿乙。店主 中村さん。
ここまでが現存する飴形専門店。大松下のあめ以外、全部佐賀というのが面白い。
さて、ここからさらに面白くなってくるのである!
以下は、別の地域のあめがたにまつわる話を拾い上げてみた。
「筑後飴 磯家食品」
http://www.isoyashokuhin.com/
今はあめがたを作っていないが、昭和13年ごろあめがた製造。福岡県三潴郡大木町横溝。店主 磯野さん。
「赤坂飴本舗」
http://www.crossroadfukuoka.jp/jp/event/?mode=detail&isSpot=1&id=400000005997
明治15年創業。筑後市蔵数。まだあめがた販売中。
「八女市のあめがた祭」
http://www.city.yame.fukuoka.jp/kankou/yame/yanajima.html
こちらは、店舗ではなく「祭」の説明。”柳島の十七夜”というのが正式。
その昔、黒木城主の奥さんが観音像を抱いて矢部川に身を投げ、それを飴形売りが拾ってあめがたを備えて供養したという伝説があるのであめがた祭。福岡県八女市柳島。
「あめがたや」
http://www.its-mo.com/c/%E3%81%82%E3%82%81%E3%81%8C%E3%81%9F%E3%82%84/DIDX_DKE,5577266/
長崎の魚屋さん。今もあるかどうか不明。屋号は「あめがたや」なので、もともと飴形を売っていたと思われる。長崎県北松浦郡小値賀町笛吹郷。
==========
ここまでリストアップしてくると、当ブログのファンの方は、なんとなくピンとくるに違いない。
そうなのだ。
まず、あめがた文化のスタートはおそらく佐賀であり、柳川などの筑後系あめがたはそれに続いて広がっていることがわかる。
そして、面白いことに、あめがたが北部九州に放射状に広がっているというよりも、
龍造寺くまもん支配エリア
に伝播しているという可能性が高いのだ!!!
位置関係を整理しよう。
長崎県小値賀町は離島なのでちょっとほっとくが、松浦あたりまで「あめがた」が存在していた証拠として仮置きしておく。
まず、西から嬉野・そして鹿島・佐賀と有明海を回るように東へ向かう。そして、大木町・柳川・八女市と有明海沿いに回ってゆく。(ただし、海岸線ではない。米と麦がとれないと飴はできないので穀倉地帯をめぐるルートだ)
これが、飴形ロードなのだ!
黒木城がらみの話は、もうちょっと検証しなくてはならない部分があるが、少なくとも黒木氏は
龍造寺家臣
である。柳川も当然蒲池エリアで龍造寺家臣、大木町横溝も、柳川城を建てた蒲池治久の弟の城「横溝城」があったところなのだ。
もちろん、戦国時代に飴形があるわけもなく、いわゆる飴文化は江戸期より栄えることになるので、少し時代錯誤がある。
しかし、佐賀と筑後の一部に文化的近縁性がみられることが、実に興味深い。
このあたりのナゾ、誰か論文にしてみませんか?(笑)
P.S. 個人的には、あめがたと朝鮮飴(長生飴)の関係についても気になる。
2014年8月19日火曜日
<92-1・姓氏家系>北部九州の苗字スペシャル まずは少弐氏! 少弐末裔子孫総まとめ!
今回は、少弐末裔を自称する大塚某が、じっくりじんわりと調査した「少弐子孫スペシャル!」をお届けします。
福岡・佐賀・長崎など、九州の北部から中部にかけて広がっているはずの「少弐氏の子孫」を明らかにする大特集!
もしかしたら、あなたの苗字があるかもしれません!
まずは、前半戦。少弐氏の歴史について振り返っておきましょう。
『少弐氏とは』
時は平安時代の末から鎌倉時代にかけて、武藤頼平という武将がおりました。
武藤とは「武蔵の国に拠点をもつ藤原氏」の意味で、藤原北家の出、藤原秀郷の子孫とも藤原道長の子孫とも言われています。
頼平は、平安時代末期「武者所」に就き、のち源頼朝に従い、鎌倉幕府御家人となります。
その頼平の養子となったのが武藤資頼、この武将ははじめ平氏方にいたものの、これまた源頼朝の御家人となります。
ちなみに頼平の本姓は「藤原」ですから、本名は「藤原頼平」となります。この藤原頼平のお兄ちゃんに「藤原能成」がおり、彼は近藤能成を名乗ります。
その息子「藤原能直」は、母方の領地、相模国足柄上郡大友郷を領してから大友能直を名乗ります。
血縁関係はないものの、家柄的にはいとこである「武藤資頼」と「大友能直」の二人は、このあと激動の九州史を率いてゆくことになるのです。
~~~~~~~~~~~~
時は建久年間(1190~)のこと。1192いいくにつくろう鎌倉幕府が始まってまもないこの時期に、資頼と能直の義理のいとこ同士の二人は、そろって九州行きを命じられます。
資頼は大宰府少弐職、能直は資頼と一緒に鎮西奉行に就任、また、それぞれ北部九州の守護職なども歴任するようになるのでした。
これをもって、藤原資頼かつ武藤資頼は「少弐氏」の祖、藤原能直かつ大友能直は「(豊後)大友氏」の祖となります。
少弐氏、大友氏ともこのあと激動の南北朝・戦国時代をフルスロットルで駆け抜けてゆくことになるですが、それはまた別のお話。
『少弐氏の子孫たち・庶家・支流・分家』
朝日
出雲
安永
窪〔久保〕
吉田
西
山井
志賀
加茂
城
堀
平井
肥後
横岳
馬場
早良
筑紫
島
大塚
倉町
関
平原
宗
など 古樹紀之房間さんより引用
http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/keihu/sizokugairan/fujiwarag.htm
『大友氏の子孫たち・庶家・支流・分家』
立花
戸次
田原
志賀
田北
託磨
臼杵
入田
吉弘
堤
木付
清田
など ウィキペディアより引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%8F%8B%E6%B0%8F
朝日
出雲
安永
窪〔久保〕
吉田
西
山井
志賀
加茂
城
堀
平井
肥後
横岳
馬場
早良
筑紫
島
大塚
倉町
関
平原
宗
など 古樹紀之房間さんより引用
http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/keihu/sizokugairan/fujiwarag.htm
『大友氏の子孫たち・庶家・支流・分家』
立花
戸次
田原
志賀
田北
託磨
臼杵
入田
吉弘
堤
木付
清田
など ウィキペディアより引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%8F%8B%E6%B0%8F
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