2015年5月30日土曜日

<日常>自治会活動と戦国時代?!

 みなさまおひさしぶりです。

 氏族・おうち・苗字関係はしばらく更新が出来ておりませんが、ぼちぼち頑張っております。

 とはいえ、当家大塚家については、新しい情報が次々出てくるわけでもなく、そろそろまた現地に言って調べモノをしないといけないなあ、と悩み中。


 というのも、今年に関しては、自治会の役員をしているので、忙しくて身動きがとれない!のでございます(苦笑)


 さて、この「自治会活動」とやら。役員になる前も、班長(組長)を仰せつかったり、いわゆる持ち回りの役をしたことはあるのですが、正直


めんどくせえなあ


くらいにしか考えておりませんでした(^^;


 ところが、苗字調べ、家系調べ、戦国調べをしているうちに、「自治会」に対しての考え方も大きく変化するようになったのです。


 自治会とはそもそも何か。ふつうの人は、


「なんかよくわからんけど、みんなで決め事をしたり行事をやったり、順番で何かをしたり掃除に出ないと罰金みたいなもの」


と思っておられると思いますが、いやいや、そうではありません。


 戦国時代について詳しくなってくると、見方そのものが変わります。


「自分の家とはすなわちわが城、わが領地であり、戦国領主としての主権を発揮し、武将1人では戦えないので、国人領主集団として力を合わせて敵と戦うものである!」


と(爆笑)。敵ってなんだ?!敵って。




 そもそも、どこの村にでもある「日役」という”労働で参加するムラへの活動”というのは、原始的な形をとどめた


租・庸・調の庸


に他なりません。教科書で習った律令時代の名残なのです(笑)


 ちなみに、祖は、所得税です。もともとは米収穫量の3%~10%です。うーん、今でも所得税・住民税が10%くらいとられるのは、ここから来ているのか(^^


 それから庸が、「労役」で払う税金です。本来は京へ行って体で奉仕するものでしたが、のちには布で納めたり、米や農産物で支払うことも可能になりました。

 それで、今でも「ムラの掃除を休むといくらか取られる」わけです(^^

 ついでに調は、本来は布で納めましたが、特産物や貨幣でもOKになったようです。




 まあ、そんな風に、天皇・朝廷を中心とした律令時代から始まって、教科書に出てきた


 墾田永年私財法


により、自分の土地を所有してもよくなったワタシたちは、現代においても「領主」として、土地を所有しマチ・ムラに住んでいるわけで。


 やはり、領主には領地と領民を守り、経営してゆく責任というものがありますから、国人領主層は力を合わせて、と戦わねばならんわけです。


 だから、自治会における「敵」ってなんなんだ?!(笑)


 それはつまりですね。道路にはみ出して村人を襲う樹木をどうするかとか、公園を不法占拠しようとしている草木と戦うとか、村を埋め尽くそうとするゴミや落ち葉と戦うとか、季節ごとに領民を喜ばす祭りを開催するとか、そういうことです(笑)



 それだけではありません。われら国人領主に対して、将軍家なのか幕府なのか守護地頭なのかはわかりませんが、


「社会福祉協議会の協力金を上納せよ」

とか、

「日本赤十字の寄付金を募ってまわれ」

とか、

あんなことやこんなことをお上は言ってくるので、その対応もせねばならんのです。



 さすがに、となりムラ・となりマチとの戦いはないだろうと思っていたら、そんなことはありません!


 わがニュータウン郡は、領主領民の数が多いので、拠出金をたくさん地域に出しているのですが、領主領民が少ない田舎郡は少ない金額しかお金を出していないのに、地域の出費はむしろ本来地元である田舎郡に対して使われている比率が多いとかで、


「もともと本領である守護地頭層と、新しい戦国領主層との間で、こっちのほうが金出してるんじゃい!いや、うちらのほうが古いんじゃい、よそもんが!の戦い」


が行われているのです。



 いやー、戦国ですね。



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 冗談はともかく、自治会活動とか、ムラとかマチのルールに対しては


「なんか知らんけど自治会に文句言っとけ」とか「自治会がなんとかしてくれるんかいのう」といった、行政に対するような


「なんかよくわからんけど、サービスをしてくれそうな存在」


という誤解をしている人が大変に多いです。


 いえいえ、そうではなく。受身ではなく、


「わしら武将の力を合わせて、敵を蹴散らすんじゃボケー!」


という本来の領主層の集合体を意識してもらうと、自治会活動はいきなり効果を挙げたり、パワーアップしたりするものです。


 というわけで、今年大塚某は、わが自治会の先陣を任されましたので、切り込み隊長として日々他の戦国領主たちや幕府方の武将としのぎを削っているわけです。



(これを正式に表現すると、自治会役員の総務部長になったので、地域の会議に出たり、市役所と折衝したりしている、ということです(笑))




 さあ、任期も中ごろになりましたが、そろそろ隠居引退したい今日この頃(笑)あと半年、頑張ります!


 黒田長政に家中を任せて自分は早々に隠居を願い出た官兵衛の気持ちが、いまならわかる!!!


 領主は大変なのです(^^;;




 






2015年5月11日月曜日

<104>豊前と河童と大塚氏 ~水曜スペシャル!ゆけゆけ大塚庄右衛門~

 その昔、テレビの水曜スペシャル「川口浩探検隊」なるものが一世を風靡したことがありました(笑)


 知ってる人は、ここでクスッと笑顔になるところですが、知らない人のために。


 川口浩探検隊、は全部で40回近く放映された人気シリーズで、前人未踏のジャングルをさまよったり、人食いなんとかとか吸血なんとかとか、原始人とか魔獣とか怪鳥を求めて探検しまくるという


 お約束な感じのドキュメンタリーという名のバラエティ


です(^^


 その川口浩探検隊がどれくらい面白かったかについては、あの嘉門達夫さんが名曲


「ゆけゆけ川口浩」



 を残してくださっているので、ぜひご参考まで。


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 で、そんな川口浩ネタを交えながら、今回はなんと

「豊前と河童と大塚氏」

ということで、


「怪異!ギョエー!豊前の山奥で魔の河童に遭遇!」

「奥地で宙を舞う謎の怪魚!巨大ナマズが棲む魔の渕!」

「幻覚に襲われた探検隊!正気を取り戻す秘法!」


の三本立てでお届けしようと思います(爆)


 はい。ここからはまじめにやります!


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 江戸時代の幕臣に岡村良通という人物がいて、その人が書いたらしい


「寓意草」


という説話集だかなんだかよくわからない本があるのですが、 そこにこんな話が出てきます。


① 河童のはなし

相撲評論家の頁さんのサイト(坪田さま)
 http://tsubotaa.la.coocan.jp/chrono/guuisou.html


”寓意草” ・・・豊前の国、小笠原信濃守の家臣で大塚庄右衛門という人と、その従兄弟の瀬川藤助という人がおり、河童と相撲をとったぜ、という話。

 
 座敷浪人の壷蔵さんのサイトに 概略あり。
 http://home.att.ne.jp/red/sronin/_koten/0439kappa2dai.htm




 ② ナマズのはなし


 座敷浪人さんのサイトにまたまた大塚庄右衛門と瀬川藤助登場。
 http://home.att.ne.jp/red/sronin/_koten/0625hikounamazu.htm

 ・・・こっちは空とぶナマズの話です。30m飛ぶそうですが、それにしてもこの従兄弟コンビは何者なんだ?!(笑)


③ キツネのはなし

  不思議草紙さんのサイト
 http://ameblo.jp/fushigisoshi/entry-10292885916.html


 を見ると、またまたまた大塚庄右衛門が出てきます。

 ・・・今度は、キツネに化かされそうになったら麦飯を「ほら食べろ!」と差し出したらいい、みたいなネタ。


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 とまあ、こんな感じで大塚庄右衛門は只者ではなさそうです。

 ちなみに、不思議草紙さんのサイトでも紹介されていますが、作者の岡村良通は、幕臣で書物奉行だとか。しかし、これにはいろんな裏がありそうで、


風雲児たち人物辞典 さん
http://huuunji.sakura.ne.jp/MAIN/gengobe.html


によると、勢力争いに巻き込まれて公の歴史ではスルーされてしまった方のようです。


 というわけで、どうして岡村良通が


「大塚庄右衛門LOVE」


なのかは、よくわかりません。


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 しかし、追いかけるべきポイントはありそうです。大塚庄右衛門と瀬川藤助が使えていた


小笠原信濃守


とは、誰なのか。


 ウィキ小笠原氏によると

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%AC%A0%E5%8E%9F%E6%B0%8F

 
 信濃小笠原氏の一族が、大阪の陣の後から江戸時代にかけて、

「豊前小倉・豊前中津・豊前小倉新田」あたりを領地にもらっているので、小倉か中津の小笠原氏なのでしょうね。


 先日より、豊前の大塚氏の痕跡が着々と増えていますが、はて彼らのそれ以前のルーツとなると、まだまだ未確認です。



 というわけで、


 河童と戦った大塚さん!連絡ください!









2015年4月29日水曜日

<103>「九州の苗字を歩く」を読む ~九州の大塚さんは、やっぱり謎の氏族~

 大塚姓研究ではみなさまお久しぶりです。

 通常の日本全国津々浦々の「苗字・ご先祖さま探し」では、たくさんのご依頼をいただき、勢力的に活動中な大塚某でございます。


 さて、前々から読みたいと思っていたのですが、古い資料ばかり漁っていて、意外にちゃんと読めていなかった


『九州の苗字を歩く 岬茫洋 全5巻』 梓書院

 http://www.azusashoin.com/


を手に取ることができたので、現在まずは「大塚姓」から読み込んでいるところです。


 ところが、やっぱりというか、逆に寂しい思いをしているのですが、この本を持ってしても

「九州の大塚姓」

の詳細は謎に包まれたままであることがわかりました。


 著者の岬茫洋さんは、実際に現地を歩いたり、リアルなその土地土地の苗字分布をリサーチしながら、各苗字についての伝承や推察などを詳細に書かれているのですが、少なくとも、当ブログに上がってきているようなデータが書かれていません。

 なので、ちょっと残念。かつ、やっぱり、九州の大塚姓はマニアックなテーマであるのだと再確認した次第です。


 さて、もちろん「九州の苗字を歩く」の中でも、有意義なデータは上がってきています。

 たとえば、宮崎県編では『宮崎市大塚町』と「大塚姓」の関係について言及されていましたが、これはいわゆる「土持氏系大塚氏」との関連を示すものです。

 
 宮崎県総合博物館にある「田部姓土持氏系図」にある土持新兵衛尉宣栄の項に



「建武二年宮崎大塚蓬莱山ニ居城ス」


とあり、これがいわゆる宮崎市大塚町になります。この場所は、別に「大墓別府」といい、宣栄はこの地の地頭に任命されたようです。


日本人名辞典さんより
https://kotobank.jp/word/%E5%9C%9F%E6%8C%81%E5%AE%A3%E6%A0%84-1092264


 しかし、まあこの話は既出です。ところが、大塚某が食いついたのは、この土持氏が元は田部氏であり、 宇佐八幡宮の祀官四姓(宇佐・大神・田部・漆島)の一つであったことがわかったので、ビビビと来た次第。


 以前、「宇佐宮大楽寺」に大塚氏が出てくる話を書きましたが、この辺りを再調査してみようかな、と思うわけで(^^




 話は戻って「九州の苗字を歩く」についてですが、もう一点、やはり中津にかなりの大塚氏の分布があるようで、これも要チェックです。

 もっとも、これについては官兵衛ちゃんが、豊前中津城に入る前に、この土地が「大塚山」と呼ばれていたので、 この名を持って大塚氏がいたとすれば、ある程度しっくりは来ますね。

(しかし、現在それを裏付ける資料を見つけていません)


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 もちろん、それら以外にも、いくつかの大塚姓についてこの本では言及されているんですが、


「少弐系大塚氏」


についての示唆がいっさい無かったので、寂しいったらありゃしない!


 よっぽど不確かな氏族だと思われているのでしょうか(笑)


 こうなったら、大塚某はライフワークとしてとことこん大塚氏族を追いかけますので、ぜひみなさんも情報をお寄せくださいね!



2015年4月23日木曜日

<調査中>愛媛県の大塚さん

 全国ダーツの旅ならぬ「オーツカ」の旅、各県めぐりはしばらく中断していましたが、今回は愛媛県にやってきました。


 実は、全然別件で現在愛媛近辺の氏族を調査しているのですが、大変に難しいのがこの地域!

 瀬戸内海と四国の氏族探しは、難航しそうな予感です。



 さて、四国のみなさん、広島岡山の瀬戸内のみなさんのために、この地域独特の事情についてお話しておきましょう!




<難しいぞ瀬戸内!>

 ふつうの地域に住んでいる氏族は、基本的に「土地」に根ざして生活しています。ところが、瀬戸内海ですから、この地のみなさんは「海」に根ざして生活しているのです。


 なので、たとえば本州の広島岡山県海側にある氏族の名前が、四国の沿岸にも広がっていたりします。そう!どっちが先かは別にして「海を渡っている氏族」がたくさんいるのです。


 そして、瀬戸内海といえば言わずとしれた「村上水軍の娘(BY和田竜)」ですね!水軍です水軍!

 村上氏に限らず、軍師官兵衛ちゃんでも学んだとおり、このあたりは「毛利家」の支配地ですが、
「毛利水軍」といって、各種「海の男たち」がこの地で活躍していました。


 水軍は古くは「海賊」と呼ばれ、いわゆる幕府の命令にあまり従わず、独自の権力形成をしていた一派です。ところが、その実力を買われて、各種戦国大名の海兵隊勢力として組み込まれてゆき、家臣化したものが、のちに別の土地に土着してゆくようになります。

 



<難しいぞ四国!>

 四国の氏族を調査していると、ものすごく不思議なことがわかってきます。ふつうの本州の地域だと、地域ごとに氏族は放射状に分布してゆくのですが、四国という土地は、中心部が高い山で、海側周囲に平地が広がっているせいなのか、


「氏族が海側ぐるりと巡りながら伝播している」


ような動きに見えるのです。


 これが、氏族の動きを分析するときに、大変に難しい!

 ある名字を追いかけているときに、その名字の氏族が「広島岡山から移動してきたのか」それとも、四国内をぐるりと動いているのか、判断が悩ましいのです。


 そして、戦国時代には、四国は領主がころころと変わっているので、氏族がどのように移動したのかもわかりにくくなっています。

 
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 さて、そんな難しい四国のなかで、今回は愛媛で大塚さんを発見!


 宇和島藩の庄屋 さんのサイトより
 http://www.hucc.hokudai.ac.jp/~x10795/iyo/shoya.html


 上記サイトの記述によれば、宇和島藩内の庄屋さんのうち4軒も大塚さんがいることがわかります。


 津島全秀松村    大塚六左衛門

 宇和内上伊南坊村 大塚六郎左衛門

 宇和内上下松葉村 大塚七右衛門

 宇和内上鞍貫村  大塚源四郎
 
 
の四氏を抽出。

 ほとんどの名前が「官職風」なので、元戦国武士の家だと推定できます。


さて、

 ウィキペディアより宇和島藩
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E5%92%8C%E5%B3%B6%E8%97%A9


を見ればこの藩の様子がわかるのですが、幕末までの藩政そのものは仙台系伊達氏が担っています。


 しかし、もともとこの地は、古くは西園寺氏にはじまり、戦国時は長宗我部に支配されており、これらの旧臣が土着して農民化していることが特徴です。

 
 えひめの記憶さんのページ
 http://ilove.manabi-ehime.jp/system/regional/index.asp?P_MOD=2&P_ECD=2&P_SNO=47&P_FLG1=3&P_FLG2=1&P_FLG3=3&P_FLG4=0


を参考にすると、宇和島藩の庄屋とはつまり、戦国期山城の城主の系譜とほぼ合致するというのですから、


 伊予大塚氏という戦国氏族がいた


という可能性が高いわけです。あるいは、戦国武将の家臣としての大塚氏でもよいでしょう。



 という仮説を実証できそうな情報が、いま見つかりました(笑)


ポポブロ研究所さんのブログ
http://blog.livedoor.jp/popoburo/archives/1009317699.html


によれば、伊予宇都宮氏の家臣団の中に


大塚嵐之助

大塚助兵衛

大塚新兵衛


の三名がちゃんといますね。


 伊予宇都宮氏は、もともとは豊前宇都宮氏六代目の宇都宮頼房が三男、宇都宮豊房の伊予守護職任官から始まりますから、筑後山門郡大木にいた宇都宮氏とは親戚です。


 さてここからが面白い。


① 豊前大塚氏の本来の拠点は栃木県である。

② 栃木県には下野国都賀郡大塚(栃木県栃木市)を拠点とした大塚氏が存在する。

③ ところが、伊予宇都宮氏は、豊房に子がなく、筑後大木から宇都宮宗泰を連れてきて、継承させる。

④ ということは、伊予宇都宮とはつまり筑後宇都宮氏の系譜である。

⑤ 伊予宇都宮の家臣の大塚氏は、可能性として栃木系の可能性と、筑後系の可能性がある。

⑥ おいおいまってくれよ、じゃあ愛媛の大塚さんは、もしかして少弐系とかそんなことあるのかな?



という仮説が提唱できちゃったりするのですが、水曜どうでしょう


 このあたりについては、私は「山門郡には大塚郷という地名があり、現在もみやま市に残っている」ので、伊予宇都宮の大塚は、九州系だとしても、少弐じゃなくて山門郡の地場の大塚氏なんじゃないかと思いますが、


山門郡大塚氏の存在は未確認氏族


なので、あくまでも仮説です。




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 というわけで、愛媛の大塚さん。家紋を教えてください!!!





2015年4月20日月曜日

<話題>戦国武将対談が笑える!織田・徳川・前田・真田ビッグ4!

 なんと、今日は珍しく連投でございます。

 というのも、ちょっと調べ物をしていたら、面白いネタ・・・もとい「戦国ビッグ4対談」なる記事があり、それが可笑しくてしょうがないので、ぜひご紹介しようと思った次第。


 引用元は朝日系「dot」さんです。


 戦国4武将の子孫対談 学習院の殿様はバイリンガル?

 http://dot.asahi.com/news/domestic/2015041700067.html?relLink=org1



 「武将の末裔座談会」関ケ原トークに石田三成末裔も参戦

 http://dot.asahi.com/news/domestic/2015041700068.html?relLink=org1



 まずは、徳川氏のご子孫と、前田氏のご子孫による「学習院あるある」から!


 旧華族の雰囲気を残した学習院時代のエピソードがなかなか面白いです。


 松平くんやら徳川くんやら、南部くんやら鍋島くんがおなじクラスにいるという衝撃の学生時代は、歴史マニアならずともある意味、面白そうでうらやましい限り。


  徳川15代将軍の名前を埋めよ、というテストの回答に、思わず自分の名前を入れちゃったり!



 つづいては、本当はハゲのはずなのに、なぜかイケメンで描かれ続ける真田家の悶絶具合とか、会場になんと石田三成子孫が登場して愚痴をこぼしたりとか。



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 さて、この戦国ビッグ4対談。2年ほど前にも別メンバーで開催されたようで、そちらは徳川・武田・長宗我部・真田の4子孫だったとか。



徳川家当主 苦労は悪いことができないこと「カンニングもできなかった(笑)」

http://dot.asahi.com/ent/culture/2013111400055.html?relLink=org3


こちらも、徳川家当主が「猿飛佐助とか、真田十勇士が子どものころのヒーローだった!」とか、笑いのツボを心得ていらっしゃる(^^



夢の「戦国時代ビッグ4」座談会を末裔たちが開催!

http://dot.asahi.com/ent/culture/2013111400067.html?relLink=org4





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 さて、こうしたエピソードを読みながら、誰しもが気付くことがあります。そう!いずれも劣らぬ武将や大名たちの子孫でありながら、なんだかんだいって


「みんな普通の人」


となっている現代日本の凄いところ。これはいろいろな要因がありますが、今をときめくピケティさんの「21世紀の資本」の理屈なら、


資本家は資本を受け継いで、みんな豊かになっている


はずなのに、どうしてみな普通の人になってしまっているのでしょう。



 その大きな理由は、幕末から明治にかけて、まず「華族以外を切り捨て」して、金銭面では優遇されるものを極端に絞り込んだことが第一弾。


 そして、第二弾として、戦後の財産税や財閥解体、農地改革などにより、「資本家の財力を再配分した」結果によるものです。


 そう!日本は「ほとんどすべての氏族の資本が、戦後一旦ガラガラポンされている稀有な国家」なのです。



 そうしたこともあって、戦国由来の名家はみな没落・・・もとい、平等な国民・国家へと生まれ変わっているわけですね。


 おなじdotの記事から、そのあたりの実状を武田さんが教えてくださっていますので、ぜひお読みください。


武田信玄の子孫 「息子の代でやっと江戸から甲斐に帰ることができた」

http://dot.asahi.com/news/domestic/2013082200023.html?relLink=org5
 


 武将の子孫が、ふつうの暮らしになってゆく様子は、竹中半兵衛の子孫のお話からも伺い知ることができます。



子孫が語る「豊臣秀吉の軍師・竹中半兵衛」の本当の顔

http://dot.asahi.com/ent/culture/2014010900028.html?page=1



 竹中家では、内職が家業になってゆく様子がありのまま語られています。



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 こうしてみると、有名武将の子孫であっても、私たち庶民であっても、みな同じように生きているということがよくわかります。

 一つ違うのは、彼らはある程度、先祖のことをしっかり思いながら、あるいは伝えながら暮らしているということ。


 だとすれば私たちも、ご先祖さまがもしかしたら残しているかもしれないドラマを、今一度蘇らせながら私たちの「生に感謝する」というのもアリだと思うのですがどうでしょう?
 



<情報求む>北部九州にお住まいの大塚さんへ

 すこしご無沙汰が続いていますが、「大塚研究」のほうは、バックグラウンドでゴリゴリ動いている最中です。

 ブログに記載してはいませんが、この間も九州各地の「大塚さんに由来のある方」たちと様々な情報交換をしており、それぞれ必要なデータの提供などに勤しんでおります。


 というわけで、全国の、特にこのブログの専門である「北部九州地方の大塚さん」!遠慮なくメールをいただければ何がしかの新しい情報をお伝えできるかと存じます。


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 現在、調査中の案件では、


<直方地方の大塚さん>


<福岡藩士の大塚さん>


<福岡沿岸部の大塚さん>


<日田地方にゆかりのある大塚さん>


<松浦地方の大塚さん>


<有田焼に関連のある大塚さん>


などなど、それぞれ異なった経緯を持つ大塚さんのお話をお聞かせ願えれば嬉しく思います。


 もしかしたら、ご先祖さまが根っこの部分で繋がっているかもしれないし、違うかもしれません。


 小さな情報の積み重ねで、いろんなことが判明するかと思いますので、ぜひご協力お願い申し上げます。


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 また、こちらは全国各地対象ですが、「苗字研究・調査」の方もぐんぐん進展中!一般的な苗字辞典辞書の観点とはまた異なり、


「あなたの家のルーツがどこにあるのかを探る」


という視点でありとあらゆる苗字・ご先祖さま調べのお手伝いをしております。こちらは、個人のおうちのお話になることもあり、当ブログには一切書いておりませんが、ご了承ください。


 このブログの読者さんならおなじみの「大塚某ならではのマニアックな視点」を生かしながらルーツ調査をしております。


☆苗字・ご先祖さま・ルーツ調べ☆は現在ココナラだけで受け付けています。500円しかかかりません(笑)

https://coconala.com/services/41874


すでに全国のみなさまにご依頼いただいており、喜ばれております。わたしも嬉しい!


 みなさまの貴重なお話、お聞かせください!







 

2015年4月6日月曜日

竹中半兵衛の墓前に参ってきました。

 2015年春になっても、まだまだ覚めやらぬ軍師官兵衛ちゃんブームですが、はて「枚方パーク」へ参列しようか、悩んでいる今日この頃でございます(笑)


 それはさておき、先日はふと思い立って、



 竹中半兵衛重治殿の墓前



に参ってまいりました。


 思いつきで、戦国の軍師どののお墓に参ることができるのも、関西在住の喜びです。ふだんの仕事で車もけっこう乗っているものですから、岡山から滋賀くらいの間だったら、ひょこっと行って帰ってきます(^^



 さて、竹中半兵衛どのは、言わずとしれたハンサムで、プロミスな男です(←そこは違う。)谷原章介さん、おとこまえです。



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< 竹中半兵衛の墓 三木市平井 >


 ちょうど別所長治の三木城に相対する向かいの山のふもとにあります。



 墓碑。ウィキペディアに

”今でも地元老人会などで手厚く供養されており、墓には献花が途切れることがない”

なんて紹介されているのですが、本当にそのとおりで、綺麗なお花と供物が供えられていました!

きちんと管理されている様子が伺えます。


 いちおうセミプロとして、墓碑を調査してきましたが、おそらく現代に近い時代のものでしょうね。石の古さから江戸時代末期~明治ごろかな~。年号等ははいっていません。

 誰か知っている人がいたら解説よろしく。


サイドの小さい献灯祠は昭和に入ってからのもの。戦後のものです。

 写真に写っていませんが、手前に灯篭が2塔立っていますが、「文化文政」時代のものでした。

(チェックしたけど、文化だったか文政だったか忘れた!)




 さて、この竹中半兵衛の墓。原始的な「武将の伝承」を良く伝えている形式になっています。


 どういうことか?!



 そもそも、戦国時代の墓碑は、現在とはまった異なったスタイルで、だいたい表に「竹中半兵衛の墓」なんて書いてありません。

 私たちの知っている形式は、もっと後のもので、戦国時代の墓は石だけとか、せめて塔の形になっているとかです。


 では、竹中半兵衛の墓はどうなっていたのかという裏話ですが、全体像を写真で取ると


 小さな人工の塚(立派な木がその上に生えています)


になっていることがわかると思います。これが逆にリアルですね!


 たぶん、伝承として


「あそこの畑の中の塚は、昔に竹中さまが陣中で亡くなって供養されたお墓なのじゃ」


という話が数百年も伝達されていて、のちに周りを囲ったり、墓石を立てたりと徐々に整備されたもの、というわけです。



 実は、今回は行きませんでしたが、三木攻めの秀吉本陣は、ここからたった数百mしか離れていません。


 なぜ行かなかったか?

 うちのちびたちと一緒におまいりしたので、今回はパスしました(笑)


 もちろん、平和な時代になってから「改葬」されて寺に墓があったりもするんですが、竹中半兵衛の場合は、やはり陣の中にそのまま葬られている感があり、戦国の息吹を感じることができます。



 ちなみに、完全に余談ですが、狂言の和泉元彌さんのおかあさま(セッチー)は、竹中半兵衛ちゃんの子孫だそうです。