2015年4月23日木曜日

<調査中>愛媛県の大塚さん

 全国ダーツの旅ならぬ「オーツカ」の旅、各県めぐりはしばらく中断していましたが、今回は愛媛県にやってきました。


 実は、全然別件で現在愛媛近辺の氏族を調査しているのですが、大変に難しいのがこの地域!

 瀬戸内海と四国の氏族探しは、難航しそうな予感です。



 さて、四国のみなさん、広島岡山の瀬戸内のみなさんのために、この地域独特の事情についてお話しておきましょう!




<難しいぞ瀬戸内!>

 ふつうの地域に住んでいる氏族は、基本的に「土地」に根ざして生活しています。ところが、瀬戸内海ですから、この地のみなさんは「海」に根ざして生活しているのです。


 なので、たとえば本州の広島岡山県海側にある氏族の名前が、四国の沿岸にも広がっていたりします。そう!どっちが先かは別にして「海を渡っている氏族」がたくさんいるのです。


 そして、瀬戸内海といえば言わずとしれた「村上水軍の娘(BY和田竜)」ですね!水軍です水軍!

 村上氏に限らず、軍師官兵衛ちゃんでも学んだとおり、このあたりは「毛利家」の支配地ですが、
「毛利水軍」といって、各種「海の男たち」がこの地で活躍していました。


 水軍は古くは「海賊」と呼ばれ、いわゆる幕府の命令にあまり従わず、独自の権力形成をしていた一派です。ところが、その実力を買われて、各種戦国大名の海兵隊勢力として組み込まれてゆき、家臣化したものが、のちに別の土地に土着してゆくようになります。

 



<難しいぞ四国!>

 四国の氏族を調査していると、ものすごく不思議なことがわかってきます。ふつうの本州の地域だと、地域ごとに氏族は放射状に分布してゆくのですが、四国という土地は、中心部が高い山で、海側周囲に平地が広がっているせいなのか、


「氏族が海側ぐるりと巡りながら伝播している」


ような動きに見えるのです。


 これが、氏族の動きを分析するときに、大変に難しい!

 ある名字を追いかけているときに、その名字の氏族が「広島岡山から移動してきたのか」それとも、四国内をぐるりと動いているのか、判断が悩ましいのです。


 そして、戦国時代には、四国は領主がころころと変わっているので、氏族がどのように移動したのかもわかりにくくなっています。

 
==========

 さて、そんな難しい四国のなかで、今回は愛媛で大塚さんを発見!


 宇和島藩の庄屋 さんのサイトより
 http://www.hucc.hokudai.ac.jp/~x10795/iyo/shoya.html


 上記サイトの記述によれば、宇和島藩内の庄屋さんのうち4軒も大塚さんがいることがわかります。


 津島全秀松村    大塚六左衛門

 宇和内上伊南坊村 大塚六郎左衛門

 宇和内上下松葉村 大塚七右衛門

 宇和内上鞍貫村  大塚源四郎
 
 
の四氏を抽出。

 ほとんどの名前が「官職風」なので、元戦国武士の家だと推定できます。


さて、

 ウィキペディアより宇和島藩
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E5%92%8C%E5%B3%B6%E8%97%A9


を見ればこの藩の様子がわかるのですが、幕末までの藩政そのものは仙台系伊達氏が担っています。


 しかし、もともとこの地は、古くは西園寺氏にはじまり、戦国時は長宗我部に支配されており、これらの旧臣が土着して農民化していることが特徴です。

 
 えひめの記憶さんのページ
 http://ilove.manabi-ehime.jp/system/regional/index.asp?P_MOD=2&P_ECD=2&P_SNO=47&P_FLG1=3&P_FLG2=1&P_FLG3=3&P_FLG4=0


を参考にすると、宇和島藩の庄屋とはつまり、戦国期山城の城主の系譜とほぼ合致するというのですから、


 伊予大塚氏という戦国氏族がいた


という可能性が高いわけです。あるいは、戦国武将の家臣としての大塚氏でもよいでしょう。



 という仮説を実証できそうな情報が、いま見つかりました(笑)


ポポブロ研究所さんのブログ
http://blog.livedoor.jp/popoburo/archives/1009317699.html


によれば、伊予宇都宮氏の家臣団の中に


大塚嵐之助

大塚助兵衛

大塚新兵衛


の三名がちゃんといますね。


 伊予宇都宮氏は、もともとは豊前宇都宮氏六代目の宇都宮頼房が三男、宇都宮豊房の伊予守護職任官から始まりますから、筑後山門郡大木にいた宇都宮氏とは親戚です。


 さてここからが面白い。


① 豊前大塚氏の本来の拠点は栃木県である。

② 栃木県には下野国都賀郡大塚(栃木県栃木市)を拠点とした大塚氏が存在する。

③ ところが、伊予宇都宮氏は、豊房に子がなく、筑後大木から宇都宮宗泰を連れてきて、継承させる。

④ ということは、伊予宇都宮とはつまり筑後宇都宮氏の系譜である。

⑤ 伊予宇都宮の家臣の大塚氏は、可能性として栃木系の可能性と、筑後系の可能性がある。

⑥ おいおいまってくれよ、じゃあ愛媛の大塚さんは、もしかして少弐系とかそんなことあるのかな?



という仮説が提唱できちゃったりするのですが、水曜どうでしょう


 このあたりについては、私は「山門郡には大塚郷という地名があり、現在もみやま市に残っている」ので、伊予宇都宮の大塚は、九州系だとしても、少弐じゃなくて山門郡の地場の大塚氏なんじゃないかと思いますが、


山門郡大塚氏の存在は未確認氏族


なので、あくまでも仮説です。




==========

 というわけで、愛媛の大塚さん。家紋を教えてください!!!





3 件のコメント:

  1. 当家は西園寺氏と共に京都から愛媛の地に来たと伝わっております。総本家の家紋は丸に二つ引き、当家、準本家の家紋は丸に下がり藤です。

    返信削除
    返信
    1. コメントありがとうございます!

      西園寺氏と一緒だった大塚氏は、ノーマークだったので少し調べてみたいと思います!

      削除
  2. 一親等が愛媛県出身の大塚です。大塚嵐乃助が先祖であると伺っております。城高城も含めWikipediaにも地図アプリにも載っていないのにお詳しいんですね。当家の家紋は丸木瓜です。愛媛県に行く機会がなく、まだ城高城跡地を見たことがありません。場所は解っているのでいつか行ってみたいものです!

    返信削除