2014年4月12日土曜日
<51>農家 大塚氏の源流?!を求めて!
少しの間更新していなかったのだが、研究は続けている。
現在、「福岡藩分限帳集成」を引き続き読み込んでいるとともに、別の資料も調査兵団・・・、もとい!調査中な感じ。
その中で、めちゃくちゃ面白い?!資料が発見できたのでご紹介。
今回のテーマは「武家 大塚氏の源流を求めて」あらため、
もしかしてだけど~♪、もしかしてだけど~♪ほんとは武士じゃなくて農家だったんじゃないの~♪的な発見
である。
一応、申し添えておくが、「武家 大塚家」という当ブログのタイトルは
「捏造」
でない!断じて!悪意もございません!
「200回父から聞いてるんです!うちは武士だったって!」
ということで、
本当に大塚氏は武士だったのか?それとも違うのか?
を、科学的資料をもとにしながら検証したいと思う。
==========
今回発見の資料は、資料名を明らかにすると「かなり個人情報がわかってしまう」ために、ここでは明らかにしないが、大正時代の福岡県農政局かなんかが発行したちゃんとした資料である。
(資料名を明らかにしないのは、オボ・・・ではありません。マジで個人名が出てるからです)
そこに載っていたのはどういうことかというと、じっくり説明しよう。
①まず、わが大塚家の実家は福岡県三潴地方の某市町村の某地区にある(古くはA村としましょう)
②大正時代の資料に載っているのは、その某市町村(もちろん旧町村名です)のA村の田んぼの状況(=面積やらランク付けやら)を示したもので、もっと膨大なリストの中の一部である。
③そのリストの中で、A村についてリストアップされているのは2つの田んぼで、
<1> 1つめの田んぼA村のどこそこ 田んぼのランク 地主 北島某 作人 北島某
<2> 2つめの田んぼA村のどこそこ 田んぼのランク 地主 北島某 作人 大塚某
と書いてあるのを発見したのだ!
北島さんの名前も、大塚さんの名前も本当は出ている。
そして、ちょっと注意事項であるが、この
「大正時代に壮年であったろうと思われる大塚某さんの名前は、うちの戸籍にはない」
ということを申し添えておく。ただ、同じムラのことであり、たぶん同じ一族である可能性がかなり高い。
さらにもうひとつポイントとなる事項だが、今のA村(A地区)の電話帳データから見ると、一番多い苗字が
北島
で、次に多い苗字が
大塚
であるため、北島・大塚一族の勢力がなんとなく伺い知れる。
==========
事実として提示できるのはここまでで、ここからは解釈の問題である。
<解釈1>北島家は地主である。ということは、江戸期には領主層もしくは庄屋的立場にあったと考えられる。
北島家は作人でもあるので、農家だと仮定できる。大塚家は地主から田んぼを借りていた農家だと考えられる。
<解釈2>北島家は地主である。ということは、江戸期には領主層もしくは庄屋的立場にあったと考えられる。
北島家は農家ではなかったが明治期以降直接耕作をした可能性がある。大塚家は地主から田んぼを借りていた農家だと考えられる。
<解釈3>北島家は地主である。ということは、江戸期には領主層もしくは庄屋的立場にあったと考えられる。
大塚家は、北島家に従属していた可能性がある。江戸期には北島家の身分に連なる家臣層であったが、明治期以降いずれも直接耕作に携わった。
<解釈4>北島家は地主である。ということは、江戸期には領主層もしくは庄屋的立場にあったと考えられる。
大塚家は、おなじ村であり、もとは武士身分であったが、明治に入り士族(もしくは郷士)身分を失ったあと農業を始めた。
==========
まあ、ざっくりと分類すればこんな感じであろうか。いずれにしても他の傍証が見つからないと細かいニュアンスは正確には出せないが、可能性としての「農家 大塚氏」は面白い。
(もちろん、この大塚さんは、うちのかなり近い親戚ではあるものの、直接の我が家とは繋がっていない)
そして同時に「北島氏」との関係を読みといてゆくのも、新しい課題になりそうなところである。
しかし、どうも腑に落ちないのは、どう考えても現在の我が本家に「耕作をした痕跡」が全くないのはどうしたことだろうか。
祖父の代から実家近くの状況を見ているが、「農業倉庫」もなければ「耕作機械」も持っておらず、親族が集まっても「田植えの田」のことばも出てこなかった記憶がある。
裏の畑で何かを作っている跡もなく、ただ荒地にしているだけであり、少なくとも祖父以来の我が一族は農業らしきものに携わった形跡がないのである。
現在私は兵庫県の田園地域に住んでいるが、農家の生活スタイルというものは肌で感じてわかっているし、農家の「住居・集落・地域」の構造についてもある程度頭に入っている。
そこから考えて我が先祖が「農家」だったというのは、ちょっと不思議な感じがするのだが、このあたりはさらなる調査を進めてみたいところである。
2014年4月8日火曜日
<調査中><50>島根県の大塚さん 安来大塚氏に迫る
前回の記事において、再び注目の的となった「大塚重太夫」の子孫、つまり姫路岩崎構に住んでいた大塚氏について、ガッツリ調査してみたい。
姫路に住んでいる大塚氏は、「出雲国能義 郡大塚村(現安来市大塚町)」の出であり、戦国大名尼子氏の家臣を経て赤松氏に属したと考えられる。
というわけで今回も、<調査中>と<50>の併用区間でお届け!
安来大塚地区は、大塚さんには関係ない世間の人にとって「ゲゲゲの女房」のふるさととして有名なのだそうだ。
ゲゲゲの女房のふるさと しまね観光ナビさんのサイトより
http://kankou-shimane.com/mag/mov/gegege/index.html
安来はそもそも島根の中でも東のはじっこであり、隣はもう鳥取県という、つまりは姫路よりの地域である。
戦国大名尼子氏は、
ウィキペディアより 尼子氏
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BC%E5%AD%90%E6%B0%8F
出雲の国の守護代からスタートして、島根・鳥取を治め、安来にあった「月山富田城」を拠点としている。
そういう意味では、この地の「大塚郷」の大塚氏は、尼子氏の中心に近いところの勢力ということになろう。
尼子氏は、その後、広島の毛利氏と死闘を繰り広げ、中国地方の覇権をかけて争うことになるが、ご承知の通り、毛利には結局負けて滅亡してしまう。
子孫は毛利方について一部生き残るものの、苗字を変えてなんとか現代まで続いているという感じらしい。
==========
さて、尼子氏と大塚氏の関係を考える上で忘れてはならない重要人物がいる。それが
大塚与三右衛門(与三衛門)
なる人物で、ウィキペディアに載っている。わお!
ウィキペディアより 大塚与三衛門
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%A1%9A%E4%B8%8E%E4%B8%89%E8%A1%9B%E9%96%80
要するに、毛利と尼子が戦争をしている時に「誰それが裏切ろうとしてまっせ」と吹聴してまわったので、みんなが疑心暗鬼になってしまうという
かなりやらかしてしまった人物
らしいのである。最終的には、
「いらんこと言うとるのはおまえか!」と尼子の重臣に切り捨てられてしまうのであるが、いやはや戦国の世の混乱が見えるようである。
この大塚与三衛門が岩崎構大塚氏の一族かどうかの確証はないのだが、地域的には「安来」の大塚氏であろうので、同族だと推測してもよいと思う。
「戦国人名辞典」によれば、大塚与三右衛門は、尼子晴久・義久の側衆で二代にわたって重用されたらしい。
レファレンス協同データベース より
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000151726
また尼子義久の家臣に「大塚勝五郎」なる人物がいたことが、
西国の山城 さんのブログ
http://saigokunoyamajiro.blogspot.jp/2012/04/blog-post_20.html
に示されている。
==========
ちなみに、岩崎構地域の大塚氏の家紋は「片喰」であった。
安来大塚氏の家紋をご存知の方は、ぜひお知らせいただきたい!
姫路に住んでいる大塚氏は、「出雲国能義 郡大塚村(現安来市大塚町)」の出であり、戦国大名尼子氏の家臣を経て赤松氏に属したと考えられる。
というわけで今回も、<調査中>と<50>の併用区間でお届け!
安来大塚地区は、大塚さんには関係ない世間の人にとって「ゲゲゲの女房」のふるさととして有名なのだそうだ。
ゲゲゲの女房のふるさと しまね観光ナビさんのサイトより
http://kankou-shimane.com/mag/mov/gegege/index.html
安来はそもそも島根の中でも東のはじっこであり、隣はもう鳥取県という、つまりは姫路よりの地域である。
戦国大名尼子氏は、
ウィキペディアより 尼子氏
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BC%E5%AD%90%E6%B0%8F
出雲の国の守護代からスタートして、島根・鳥取を治め、安来にあった「月山富田城」を拠点としている。
そういう意味では、この地の「大塚郷」の大塚氏は、尼子氏の中心に近いところの勢力ということになろう。
尼子氏は、その後、広島の毛利氏と死闘を繰り広げ、中国地方の覇権をかけて争うことになるが、ご承知の通り、毛利には結局負けて滅亡してしまう。
子孫は毛利方について一部生き残るものの、苗字を変えてなんとか現代まで続いているという感じらしい。
==========
さて、尼子氏と大塚氏の関係を考える上で忘れてはならない重要人物がいる。それが
大塚与三右衛門(与三衛門)
なる人物で、ウィキペディアに載っている。わお!
ウィキペディアより 大塚与三衛門
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%A1%9A%E4%B8%8E%E4%B8%89%E8%A1%9B%E9%96%80
要するに、毛利と尼子が戦争をしている時に「誰それが裏切ろうとしてまっせ」と吹聴してまわったので、みんなが疑心暗鬼になってしまうという
かなりやらかしてしまった人物
らしいのである。最終的には、
「いらんこと言うとるのはおまえか!」と尼子の重臣に切り捨てられてしまうのであるが、いやはや戦国の世の混乱が見えるようである。
この大塚与三衛門が岩崎構大塚氏の一族かどうかの確証はないのだが、地域的には「安来」の大塚氏であろうので、同族だと推測してもよいと思う。
「戦国人名辞典」によれば、大塚与三右衛門は、尼子晴久・義久の側衆で二代にわたって重用されたらしい。
レファレンス協同データベース より
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000151726
また尼子義久の家臣に「大塚勝五郎」なる人物がいたことが、
西国の山城 さんのブログ
http://saigokunoyamajiro.blogspot.jp/2012/04/blog-post_20.html
に示されている。
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ちなみに、岩崎構地域の大塚氏の家紋は「片喰」であった。
安来大塚氏の家紋をご存知の方は、ぜひお知らせいただきたい!
2014年4月7日月曜日
<49>いよいよ面白くなってきた”軍師官兵衛”と大塚氏
世間的には評価が今ひとつらしいNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」であるが、基本的に「週刊ドラマで見る先祖探し」だと思っている私にとっては、日曜日が一応待ち遠しい(笑)
そんな官兵衛くんであるが、いよいよ昨日は播磨地域の混乱が具体化する直前の様相となってきた。昨日のドラマでは上月城の戦いにスポットが当たっていたが、このあたりは
広島地方の覇者「毛利氏」
↑
間に挟まれた ①島根地方から復活したい「尼子氏」
②岡山で様子伺いの「宇喜田氏」
③播磨でどうしたらいいか血迷い中の「赤松系別所氏たち」
↓
東から攻めてきた「信長勢(つまり秀吉や官兵衛ちゃん)」
という情勢なので、とにかく「正義と悪」「敵と味方」が常にはっきりせず、とってもややこしいのである。
上月城の戦いでは、「尼子氏」が
はい!消えた!
になるわけで、このあと官兵衛最大のスペクタクルを誇る「三木攻め=別所抹殺事件」へと物語は突き進んでゆくことになる。
そこに赤松系大塚氏がどう絡んでゆくのかは、「軍師官兵衛」ではまったく描かれる予定がないため、みなさんのために当ブログでそこらへんを補っておくことにしよう。
==========
播磨における赤松系大塚氏のうち、後藤又兵衛のお兄ちゃんの血筋である「大塚将監」たちは、基本的に官兵衛と行動を共にしている。というわけで、官兵衛軍のエキストラとして、大河ドラマのどこか端っこのほうに「映っているであろう」ことだけは確かである。
問題は、赤松系大塚氏のうち書写山ふもと岩崎構に居る「大塚重太夫の子孫」たちである。
さて、そもそもこの地区の大塚氏は、これまで論じてきたように
①赤松氏の家臣、本庄氏(本城氏)とケンカしてたりする。
②当地の大塚氏のうち、本願寺と関係を持っている者がいる。
など、赤松系に取り込まれてはいるものの、不思議な動きをしていることがわかる。
それもそのはず、姫路大塚氏に詳しい方からの情報では、この大塚氏は
『出雲国能義郡大塚村(現安来市大塚町)から戦国大名尼子氏に仕え、のち赤松氏に属した』
のである。そうなのだ!もともと「赤松に仕えたのも、ちょっとワケあり」だし、「赤松が織田方に取り込まれていった」のも「ちょっと嫌」な感じで、心から赤松系になっているわけではない
腹に一物あるタイプ
の大塚氏なのであった。
そのため、(ここから先は推測だが)赤松氏が基本的に織田方についた後も、織田と敵対する本願寺に協力する者が現れたり、なかなか面白い動きをしているのである。
あるいは上月城等における「尼子氏」の動きによって、「自分たちはどのように動くべきか悩んでいた」可能性がある大塚氏だと考えられる。
あるいはそれ以前に、岩崎構の地域が「龍野赤松氏」の領域に近いことを考えると、この大塚氏は「官兵衛と敵対していた」可能性もあるということになる。
★物語序盤に、龍野赤松氏があんなことやこんなことをして、官兵衛の(ドラマでは)初恋の人(実は妹)があんなことやこんなことになったくだりを思い出してほしい★
「おたつーっ!」
のどこかに映っていた可能性もあったり、なかったり。
==========
となると、である。おなじ赤松氏流大塚氏であっても、のちに「官兵衛ちゃんについて福岡にいったかもしれない大塚氏」は、どちらかというと「岩崎構大塚氏」ではない気がしてくる。
また、同じように、三木合戦を経て「有馬(赤松)氏について久留米にいったかもしれない大塚氏」もまた、どちらかというと「岩崎構大塚氏」ではない気がしてくるのである。
★官兵衛ちゃんも有馬くんも、基本的に「秀吉にぴったり」くっついている純織田方である。そういう意味では、岩崎構大塚氏より、大塚将監系大塚氏のほうが、織田方率が高いと考えるのである。
もちろん、これらは憶測で、どちらに進むのが正しいか誰も予測がつかない戦国の世にあって、基準はすべて
「生き残る」
ことであるわけで、各大塚氏はそれまでの経緯や歴史はともかく、「その時最善と思われる策」を取って取捨選択しているので、真実は今のところわからない。
なので、これからも真実を求めてがんばります!!
そんな官兵衛くんであるが、いよいよ昨日は播磨地域の混乱が具体化する直前の様相となってきた。昨日のドラマでは上月城の戦いにスポットが当たっていたが、このあたりは
広島地方の覇者「毛利氏」
↑
間に挟まれた ①島根地方から復活したい「尼子氏」
②岡山で様子伺いの「宇喜田氏」
③播磨でどうしたらいいか血迷い中の「赤松系別所氏たち」
↓
東から攻めてきた「信長勢(つまり秀吉や官兵衛ちゃん)」
という情勢なので、とにかく「正義と悪」「敵と味方」が常にはっきりせず、とってもややこしいのである。
上月城の戦いでは、「尼子氏」が
はい!消えた!
になるわけで、このあと官兵衛最大のスペクタクルを誇る「三木攻め=別所抹殺事件」へと物語は突き進んでゆくことになる。
そこに赤松系大塚氏がどう絡んでゆくのかは、「軍師官兵衛」ではまったく描かれる予定がないため、みなさんのために当ブログでそこらへんを補っておくことにしよう。
==========
播磨における赤松系大塚氏のうち、後藤又兵衛のお兄ちゃんの血筋である「大塚将監」たちは、基本的に官兵衛と行動を共にしている。というわけで、官兵衛軍のエキストラとして、大河ドラマのどこか端っこのほうに「映っているであろう」ことだけは確かである。
問題は、赤松系大塚氏のうち書写山ふもと岩崎構に居る「大塚重太夫の子孫」たちである。
さて、そもそもこの地区の大塚氏は、これまで論じてきたように
①赤松氏の家臣、本庄氏(本城氏)とケンカしてたりする。
②当地の大塚氏のうち、本願寺と関係を持っている者がいる。
など、赤松系に取り込まれてはいるものの、不思議な動きをしていることがわかる。
それもそのはず、姫路大塚氏に詳しい方からの情報では、この大塚氏は
『出雲国能義郡大塚村(現安来市大塚町)から戦国大名尼子氏に仕え、のち赤松氏に属した』
のである。そうなのだ!もともと「赤松に仕えたのも、ちょっとワケあり」だし、「赤松が織田方に取り込まれていった」のも「ちょっと嫌」な感じで、心から赤松系になっているわけではない
腹に一物あるタイプ
の大塚氏なのであった。
そのため、(ここから先は推測だが)赤松氏が基本的に織田方についた後も、織田と敵対する本願寺に協力する者が現れたり、なかなか面白い動きをしているのである。
あるいは上月城等における「尼子氏」の動きによって、「自分たちはどのように動くべきか悩んでいた」可能性がある大塚氏だと考えられる。
あるいはそれ以前に、岩崎構の地域が「龍野赤松氏」の領域に近いことを考えると、この大塚氏は「官兵衛と敵対していた」可能性もあるということになる。
★物語序盤に、龍野赤松氏があんなことやこんなことをして、官兵衛の(ドラマでは)初恋の人(実は妹)があんなことやこんなことになったくだりを思い出してほしい★
「おたつーっ!」
のどこかに映っていた可能性もあったり、なかったり。
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となると、である。おなじ赤松氏流大塚氏であっても、のちに「官兵衛ちゃんについて福岡にいったかもしれない大塚氏」は、どちらかというと「岩崎構大塚氏」ではない気がしてくる。
また、同じように、三木合戦を経て「有馬(赤松)氏について久留米にいったかもしれない大塚氏」もまた、どちらかというと「岩崎構大塚氏」ではない気がしてくるのである。
★官兵衛ちゃんも有馬くんも、基本的に「秀吉にぴったり」くっついている純織田方である。そういう意味では、岩崎構大塚氏より、大塚将監系大塚氏のほうが、織田方率が高いと考えるのである。
もちろん、これらは憶測で、どちらに進むのが正しいか誰も予測がつかない戦国の世にあって、基準はすべて
「生き残る」
ことであるわけで、各大塚氏はそれまでの経緯や歴史はともかく、「その時最善と思われる策」を取って取捨選択しているので、真実は今のところわからない。
なので、これからも真実を求めてがんばります!!
2014年4月6日日曜日
<48>もしかして謎が解けた?!ミステリーハンターがゆく!
みなさんこんばんは。
ブログ更新したかったのだが、小忙しくて今の時間となった。
じゃじゃーん!「福岡藩分限帳集成」である。
当ブログのコアなファン以外には、まったくもってなんのこっちゃ?、な書籍だが、じゃじゃーんと言いたくなるには理由がある。
だって定価が23,000円(+税)もするんだもの!
そのため、貧しいワタクシには、「ああ、これは絶対買えない」と諦めていた本だったのだが、幸いなことに中古でかなり安く買うことができた。ご先祖様のおかげ!
さて、この本、市販の分限帳系書籍の中では、かなり丁寧に編集してあり、さすがは藩分限帳界のフェラーリみたいな値段がするだけのことはある。かなり中身が詰まっているすばらしい本だ。
おまけに、今をときめく「黒田官兵衛」の福岡藩の分限帳であるから、あんな名前やこんな名前が載っていてかなり楽しい一冊!(笑)
家系研究においても、いろいろ役に立つ情報が載っており、この本にまつわる研究結果はおいおい紹介してゆきたいが、今回はネタをひとつに絞ってお届けしようと思う。
それは、「未解決事件になっていたあの謎」について、解決の糸口が見えてきたのである!
==========
その謎とは、久留米藩の略系譜に出ていたとある「大塚氏」の一氏、「家紋 碁石」の大塚氏についての謎である。
おさらい 当ブログ<40>碁石の謎の回
http://samurai-otsuka.blogspot.jp/2014/02/blog-post_17.html
上の記事で「碁石紋」の大塚氏について知ってからというもの、家紋に詳しい方に尋ねたり、古い家紋帳を読める立場にあった方にtwitterでお願いしたりして調べてもらったのだが、いっこうに
碁石紋なんてみつからない・誰も知らない
状況が続いていた。それが、ちょっと面白い展開になってきた。みなさんも推理力を働かせながらわくわくしてほしい!
「福岡藩分限帳集成」にはいくつもの時代の分限帳が収録されているのだが、その中に「安政分限帳」というものがある。
この安政分限帳だけには、各藩士の名前のところに「家紋」の記載が記されている。家紋の書き方は基本的に文字での紹介で、たとえば「蔦紋」とかそういう風に文字で載っているので家紋の絵が描いてあるわけではない。
しかし、文字で表現できないもの、特殊なものについては「絵」で描いてある。 そこでこれを見てほしい。
ん?これはもしや!あやしい!あやしいぞ!
というわけで、まずは
家紋市場さんのサイト
https://x181.secure.ne.jp/~x181007/kamon/goodslist.cgi?in_kate=15-1220
を見てほしい。 そうなのだ、◇や■は、基本的に「石紋」という名前になっている。
https://x181.secure.ne.jp/~x181007/kamon/goodslist.cgi?in_kate=15-1220&in_start=20&max=
並びは、ふつうに横にならぶものもあれば、安政分限帳のように「ななめ配置」になっているものもある。
しかし、共通して言えるのは「しかくは石を示す」ということだ。
おなじみ播磨屋さんの解説では、この石はもともと石畳の敷石のことらしい。
播磨屋さんのサイトより
http://www.harimaya.com/kamon/column/ishi.html
そのため、敷石と碁石とでは、本質的には乖離があるのだが、「石紋」ということで解釈が変動していることは十分考えられまいか。
==========
つまり、こういうことだ。安政分限帳に載っている大塚氏の家紋は、本来
「五つ石」
ということになる。
そして、囲碁は石を垂直方向・水平方向に並べてゆくゲームであるから、上下左右方向に配置された石の紋を「碁石」に見立てることは容易い。
そこで、当時の者達は「五石(いつついし)」を「五石(ごいし)」 と見立て、そこから「碁石」の紋としたのではないか。
これなら、形状の面でも、呼び名の面でも合致する。さらに、こうした見立てが背景にあるから、全国共通の「碁石」紋という名前が無いことに繋がるのではないだろうか。
==========
そして、もうひとつ、興味深いことがわかる。
たしかに仮説ではあるが、つまりこうだ。
もし、安政分限帳の大塚氏の家紋が「碁石」で合致するのであれば、
福岡藩の大塚氏と久留米藩の大塚氏に共通の一族がいる
ということである。
実に面白い。
ブログ更新したかったのだが、小忙しくて今の時間となった。
さて、まずはご報告から。・・・ふふふ、ははは!ついに買ってしまったのである。
じゃじゃーん!「福岡藩分限帳集成」である。
当ブログのコアなファン以外には、まったくもってなんのこっちゃ?、な書籍だが、じゃじゃーんと言いたくなるには理由がある。
だって定価が23,000円(+税)もするんだもの!
そのため、貧しいワタクシには、「ああ、これは絶対買えない」と諦めていた本だったのだが、幸いなことに中古でかなり安く買うことができた。ご先祖様のおかげ!
さて、この本、市販の分限帳系書籍の中では、かなり丁寧に編集してあり、さすがは藩分限帳界のフェラーリみたいな値段がするだけのことはある。かなり中身が詰まっているすばらしい本だ。
おまけに、今をときめく「黒田官兵衛」の福岡藩の分限帳であるから、あんな名前やこんな名前が載っていてかなり楽しい一冊!(笑)
家系研究においても、いろいろ役に立つ情報が載っており、この本にまつわる研究結果はおいおい紹介してゆきたいが、今回はネタをひとつに絞ってお届けしようと思う。
それは、「未解決事件になっていたあの謎」について、解決の糸口が見えてきたのである!
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その謎とは、久留米藩の略系譜に出ていたとある「大塚氏」の一氏、「家紋 碁石」の大塚氏についての謎である。
おさらい 当ブログ<40>碁石の謎の回
http://samurai-otsuka.blogspot.jp/2014/02/blog-post_17.html
上の記事で「碁石紋」の大塚氏について知ってからというもの、家紋に詳しい方に尋ねたり、古い家紋帳を読める立場にあった方にtwitterでお願いしたりして調べてもらったのだが、いっこうに
碁石紋なんてみつからない・誰も知らない
状況が続いていた。それが、ちょっと面白い展開になってきた。みなさんも推理力を働かせながらわくわくしてほしい!
「福岡藩分限帳集成」にはいくつもの時代の分限帳が収録されているのだが、その中に「安政分限帳」というものがある。
この安政分限帳だけには、各藩士の名前のところに「家紋」の記載が記されている。家紋の書き方は基本的に文字での紹介で、たとえば「蔦紋」とかそういう風に文字で載っているので家紋の絵が描いてあるわけではない。
しかし、文字で表現できないもの、特殊なものについては「絵」で描いてある。 そこでこれを見てほしい。
安政分限帳に唯一載っている「大塚氏」がこの「大塚六之助」なのだが、家紋は上記のとおり絵で記載されている。
この絵は、◇がタテに3つ、よこに2つ並んだ形状になっている。この紋の名称がわからないので、筆者は絵で描いたということになる。
この絵を見て、ピンときた!
ん?これはもしや!あやしい!あやしいぞ!
というわけで、まずは
家紋市場さんのサイト
https://x181.secure.ne.jp/~x181007/kamon/goodslist.cgi?in_kate=15-1220
を見てほしい。 そうなのだ、◇や■は、基本的に「石紋」という名前になっている。
https://x181.secure.ne.jp/~x181007/kamon/goodslist.cgi?in_kate=15-1220&in_start=20&max=
並びは、ふつうに横にならぶものもあれば、安政分限帳のように「ななめ配置」になっているものもある。
しかし、共通して言えるのは「しかくは石を示す」ということだ。
おなじみ播磨屋さんの解説では、この石はもともと石畳の敷石のことらしい。
播磨屋さんのサイトより
http://www.harimaya.com/kamon/column/ishi.html
そのため、敷石と碁石とでは、本質的には乖離があるのだが、「石紋」ということで解釈が変動していることは十分考えられまいか。
==========
つまり、こういうことだ。安政分限帳に載っている大塚氏の家紋は、本来
「五つ石」
ということになる。
そして、囲碁は石を垂直方向・水平方向に並べてゆくゲームであるから、上下左右方向に配置された石の紋を「碁石」に見立てることは容易い。
そこで、当時の者達は「五石(いつついし)」を「五石(ごいし)」 と見立て、そこから「碁石」の紋としたのではないか。
これなら、形状の面でも、呼び名の面でも合致する。さらに、こうした見立てが背景にあるから、全国共通の「碁石」紋という名前が無いことに繋がるのではないだろうか。
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そして、もうひとつ、興味深いことがわかる。
たしかに仮説ではあるが、つまりこうだ。
もし、安政分限帳の大塚氏の家紋が「碁石」で合致するのであれば、
福岡藩の大塚氏と久留米藩の大塚氏に共通の一族がいる
ということである。
実に面白い。
2014年4月4日金曜日
<47>”郷士”とは何か
ここのところ、全国の大塚氏についてばかり目を向けていたので、久しぶりの我が家ルーツ探しの旅であるが、今回は何度も原点に帰りながら考察を掘り下げてみたい。
① まず、我が一族の自宅は福岡県三潴地域にある。これは既出。
② そして久留米藩の武士であったという伝承を持っているが、当然久留米城下に住んでいるわけではない。これも既出。
③ 戸籍謄本を見る限り、いちおう先祖代々(どこまで遡るかは別にして)おなじ住所に住んでおり、既に述べている「大塚喜平次」も、その息子(わが曽祖父)も、おなじ住所に住んでいる。これも既出。
④ 知る限り我が家は農家ではなく農機具など持っていない。父の伝承によれば「うちはずっと地主であり、ここらへんの小作者から年貢をもらっていた。戦後の農地改革で土地を切り刻まれて小作者達に分配することになった」と聞いている。
よって「地主」もしくはそのような立場にあった家だということがわかる。
⑤ 祖父の最後の職場は南満州鉄道であり、中国で終戦を迎えている。
⑦ 曽祖父について父が不思議な伝承を持っている。
小さいときに村の老女に「あんたはどこの大塚さんやね」と尋ねられ「大塚■■」と父の名前を言ったが老女は、よくわからないような顔をしたので、「大塚▲▲の孫」と祖父(つまり喜平次の息子)の名前を言うと、「ああ、村長さんとこのお孫さんか」と納得してくれた。
というのが父の記憶なのだが、私が調べて見る限り該当地域で大塚▲▲が村長をしていた記録が見つかっていない。
==========
以上のようなことから、漠然とながら、「わが大塚家は、とりあえず旧家で土地を昔はたくさん持っていて、戦後没落した村長さん的立ち位置の家」(苦笑)というイメージを抱いていたのだが、これらを総合して考えると、
いわゆる城詰め武士の子孫というより「郷士」に近かったのではないか、と推測することができる。
さて、郷士とは何か。
ウィキペディアより 「郷士」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%B7%E5%A3%AB
簡単に言えば、農村に領地(支配地)を持っている家臣であるが、城詰め藩士とは身分が異なる者、といえようか。
もちろん、久留米藩にも郷士身分はあったようである。
郷士の身分や立ち位地については、「坂本竜馬」が好きな人ならすぐにピンとくると思うが、いわゆる武士の身分の中では、一般藩士より低く、土佐藩では上士・平士・郷士(下士)の身分差別が激しかったと言われる。
一般論としての郷士は、下士に当たると考えていいのだが、このあたりも現在調査中だが、郷士の中にも「上士格」の者がいたり、ややこしい。
そのあたりは「郷士」の成立過程とも密接に関わってくる。ウィキペディアによれば、
①戦国時代に士分であったが、江戸期に藩士でありながら在郷領主として活動した者
A 戦国期は兵農一体だったため地元の豪族(豪農でもある)が藩士身分となり、藩主の影響下で直接自分の領地を支配した場合
B 元の主君が滅びたため、帰農した実力者が新しい主君に取り立てられる形で藩政に組み込まれた場合
② 元は士分でなかったものが、士分に取り立てられた場合。
③ 元は藩士であったが、家禄で生活できず農地で営農するため郷士に身分を下げた場合。
④ そのほか特殊事情
と考えることができる。
==========
久留米藩郷士については
「久留米藩浪人制度と「国恩」の論理」 吉田昌彦 (九州大学)
http://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/handle/2324/8643/scs07pa021.pdf#search='%E4%B9%85%E7%95%99%E7%B1%B3%E8%97%A9+%E9%83%B7%E5%A3%AB+%E9%A6%AC%E5%BB%BB'
が面白かったので紹介しておく。
というのも、久留米藩士の系図を見ていると、世継ぎがなかった場合に養子をもらうのだが、その欄に「実は浪人誰それ」と書いてあることが多いのだ。
「なんぼ跡継ぎがいなくても、浪人を入れるというのはどないやねん。誰でもいいのか」
とその時は思っていたのだが、浪人=郷士格と考えるとなるほど納得がいく。
言い方は悪いが、「現状の身分上、藩士ではないから浪人扱いだが、家格や筋が良い者」として跡継ぎに引っ張ってきたとすれば、話が合う。
郷士身分の者からすれば格が上がり、断絶の憂き目にあった家からすれば、「なんとか格好がつく」形で「浪人」を跡継ぎにした、ということなのであろう。
というわけで、久留米藩と郷士の関係については、まだまだ調査続行!
① まず、我が一族の自宅は福岡県三潴地域にある。これは既出。
② そして久留米藩の武士であったという伝承を持っているが、当然久留米城下に住んでいるわけではない。これも既出。
③ 戸籍謄本を見る限り、いちおう先祖代々(どこまで遡るかは別にして)おなじ住所に住んでおり、既に述べている「大塚喜平次」も、その息子(わが曽祖父)も、おなじ住所に住んでいる。これも既出。
④ 知る限り我が家は農家ではなく農機具など持っていない。父の伝承によれば「うちはずっと地主であり、ここらへんの小作者から年貢をもらっていた。戦後の農地改革で土地を切り刻まれて小作者達に分配することになった」と聞いている。
よって「地主」もしくはそのような立場にあった家だということがわかる。
⑤ 祖父の最後の職場は南満州鉄道であり、中国で終戦を迎えている。
⑦ 曽祖父について父が不思議な伝承を持っている。
小さいときに村の老女に「あんたはどこの大塚さんやね」と尋ねられ「大塚■■」と父の名前を言ったが老女は、よくわからないような顔をしたので、「大塚▲▲の孫」と祖父(つまり喜平次の息子)の名前を言うと、「ああ、村長さんとこのお孫さんか」と納得してくれた。
というのが父の記憶なのだが、私が調べて見る限り該当地域で大塚▲▲が村長をしていた記録が見つかっていない。
==========
以上のようなことから、漠然とながら、「わが大塚家は、とりあえず旧家で土地を昔はたくさん持っていて、戦後没落した村長さん的立ち位置の家」(苦笑)というイメージを抱いていたのだが、これらを総合して考えると、
いわゆる城詰め武士の子孫というより「郷士」に近かったのではないか、と推測することができる。
さて、郷士とは何か。
ウィキペディアより 「郷士」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%B7%E5%A3%AB
簡単に言えば、農村に領地(支配地)を持っている家臣であるが、城詰め藩士とは身分が異なる者、といえようか。
もちろん、久留米藩にも郷士身分はあったようである。
郷士の身分や立ち位地については、「坂本竜馬」が好きな人ならすぐにピンとくると思うが、いわゆる武士の身分の中では、一般藩士より低く、土佐藩では上士・平士・郷士(下士)の身分差別が激しかったと言われる。
一般論としての郷士は、下士に当たると考えていいのだが、このあたりも現在調査中だが、郷士の中にも「上士格」の者がいたり、ややこしい。
そのあたりは「郷士」の成立過程とも密接に関わってくる。ウィキペディアによれば、
①戦国時代に士分であったが、江戸期に藩士でありながら在郷領主として活動した者
A 戦国期は兵農一体だったため地元の豪族(豪農でもある)が藩士身分となり、藩主の影響下で直接自分の領地を支配した場合
B 元の主君が滅びたため、帰農した実力者が新しい主君に取り立てられる形で藩政に組み込まれた場合
② 元は士分でなかったものが、士分に取り立てられた場合。
③ 元は藩士であったが、家禄で生活できず農地で営農するため郷士に身分を下げた場合。
④ そのほか特殊事情
と考えることができる。
==========
久留米藩郷士については
「久留米藩浪人制度と「国恩」の論理」 吉田昌彦 (九州大学)
http://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/handle/2324/8643/scs07pa021.pdf#search='%E4%B9%85%E7%95%99%E7%B1%B3%E8%97%A9+%E9%83%B7%E5%A3%AB+%E9%A6%AC%E5%BB%BB'
が面白かったので紹介しておく。
というのも、久留米藩士の系図を見ていると、世継ぎがなかった場合に養子をもらうのだが、その欄に「実は浪人誰それ」と書いてあることが多いのだ。
「なんぼ跡継ぎがいなくても、浪人を入れるというのはどないやねん。誰でもいいのか」
とその時は思っていたのだが、浪人=郷士格と考えるとなるほど納得がいく。
言い方は悪いが、「現状の身分上、藩士ではないから浪人扱いだが、家格や筋が良い者」として跡継ぎに引っ張ってきたとすれば、話が合う。
郷士身分の者からすれば格が上がり、断絶の憂き目にあった家からすれば、「なんとか格好がつく」形で「浪人」を跡継ぎにした、ということなのであろう。
というわけで、久留米藩と郷士の関係については、まだまだ調査続行!
2014年4月2日水曜日
<調査中>家紋「抱き柏」、東京の大塚さん<WEB墓碑研究>
そもそも、家系調査や姓氏調査というのは、『事件は現場で起きてるんだ!』ではないですが、
おうちを巡ってなんぼ、お墓を巡ってなんぼ
なところがあります。
そのため、いわゆる「苗字研究」「家系研究」「姓氏研究」をなさっている先人のすごいところは、実際に村々、家々を廻ってお調べになったという大変さではないでしょうか。
それに比べると、私なんぞがやっているのは、「大塚」ただ一氏についてだけであり、なおかつ、ふだんはふつうの仕事をしているので、休みの期間にパソコンの前だけで、調査しているので、
屁みたいなもん
です。あと二十年くらいして定年退職したら、たぶん現地を歩き始めます(笑)
==========
しかし、ネットという便利なものがある以上、それを使って「コピペ」するのも現代の流行というものです。
なんせ日本を代表する科学研究のリーダー的存在である「理・・・・」の論文ですらコピ・・・・・、
・・・・このネタは自粛します!!!!
★念のため申し添えておきますが、当方のブログでは学術的『引用』はしていますがコピペはしてません!ゴーストライターもいません!
かならず出典の引用元を明示し、かつ該当箇所にリンクで飛べるように意図しております。
==========
さて、そんな「ネット徘徊」による大塚研究の一部として、”ネットお墓参り”なるものを進めています。ネットお墓参りとは、グーグルさんのストリートビューを使ってお墓を探して家紋を読み取ったり、ネットの画像を使って家紋を探るという作業ですが、もちろん、全国の大塚さんたちに敬意と親しみを込めて頭を垂れているところです。
そこで今回は、家紋「抱き柏」の大塚さんについて研究です。
東京都江戸川区の歴史 さんのブログより
http://tokyoedogawa.blog.shinobi.jp/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E5%B7%9D/
東京都江戸川区に「大塚家」なる一族がおられるのですが、関連していくつか史跡があります。
ひとつは江戸川区の登録有形文化財になっている「木造大塚氏先祖夫妻坐像」というもので、もうひとつは地場の梨栽培に尽力した「大塚宗蔵」(文政7年没)さんのお墓です。こちらも江戸川区の登録史跡になっています。
さて、この大塚家のお墓を上記リンクの画像から解析すると、家紋「抱き柏」であることが読み取れます。
大塚宗蔵が何者かについては
JLogos辞書検索
http://premium.jlogos.com/new2_result2.html?keyword=%E5%A4%A7%E5%A1%9A%E5%AE%97%E8%94%B5%E3%81%AE%E5%A2%93&id=5700497
によれば、「地元の名士で、享和年間に梨の栽培を開始した」とあります。”地元の名士”だけでは家系がわかりませんが、もう少し詳しい資料が、
ジェイ・クオリス さんのサイト
http://www.top-est.com/pages/simoimaimura
にありました。これによればこの地の梨は、幕府に献上されたり、かなり有名になったようですね。
もっとも詳しい説明は
江戸川区の地名の由来 さんのサイト
http://www.geocities.jp/pccwm336/sub5.html
にあります。ここには興味深い説明があります。記事によると、大塚宗蔵は「大和の国から流れてきた武士の子」だそうです。
ちなみに、毎度おなじみ『完全網羅 大塚姓・大塚氏・大塚さんのすべて! 全大塚氏族超まとめスペシャル』によれば、柏紋の大塚氏は、
<Q>吉岡氏(大塚) 藤原氏流 岡氏の子孫。寛政譜22 〔家紋〕柏 六角に三つ柏
となっています。
実はこれ、かなり「キターッ」な展開でございまして(笑)、今から論証してゆきますね!
岡氏というのは、
ウィキペディアより 二上山城
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E4%B8%8A%E5%B1%B1%E5%9F%8E_(%E5%A4%A7%E5%92%8C%E5%9B%BD)
を読めばわかるとおり、 大和国と河内国の境あたりに存在した「岡城」が拠点です。位置関係でいえば、岡城・二上山城・万歳山城が隣接しているということです。
そして、毎度おなじみ播磨屋さんのサイトによれば
播磨屋さんより 武家家伝 万歳氏
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/banzai_k.html
大和国(奈良)というのは、基本的にお寺の荘園がスタートで、興福寺の荘園管理官としての「岡氏」がおり、万歳氏とともに、興福寺門下の中で南北朝以降の激動に巻き込まれてゆく、ということになるわけです。
こんな感じで、「点と線」が結びついてゆきます。奈良からきた大塚氏とは、つまり!
結論は、
江戸川区の大塚さんは、元「岡氏」であり、大和国興福寺の荘官がスタート、その子孫が奈良を離れて江戸に入ったと考えられる。ルーツは藤原氏。家紋は「柏紋」で決まり。
という感じでしょうか。
というわけで、東京の大塚さん!ぜひ家紋を教えてくださいね!
おうちを巡ってなんぼ、お墓を巡ってなんぼ
なところがあります。
そのため、いわゆる「苗字研究」「家系研究」「姓氏研究」をなさっている先人のすごいところは、実際に村々、家々を廻ってお調べになったという大変さではないでしょうか。
それに比べると、私なんぞがやっているのは、「大塚」ただ一氏についてだけであり、なおかつ、ふだんはふつうの仕事をしているので、休みの期間にパソコンの前だけで、調査しているので、
屁みたいなもん
です。あと二十年くらいして定年退職したら、たぶん現地を歩き始めます(笑)
==========
しかし、ネットという便利なものがある以上、それを使って「コピペ」するのも現代の流行というものです。
なんせ日本を代表する科学研究のリーダー的存在である「理・・・・」の論文ですらコピ・・・・・、
・・・・このネタは自粛します!!!!
★念のため申し添えておきますが、当方のブログでは学術的『引用』はしていますがコピペはしてません!ゴーストライターもいません!
かならず出典の引用元を明示し、かつ該当箇所にリンクで飛べるように意図しております。
==========
さて、そんな「ネット徘徊」による大塚研究の一部として、”ネットお墓参り”なるものを進めています。ネットお墓参りとは、グーグルさんのストリートビューを使ってお墓を探して家紋を読み取ったり、ネットの画像を使って家紋を探るという作業ですが、もちろん、全国の大塚さんたちに敬意と親しみを込めて頭を垂れているところです。
そこで今回は、家紋「抱き柏」の大塚さんについて研究です。
東京都江戸川区の歴史 さんのブログより
http://tokyoedogawa.blog.shinobi.jp/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E5%B7%9D/
東京都江戸川区に「大塚家」なる一族がおられるのですが、関連していくつか史跡があります。
ひとつは江戸川区の登録有形文化財になっている「木造大塚氏先祖夫妻坐像」というもので、もうひとつは地場の梨栽培に尽力した「大塚宗蔵」(文政7年没)さんのお墓です。こちらも江戸川区の登録史跡になっています。
さて、この大塚家のお墓を上記リンクの画像から解析すると、家紋「抱き柏」であることが読み取れます。
大塚宗蔵が何者かについては
JLogos辞書検索
http://premium.jlogos.com/new2_result2.html?keyword=%E5%A4%A7%E5%A1%9A%E5%AE%97%E8%94%B5%E3%81%AE%E5%A2%93&id=5700497
によれば、「地元の名士で、享和年間に梨の栽培を開始した」とあります。”地元の名士”だけでは家系がわかりませんが、もう少し詳しい資料が、
ジェイ・クオリス さんのサイト
http://www.top-est.com/pages/simoimaimura
にありました。これによればこの地の梨は、幕府に献上されたり、かなり有名になったようですね。
もっとも詳しい説明は
江戸川区の地名の由来 さんのサイト
http://www.geocities.jp/pccwm336/sub5.html
にあります。ここには興味深い説明があります。記事によると、大塚宗蔵は「大和の国から流れてきた武士の子」だそうです。
ちなみに、毎度おなじみ『完全網羅 大塚姓・大塚氏・大塚さんのすべて! 全大塚氏族超まとめスペシャル』によれば、柏紋の大塚氏は、
<Q>吉岡氏(大塚) 藤原氏流 岡氏の子孫。寛政譜22 〔家紋〕柏 六角に三つ柏
となっています。
実はこれ、かなり「キターッ」な展開でございまして(笑)、今から論証してゆきますね!
岡氏というのは、
ウィキペディアより 二上山城
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E4%B8%8A%E5%B1%B1%E5%9F%8E_(%E5%A4%A7%E5%92%8C%E5%9B%BD)
を読めばわかるとおり、 大和国と河内国の境あたりに存在した「岡城」が拠点です。位置関係でいえば、岡城・二上山城・万歳山城が隣接しているということです。
そして、毎度おなじみ播磨屋さんのサイトによれば
播磨屋さんより 武家家伝 万歳氏
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/banzai_k.html
大和国(奈良)というのは、基本的にお寺の荘園がスタートで、興福寺の荘園管理官としての「岡氏」がおり、万歳氏とともに、興福寺門下の中で南北朝以降の激動に巻き込まれてゆく、ということになるわけです。
こんな感じで、「点と線」が結びついてゆきます。奈良からきた大塚氏とは、つまり!
結論は、
江戸川区の大塚さんは、元「岡氏」であり、大和国興福寺の荘官がスタート、その子孫が奈良を離れて江戸に入ったと考えられる。ルーツは藤原氏。家紋は「柏紋」で決まり。
という感じでしょうか。
というわけで、東京の大塚さん!ぜひ家紋を教えてくださいね!
2014年4月1日火曜日
<基礎資料>全国諸藩分限帳総覧 (藩士家臣録)<常に追加更新中>
==========
<告知です>
https://coconala.com/services/79457
というサービスやっております。ご興味のある方はぜひ。
==========
<変更事項> 近代デジタルライブラリーが、「国立国会図書館デジタルコレクション」と統合されました。近代デジタルライブラリーのリンクで見つからない場合は、上記コレクション内で発見できますので、おしらせしておきます。
国立国会図書館デジタルコレクション
http://dl.ndl.go.jp/
注意:今回の記事は、先祖探しのために皆さんが利用し易いようにまとめた目録のみです。
最終更新日 2020.2.5
★当目録は、姓氏調査のために使用できる江戸時代諸藩の「分限帳(ならびにその類)」についてまとめたものである。
★当目録では各藩の分限帳について、
①書名・発行者などの情報
②現在における入手・閲覧方法(特にWEB等)
を随時更新して記載してゆく。
★江戸時代、全国には幕末で276藩あり、消失した藩を加えるとそれより多くなるため、全てを網羅するには時間がかかることを許していただきたい。
====================
<徳川幕府>
■ 江戸幕府 『御家人分限帳』 鈴木寿 近藤出版社1984 日本史料選書23
■ 旗本明知遠山氏陣屋史料 明知年譜 坤 家臣分限帳 遠山家系図 明智町教育委員会H6
<北海道地方>
■ 三百藩家臣人名事典. 第1巻 (北海道・青森県・岩手県・宮城県・秋田県・山形県)
家臣人名事典編纂委員会 編 新人物往来社 1987
■ 渡島国松前藩 WEB『松前藩家臣団一覧』KUBO2000~(KUBOの家系城郭研究所)
http://homepage1.nifty.com/t-kubo/Japan/matumae/kasindan.htm
<東北地方>
■ 三百藩家臣人名事典. 第1巻 (北海道・青森県・岩手県・宮城県・秋田県・山形県)
家臣人名事典編纂委員会 編 新人物往来社 1987
■ 陸奥国 『元禄十四年陸奥国棚倉領植田村外一ヶ村 惣百姓分限帳』
金沢春友 岩磐郷土史研究会S29
■ 陸奥国斗南藩 『会津藩 斗南へ』(「旧斗南藩人名録」)星亮一 三修社2009
■ 陸奥国七戸藩(盛岡藩支藩) 『七戸町史 第2巻』(七戸御給人小高帳) 七戸町1984
■ 陸奥国八戸藩 『岩手古文書館 第2巻』(八戸南部藩家臣録・八戸家御家中支配帳) 岩手古文書研究会1986
『岩手史叢 第3巻』内史畧3 前18~前248(八戸藩士分限帳・文化年間) 岩手県立図書館 岩手県文化財愛護協会1974
■ 陸中国盛岡藩 『南部盛岡藩家士・諸職人総録』 吉田義昭 郷土史叢刊行会1976
『南部盛岡藩御領分中各村御蔵・給所惣高書上帳(天保八年) 南部盛岡藩諸士・御給人等知行所書上(天保十年)』 吉田義昭 郷土史叢刊行会1976
■ 陸中国一関藩(仙台藩支藩) 『関藩列臣録』 西田耕三編 耕風社1995
■ 陸奥国会津藩 『会津藩士人名辞典 役名禄高住所明細 安政5』 古今堂書店S8
国会図書館デジタルコレクション版http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1195026
■ 陸前国仙台藩 『伊達世臣家譜』 仙台叢書続刊(第2-7巻)1937 宝文堂(復刻)1975
■ 陸前国仙台藩 『伊達世臣家譜続編』 仙台藩史料大成 第2輯 宝文堂1978
■ 陸前国仙台藩 『仙台府諸士版籍』 仙台叢書 第六巻
■ 陸前国仙台藩涌谷伊達家 『涌谷伊達家の家臣名簿2』 涌谷町教育委員会2016
■ 越後国 『上杉氏分限帳』矢田俊文 福原圭一 片桐昭彦 編 高志書院2008
■ 羽前国庄内藩 『山形県史資料篇5(鶏肋編上)』
「達三公御代諸士分限帳」「寛文十一亥ノ御家中分限帳」
「諸士分限帳」「長寿公御代御家中分限帳」
『山形県史資料篇17・附録(近世史料1)』「達三公御代分限帳」
『鶴岡市史資料篇荘内史料集15』「延宝5年分限帳」「慶応4年分限帳」
「大泉藩御役人名前覚」
『山形県史料所在目録第3集』「天明4年御分限帳・庄内藩」
『庄内藩士主上録』
■ 羽前国松山藩 『山形県史資料篇5(鶏肋編上)』「松山江御付被進候御人数名寄」
『松山藩要職畧觧』
■ 羽前国新庄藩 『戸沢家中分限帳』 新庄図書館1979 郷土資料叢書12
■ 羽前国米沢藩 『分限帳(7種)』 市立米沢図書館 デジタルライブラリ
(『上杉侯家士分限簿』『会津御在城分限帳』『元禄三年分限帳』『寛政五年分限帳』
『享和三年分限帳』『天保十二年分限帳』『嘉永二年分限帳』)
http://www.library.yonezawa.yamagata.jp/dg/index_1.html
山形県史資料篇16「寛永八年分限帳」P30~51
米沢市史編集資料第2号「邑鑑・寛永八年分限帳(侍衆から袖領・寺領まで)
米沢市史編集資料第1号「寛政5年分限帳」(駿河守様から御作事直支配まで)
米澤藩中興名臣録巻之一、二(竹俣美作)
米澤藩中興名臣録巻之三、四(莅戸善政ほか5
米沢市史編集資料第6号「慶応元年分限帳」
米沢市史編集資料第10号「米澤人國記」
藩制成立史の綜合研究米沢藩
上杉家御年譜二十三「上杉氏系図 外姻譜略 御家中諸士略系譜(1)」
上杉家御年譜二十四「御家中諸士略系譜(2)」
■ 出羽(羽後)国久保田藩(秋田藩) 『秋田藩の家臣団 : 系図の編纂と分限帳』秋田県公文書館2000
■ 出羽(羽後)国亀田藩 『研究資料 亀田藩分限帳・御侍中順帳』 岩城町史編集委員会 1978
<関東地方>
■ 三百藩家臣人名事典. 第2巻 (福島県.茨城県 1.栃木県.群馬県)
家臣人名事典編纂委員会 編 新人物往来社 1988
■ 三百藩家臣人名事典. 第3巻 (茨城県 2.千葉県.埼玉県.神奈川県.富山県.石川県.福井県.長野県.山梨県.岐阜県)
家臣人名事典編纂委員会 編 新人物往来社 1988
■ 武蔵国 「成田系図および分限帳」 行田郷土史研究会2012
http://gyouda2012.cocolog-nifty.com/blog/2018/08/post-e8dd.html
■ 安房国 『里見家 分限帳 集成 増補版』川名登 岩田書院2010 岩田書院 史料選書①
■ 相模国 『「小田原衆所領役帳」(「北条家分限帳」「小田原役帳」「小田原北条家分限帳」』 『新編埼玉県史 資料編』8中世4 埼玉県1986
■ 相模国 『小田原分限帳郡村略考』 史蹟を探る会S14 非売
■ 上野国沼田藩 『真田伊賀守家中附』『土岐氏家臣分限帳』 『群馬県史 資料編』12近世4 群馬県1977
■ 上野国高崎藩 「高崎藩新規召抱家臣書上」「安政六年五月 高崎藩家臣分限帳」「明治三年 高崎藩職員禄」「明治四年 高崎藩職 制役席順」 『群馬県史 資料編』10近世2 群馬県1977
■ 上野国伊勢崎藩 『嘉永年時 伊勢崎藩家臣分限帳』黒澤哲 伊勢崎郷土文化協会1995
■ 下野国黒羽藩 『家中分限帳(寛永19・万治3)』 『栃木県史史料編10近世(4)』 栃木県1975
■ 下野国喜連川藩 『喜連川家分限帳』 『喜連川町史 第3巻』 さくら市2007
■ 下野国烏山藩 『天保十年 烏山藩家中分限帳』 『栃木県史史料編10近世(4)』 栃木県1975
■ 常陸国笠間藩 「弘化三年名順帳」「明治初年役高定並家中分限帳」 『茨城県史史料』茨城県1970
■ 常陸国水戸藩 「寛文規式帳」「水戸藩御規式帳」「松岡分限帳」 『茨城県史史料』茨城県1970
■ 常陸国土浦藩 「天保一四年土浦分限秘録」「天保一四年江戸分限帳」「嘉永三年土浦住居家中席順並禄高調」「嘉永三年江戸住居家中席順並禄高調」 『茨城県史史料』茨城県1970
■ 常陸国谷田部藩 「弘化五年 茂木(谷田部)藩家中分限帳」 『栃木県史 史料編』栃木県1975
■ 上総国佐貫藩 「天保十四年十二月 佐貫藩家中分限帳」 『千葉県の歴史 資料編』近世1 千葉県2006
■ 下総国結城藩 『結城市史 第2巻』 結城市1979 (「天保十一年(1840)結城藩諸士勤仕改帳」「嘉永六年(1853)結城水野藩分限帳写」「結城藩家中姓名帳」)
■ 甲斐国甲府藩 『甲府殿分限帳』(甲斐叢書 7) 甲斐叢書刊行会1935
<北陸・信越地方>
■ 三百藩家臣人名事典. 第3巻 (茨城県 2.千葉県.埼玉県.神奈川県.富山県.石川県.福井県.長野県.山梨県.岐阜県)
家臣人名事典編纂委員会 編 新人物往来社 1988
■ 越前国丸岡藩 『丸岡藩鑑』(丸岡城略史) 五徳会1974
■ 越前国福井藩 『 結城秀康給帳』(『福井市史』資料編4 近世二) 福井市1988
■ 越前国福井藩 『給帳』(『福井県史』資料編3中・近世一)福井県1982
■ 越前国福井藩 『松平家蔵 慶永公御代給帳』 福井図書館1937
■ 越前国福井藩 『福井藩結城中納言秀康卿分限帳』 福井市立図書館1943
■ 越前国福井藩 『福井藩士履歴1~3』 福井県文書館2013~2015
■ 越前国勝山藩 『小笠原家給帳』(勝山市史 資料編第四巻)勝山市2010
■ 越前国勝山藩 『勝山藩士俸米帳』(勝山藩古事記)勝山藩古事記協賛会1931
■ 越前国大野藩 『土井家家臣由緒書』『土井家分限帳』『大野御家中切米分限帳』(大野市史 第四巻 藩政史料編一) 大野市役所1983
■ 越前国鯖江藩 『鯖江市史 資料編第五巻 藩政史料編Ⅰ・Ⅱ 鯖江藩御家人帳』 鯖江市役所1977
■ 越前国吉江藩 『延宝三卯年吉江給帳』(片聾記・続片聾記) 福井県立図書館1955
■ 越前国松岡藩 『松岡様御給帳』(松岡町史 上巻)松岡町1978
■ 越後国高田藩 『高田の家臣団(家中分限帳ほか)』 上越市史叢書5 上越市
■ 若狭国小浜藩 『小浜藩家臣由緒書』『分限帳』 (小浜市史 藩政史料編二) 小浜市役所1985
■ 越中国富山藩 『富山藩侍帳』 高瀬保 桂書房H3 越中資料集成1
■ 越中国富山藩 『明治二年富山藩分限帳』 富山県立図書館
http://www.lib.pref.toyama.jp/gallery/collection/intro.aspx?isnvmngcd=1:1491
■ 加賀国加賀藩 『加賀藩組分侍帳』 金沢文化協会S12
近代デジタルライブラリー版 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1144581
■ 加賀国加賀藩 『慶長元和寛永侍帳』 森田文庫K280/3(石川県立図書館)
http://www.library.pref.ishikawa.lg.jp/toshokan/dglib/samurai/index.html
■ 加賀国加賀藩 『寛文侍帳』 森田文庫K280/4(石川県立図書館)
http://www.library.pref.ishikawa.lg.jp/toshokan/dglib/samurai/index.html
■ 加賀国加賀藩 『侍帳』 日置謙1927(『石川縣史』収録)
https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ1400/WJJS16U/1700105100/1700105100100020
■ 加賀国大聖寺藩 『加賀藩・大聖寺藩侍帳』(石川県史・第2編S13)
国立国会図書館デジタルライブラリー版 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1184466
■ 加賀国大聖寺藩 「大聖寺藩士由緒帳1~3」(加賀市史料2・3・4 加賀市立図書館
■ 甲斐国 『甲斐叢書 7 甲国律令雑輯/甲陽遺宝/甲府殿分限帳』 甲斐叢書刊行会1935
■ 信濃国諏訪藩 『諏訪史料叢書32・33 分限帳 家中役人系図』 信濃教育会諏訪支部S17
<東海地方>
■ 三百藩家臣人名事典. 第4巻 (新潟県.静岡県.愛知県.三重県 1.滋賀県.奈良県)
家臣人名事典編纂委員会 編 新人物往来社 1988
■ 三河国岡崎藩 『本多家岡崎藩分限帳1~11』 岡崎市立中央図書館
http://www.library.okazaki.aichi.jp/?action=common_download_main&upload_id=963
(id=963の箇所を数字を上げていくと巻数が増えます。id=973が11巻)
■ 同上 『〃』 愛知芸術文化センター愛知県図書館 PDF版
https://websv.aichi-pref-library.jp/wahon/detail/18.html
■ 三河国岡崎藩 『岡崎藩士名簿』 岡崎市立中央図書館 (大正十年七月調)
http://websv.library.okazaki.aichi.jp/digital/
■ 三河国刈谷藩 『分限帳集成 刈谷土井家家臣録』刈谷古文書研究会 刈谷頌和会2014
■ 三河国西尾藩 『西尾藩の侍屋敷・西尾藩御役人両奉行系・西尾藩士成瀬氏資料・西尾藩大給松平氏分限帳索引』 西尾市史資料叢書3 西尾市教育委員会2007
■ 三河国西尾藩 『西尾藩大給松平氏分限帳』 西尾市教育委員会2006
■ 尾張国尾張藩 『尾州分限帳』 国文学研究資料館
http://base1.nijl.ac.jp/iview/Frame.jsp?DB_ID=G0003917KTM&C_CODE=0281-063017
■ 尾張国尾張藩家臣 『渡辺半蔵家家臣録』 太田正弘(自費出版)H11
■ 尾張国尾張藩 『藩士名寄』 徳川林政史研究所PDF公開ファイル(旧蓬左文庫)
http://www.tokugawa.or.jp/institute/017.0001-koukai-siryou.htm
<近畿地方>
■ 三百藩家臣人名事典. 第4巻 (新潟県.静岡県.愛知県.三重県 1.滋賀県.奈良県)
家臣人名事典編纂委員会 編 新人物往来社 1988
■ 三百藩家臣人名事典. 第5巻 (三重県 2.和歌山県.京都府.兵庫県.大阪府.鳥取県.島根県)
家臣人名事典編纂委員会 編 新人物往来社 1988
■ 伊勢国桑名藩 『桑名藩分限帳』 桑名市H1
http://www.city.kuwana.lg.jp/index.cfm/24,20507,235,414,html
■ 伊勢国桑名藩 『天明由緒』 桑名市教育委員会2008
■ 伊勢国桑名藩 『桑名藩史料集成』 (「寛政二年分限帳」「安政二年無格分限帳」「文久元年御家中分限帳」)桑名市教育委員会 1990
■ 伊勢国桑名藩 『桑名市博物館紀要 第2号』(「桑藩家中分限帳」、「移封家臣名簿」)
■ 伊勢国津藩 『安政四年津藩分限帳』 堀井光次 光書房S59
■ 伊勢国津藩 『藤堂藩(津・久居)功臣年表―分限録』 三重県郷土資料叢書〈第86集〉1985
■ 近江国彦根藩 『侍中由緒帳』(既刊1~14) 彦根市1994~ 彦根藩史料叢書
■ 近江国水口藩 『近江国水口藩加藤家分限帳』 甲賀市2011 市史編纂叢書第7集
■ 和泉国岸和田藩 『岸和田藩家中分限録 』 出口神暁編 鬼洞叢書4輯 和泉文化研究会1951
■ 大和国郡山藩 『分限帳類集 上下』 堀井寿郎柳・沢文庫保存会 H5 柳沢史料集成
■ 大和国小泉藩 『小泉藩分限帳』 柳沢文庫専門委員会 大和郡山市役所1966
■ 大和国新庄藩 『桑山家分限帳』 改訂新庄町史編集委員会1983
■ 播磨国明石藩 『本多氏 御家中知行高并役附』 兵庫県史資料編 近世1 兵庫県1989
『小笠原氏 御当家続史 二』 兵庫県史資料編 近世1 兵庫県1989
■ 播磨国明石藩 『明石藩旧臣録』 明石史話研究会 2004.9
■ 播磨国赤穂藩 『浅野氏 赤穂分限帳』『森氏 東西諸氏分限帳』 兵庫県史資料編 近世1 兵庫県1989
■ 播磨国赤穂藩 『浮田家分限帳』『浅野家分限帳』『森家分限帳』 赤穂市史 第5巻 赤穂市1982
■ 播磨国赤穂藩 『赤穂藩森家分限帳集』赤穂市史史料集 赤穂市教育委員会2016
■ 播磨国安志藩 『分限帳』『御家中筆並』『江戸詰め藩士の扶持高』『安志在藩の藩士扶持高』 安富町史 史料編 安富町1995
■ 播磨国小野藩 『一柳直盛国替につき直重・直家・直頼 供の面々』『一柳家中の席順名前書』 小野市史 第5巻 資料編2 小野市1998
■ 播磨国山崎藩 『松平康映の家臣団』『宍粟江戸両所ニ罷在人数帳』『本多政貞とその家臣団』 山崎町1977
■ 河内国丹南藩 「明和九年八月 丹南藩分限席順帳」 堺市史 続編 第4巻 堺市1973
■ 摂津国麻田藩 『麻田藩御家臣格序附』 三田市史 上巻 三田市役所1964
■ 摂津国尼崎藩 『青山氏 給紙集』『松平(桜井)氏 分限帳』 兵庫県史資料編 近世1 兵庫県1989
■ 摂津国三田藩 『御地頭御役掛り』『摂三藩知行録』『御役掛名付』『藩政変革官員録』 三田市史 上巻 三田市役所1964
■ 摂津国三田藩 『三田藩九鬼家家臣系譜』『九鬼守隆・久隆代家中分限帳』『 九鬼久隆代組帳』『九鬼隆抵入部につき家中御礼帳』『九鬼隆徳代家中惣席録』 三田市史 第4巻近世資料 三田市2006
■ 摂津国三田藩 『久隆公三田入部の節列座』『九鬼隆昌公御代分限帳』『家中由緒書』『旧三田県華士族給禄人名簿』『廃絶した諸士』 三田藩の歴史 高田義久 2014
■ 丹波国柏原藩 『廃藩置県時の旧藩士氏名』『織田信包分限帳並に御物成拂方』『柏原移封の織田家家臣名簿』 柏原町志 (柏原)町志編纂委員会1955
■ 丹波国篠山藩 『青山氏 従御家老独礼迄勤仕年数附』 兵庫県史資料編 近世1 兵庫県1989
■ 丹波国篠山藩 『松平康信の家臣』『御家人一覧』 多紀郷土史考 上巻 多紀郷土史考刊行会 1958
■ 但馬国豊岡藩 『藩士分限帳』<宝永6・寛政12> 『豊岡誌 付録』 城崎郡豊岡町1942
■ 但馬国豊岡藩 『田辺京極家分限帳』『豊岡京極家分限帳』 豊岡市史 史料編 上巻 豊岡市1990
■ 但馬国出石藩 『仙石氏 御侍帳』 兵庫県史資料編 近世1 兵庫県1989
■ 但馬国出石藩 『御侍帳(仙石氏)』 出石町史 第3巻 資料編 出石町1987
■ 但馬国村岡藩 『藩士分限下調帳』 村岡町誌 下巻 村岡町1982
■ 阿波国徳島藩(淡路) 『須本諸士役付并席順姓名記』『阿波国徴古雑抄続篇 小姓・中小姓・日帳の氏名』『洲本無格分限帳』『稲田家臣団』『稲田騒動直前の分限帳』 洲本市史 洲本市役所1974
■ 多田院領 『多田院御家人名前書』 かわにし 第5巻 川西市1978
<中国地方>
■ 三百藩家臣人名事典. 第5巻 (三重県 2.和歌山県.京都府.兵庫県.大阪府.鳥取県.島根県)
家臣人名事典編纂委員会 編 新人物往来社 1988
■ 三百藩家臣人名事典. 第6巻 (岡山県・広島県・山口県・徳島県・香川県・愛媛県・高知県)
家臣人名事典編纂委員会 編 新人物往来社 1989
■ 『宇喜多家分限帳』 岡山市史 第2 岡山市1938
近代デジタルライブラリー版 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1261440
■ 『資料毛利氏八箇国御時代分限帳』岸浩編 マツノ書店S62
■ 長門国長州藩 『分限帳(7種)』 山口県文書館 毛利家文庫
(『広島御時代分限帳』『元就公御馬廻知行高』『天正十七年御馬廻分限帳』
『文禄慶長中分限帳』『慶長末年元和三年分限帳』『元和八年分限帳』)
http://ymonjo.ysn21.jp/msearch/search.php?m=oth&op=search&c=
■ 長門国長府藩 『長府藩分限帳』 下関郷土会S48 『郷土第19集』
■ 長門国萩藩 『嘉永改正いろは寄 萩藩分限帳』萩郷土文化研究会編S43
■ 長門国萩藩 『萩藩給禄帳』樹下明樹、田村哲夫編 マツノ書店S59
■ 長門国萩藩 『萩藩城下町の絵図に見る人名簿及び住所録』阿部次男H2
(-天和2(1682)~3(1683)年-)
■ 長門国萩藩 『萩城下町絵図にみる分限帳 -文化・文政年間』阿部次男H元
■ 長門国清末藩 『資料叢書 清末藩分限帳』 下関文書館S45
<四国地方>
■ 三百藩家臣人名事典. 第6巻 (岡山県・広島県・山口県・徳島県・香川県・愛媛県・高知県) 家臣人名事典編纂委員会 編 新人物往来社 1989
■ 阿波国徳島藩 『明治三年徳島藩職員録並御分知御家中分限帳』 桑井薫1992
■ 阿波国徳島藩 『阿州分限帳』 国文学研究資料館
http://base1.nijl.ac.jp/iview/Frame.jsp?DB_ID=G0003917KTM&C_CODE=0099-056002&IMG_SIZE=&IMG_NO=1
■ 阿波国阿波藩 『天保・阿波藩士分限帳』 三原宏文1978
■ 讃岐国生駒藩 (高松藩初期)『生駒家家臣分限ノ記』 合田學1999
http://kousakashikenshoukai.blogspot.jp/2010/10/blog-post_1559.html
■ 讃岐国高松藩 『高松藩士由緒録』 高松市歴史資料館WEB
http://www.city.takamatsu.kagawa.jp/kyouiku/bunkabu/rekisi/naiyou/yuisyo/yuisyo.htm
■ 讃岐国高松藩 『生駒壱岐守殿御家中分限帳』 上坂氏顕彰会史料出版部2001
■ 伊予国 『河野分限録』 伊予史料叢書第一集 長山源雄1900
http://www.geocities.jp/greenvillage_conbo/oyaji/kouno6.htm
■ 伊予国 西条藩 『西條藩士族姓名簿』 西条報恩会誌 塩出光雅編著 西条報恩会1984
■ 伊予国 小松藩 『文久三年小松藩士分限帳』 小松町誌 小松町1992
■ 伊予国 今治藩 『藩士分限帳』 今治郷土史 第3巻 今治拾遺 今治市役所1987
■ 伊予国 松山藩 『松山藩役録』 伊予史談会1989
■ 伊予国 松山藩 『松山分限帳』『松山武鑑』ほか 松山市史料集 第3巻 松山市役所1986
■ 伊予国 松山藩 『松山藩分限録』 愛媛県史 資料編 近世上 愛媛県1984
■ 伊予国 松山藩 『諸家譜』 松山叢談 第四(予陽叢書第七巻) 予陽叢書刊行会1936
■ 伊予国 宇和島藩 『宇和島藩庁 伊達家史料4-6(上中下) 家中由緒書』(宇和島藩分限帳) 近代史文庫宇和島研究会1978-1980
<九州地方>
■ 三百藩家臣人名事典. 第7巻 (福岡県・大分県・佐賀県・長崎県・熊本県・宮崎県・鹿児島県)
家臣人名事典編纂委員会 編 新人物往来社 1989
■ 対馬国対馬藩 『対馬藩分限帳』 安藤良俊・梅野初平・中村正夫 九州大学出版会1990
■ 対馬国 『 対州八郷給人分限帳』 梅野初平 潮旺社印刷 S48 非売
■ 豊前国小倉藩 『豊前叢書 第5巻』(天明7年分限帳・天保12年慶応2丙寅/知行録) 国書刊行会1981
■ 豊前国小倉藩 『小笠原藩侍帳』 小倉藩史研究会 編 鵬和出版1994
■ 豊前国千束藩 『千束藩分限帳(明治4年)』 福岡県史資料 第10輯S13
近代デジタルライブラリー版 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1208003
■ 豊前国中津藩 『豊前中津藩士銘々帖』 今永正樹 ふるさと豊前中津の会1987
■ 筑前国福岡藩 『黒田三藩分限帳』 福岡地方史談話会1978
■ 筑前国福岡藩 『福岡藩分限帳集成』 福岡地方史研究会 海鳥社1999
■ 筑前国福岡藩 『福岡藩家中分限帳(万延元年)』 福岡県史資料 第9輯S13
近代デジタルライブラリー版 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1207977
■ 筑後国久留米藩 『久留米藩御家中分限帳』 鶴久二郎1974(『久留米小史別冊』)
■ 筑後国柳河藩 『柳河藩立花家分限帳』 柳川市 柳川歴史資料集成第3集
■ 筑後国柳河藩 『福岡柳川藩分限帳』 堤伝S63
■ 筑後国三池藩 『三池藩分限帳 御家中分限録(明治2年)』 福岡県史資料 第10輯S13
近代デジタルライブラリー版 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1208003
■ 肥前国 『肥前鍋島家分限帳』 高野和人 青潮社H6
■ 肥前国佐賀藩 『佐賀藩着到帳集成』 佐賀県立図書館内古文書研究会1968/1981
■ 肥前国小城藩 『小城藩・着到と武家屋敷』 古賀次郎 小城町2001
■ 肥後国 『肥後加藤侯分限帳』 鈴木喬 青潮社S62
■ 肥後国熊本藩 WEB『新・肥後細川藩侍帳』 津々堂2003~
http://www.shinshindoh.com/00-samurai.htm
■ 肥後国熊本藩 『熊本藩侍帳集成』 松本寿三郎 細川藩政史研究会H8
■ 肥後国熊本藩 『宝暦五年御侍帳』 松本寿三郎 出水神社・汲古書院1988
■ 肥後国相良藩 『肥後国相良藩士分限帳』 佐藤光昭 五木文化研究所1983
■ 日向国高鍋藩 『宮崎県史・史料編近世4』(高鍋藩人給帳) 宮崎県1995
■ 日向国佐土原藩 『佐土原藩分限帳』 野田敏夫 日向文化談話会1965
■ 日向国飫肥藩 『飫肥藩分限帳』 野田敏夫 日向文化談話会1974
■ 薩摩国薩摩藩 『薩州島津家分限帳』 高野和人 青潮社1984
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<告知です>
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<変更事項> 近代デジタルライブラリーが、「国立国会図書館デジタルコレクション」と統合されました。近代デジタルライブラリーのリンクで見つからない場合は、上記コレクション内で発見できますので、おしらせしておきます。
国立国会図書館デジタルコレクション
http://dl.ndl.go.jp/
注意:今回の記事は、先祖探しのために皆さんが利用し易いようにまとめた目録のみです。
最終更新日 2020.2.5
★当目録は、姓氏調査のために使用できる江戸時代諸藩の「分限帳(ならびにその類)」についてまとめたものである。
★当目録では各藩の分限帳について、
①書名・発行者などの情報
②現在における入手・閲覧方法(特にWEB等)
を随時更新して記載してゆく。
★江戸時代、全国には幕末で276藩あり、消失した藩を加えるとそれより多くなるため、全てを網羅するには時間がかかることを許していただきたい。
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<徳川幕府>
■ 江戸幕府 『御家人分限帳』 鈴木寿 近藤出版社1984 日本史料選書23
■ 旗本明知遠山氏陣屋史料 明知年譜 坤 家臣分限帳 遠山家系図 明智町教育委員会H6
<北海道地方>
■ 三百藩家臣人名事典. 第1巻 (北海道・青森県・岩手県・宮城県・秋田県・山形県)
家臣人名事典編纂委員会 編 新人物往来社 1987
■ 渡島国松前藩 WEB『松前藩家臣団一覧』KUBO2000~(KUBOの家系城郭研究所)
http://homepage1.nifty.com/t-kubo/Japan/matumae/kasindan.htm
<東北地方>
■ 三百藩家臣人名事典. 第1巻 (北海道・青森県・岩手県・宮城県・秋田県・山形県)
家臣人名事典編纂委員会 編 新人物往来社 1987
■ 陸奥国 『元禄十四年陸奥国棚倉領植田村外一ヶ村 惣百姓分限帳』
金沢春友 岩磐郷土史研究会S29
■ 陸奥国斗南藩 『会津藩 斗南へ』(「旧斗南藩人名録」)星亮一 三修社2009
■ 陸奥国七戸藩(盛岡藩支藩) 『七戸町史 第2巻』(七戸御給人小高帳) 七戸町1984
■ 陸奥国八戸藩 『岩手古文書館 第2巻』(八戸南部藩家臣録・八戸家御家中支配帳) 岩手古文書研究会1986
『岩手史叢 第3巻』内史畧3 前18~前248(八戸藩士分限帳・文化年間) 岩手県立図書館 岩手県文化財愛護協会1974
■ 陸中国盛岡藩 『南部盛岡藩家士・諸職人総録』 吉田義昭 郷土史叢刊行会1976
『南部盛岡藩御領分中各村御蔵・給所惣高書上帳(天保八年) 南部盛岡藩諸士・御給人等知行所書上(天保十年)』 吉田義昭 郷土史叢刊行会1976
■ 陸中国一関藩(仙台藩支藩) 『関藩列臣録』 西田耕三編 耕風社1995
■ 陸奥国会津藩 『会津藩士人名辞典 役名禄高住所明細 安政5』 古今堂書店S8
国会図書館デジタルコレクション版http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1195026
■ 陸前国仙台藩 『伊達世臣家譜』 仙台叢書続刊(第2-7巻)1937 宝文堂(復刻)1975
■ 陸前国仙台藩 『伊達世臣家譜続編』 仙台藩史料大成 第2輯 宝文堂1978
■ 陸前国仙台藩 『仙台府諸士版籍』 仙台叢書 第六巻
■ 陸前国仙台藩涌谷伊達家 『涌谷伊達家の家臣名簿2』 涌谷町教育委員会2016
■ 越後国 『上杉氏分限帳』矢田俊文 福原圭一 片桐昭彦 編 高志書院2008
■ 羽前国庄内藩 『山形県史資料篇5(鶏肋編上)』
「達三公御代諸士分限帳」「寛文十一亥ノ御家中分限帳」
「諸士分限帳」「長寿公御代御家中分限帳」
『山形県史資料篇17・附録(近世史料1)』「達三公御代分限帳」
『鶴岡市史資料篇荘内史料集15』「延宝5年分限帳」「慶応4年分限帳」
「大泉藩御役人名前覚」
『山形県史料所在目録第3集』「天明4年御分限帳・庄内藩」
『庄内藩士主上録』
■ 羽前国松山藩 『山形県史資料篇5(鶏肋編上)』「松山江御付被進候御人数名寄」
『松山藩要職畧觧』
■ 羽前国新庄藩 『戸沢家中分限帳』 新庄図書館1979 郷土資料叢書12
■ 羽前国米沢藩 『分限帳(7種)』 市立米沢図書館 デジタルライブラリ
(『上杉侯家士分限簿』『会津御在城分限帳』『元禄三年分限帳』『寛政五年分限帳』
『享和三年分限帳』『天保十二年分限帳』『嘉永二年分限帳』)
http://www.library.yonezawa.yamagata.jp/dg/index_1.html
山形県史資料篇16「寛永八年分限帳」P30~51
米沢市史編集資料第2号「邑鑑・寛永八年分限帳(侍衆から袖領・寺領まで)
米沢市史編集資料第1号「寛政5年分限帳」(駿河守様から御作事直支配まで)
米澤藩中興名臣録巻之一、二(竹俣美作)
米澤藩中興名臣録巻之三、四(莅戸善政ほか5
米沢市史編集資料第6号「慶応元年分限帳」
米沢市史編集資料第10号「米澤人國記」
藩制成立史の綜合研究米沢藩
上杉家御年譜二十三「上杉氏系図 外姻譜略 御家中諸士略系譜(1)」
上杉家御年譜二十四「御家中諸士略系譜(2)」
■ 出羽(羽後)国久保田藩(秋田藩) 『秋田藩の家臣団 : 系図の編纂と分限帳』秋田県公文書館2000
■ 出羽(羽後)国亀田藩 『研究資料 亀田藩分限帳・御侍中順帳』 岩城町史編集委員会 1978
<関東地方>
■ 三百藩家臣人名事典. 第2巻 (福島県.茨城県 1.栃木県.群馬県)
家臣人名事典編纂委員会 編 新人物往来社 1988
■ 三百藩家臣人名事典. 第3巻 (茨城県 2.千葉県.埼玉県.神奈川県.富山県.石川県.福井県.長野県.山梨県.岐阜県)
家臣人名事典編纂委員会 編 新人物往来社 1988
■ 武蔵国 「成田系図および分限帳」 行田郷土史研究会2012
http://gyouda2012.cocolog-nifty.com/blog/2018/08/post-e8dd.html
■ 安房国 『里見家 分限帳 集成 増補版』川名登 岩田書院2010 岩田書院 史料選書①
■ 相模国 『「小田原衆所領役帳」(「北条家分限帳」「小田原役帳」「小田原北条家分限帳」』 『新編埼玉県史 資料編』8中世4 埼玉県1986
■ 相模国 『小田原分限帳郡村略考』 史蹟を探る会S14 非売
■ 上野国沼田藩 『真田伊賀守家中附』『土岐氏家臣分限帳』 『群馬県史 資料編』12近世4 群馬県1977
■ 上野国高崎藩 「高崎藩新規召抱家臣書上」「安政六年五月 高崎藩家臣分限帳」「明治三年 高崎藩職員禄」「明治四年 高崎藩職 制役席順」 『群馬県史 資料編』10近世2 群馬県1977
■ 上野国伊勢崎藩 『嘉永年時 伊勢崎藩家臣分限帳』黒澤哲 伊勢崎郷土文化協会1995
■ 下野国黒羽藩 『家中分限帳(寛永19・万治3)』 『栃木県史史料編10近世(4)』 栃木県1975
■ 下野国喜連川藩 『喜連川家分限帳』 『喜連川町史 第3巻』 さくら市2007
■ 下野国烏山藩 『天保十年 烏山藩家中分限帳』 『栃木県史史料編10近世(4)』 栃木県1975
■ 常陸国笠間藩 「弘化三年名順帳」「明治初年役高定並家中分限帳」 『茨城県史史料』茨城県1970
■ 常陸国水戸藩 「寛文規式帳」「水戸藩御規式帳」「松岡分限帳」 『茨城県史史料』茨城県1970
■ 常陸国土浦藩 「天保一四年土浦分限秘録」「天保一四年江戸分限帳」「嘉永三年土浦住居家中席順並禄高調」「嘉永三年江戸住居家中席順並禄高調」 『茨城県史史料』茨城県1970
■ 常陸国谷田部藩 「弘化五年 茂木(谷田部)藩家中分限帳」 『栃木県史 史料編』栃木県1975
■ 上総国佐貫藩 「天保十四年十二月 佐貫藩家中分限帳」 『千葉県の歴史 資料編』近世1 千葉県2006
■ 下総国結城藩 『結城市史 第2巻』 結城市1979 (「天保十一年(1840)結城藩諸士勤仕改帳」「嘉永六年(1853)結城水野藩分限帳写」「結城藩家中姓名帳」)
■ 甲斐国甲府藩 『甲府殿分限帳』(甲斐叢書 7) 甲斐叢書刊行会1935
<北陸・信越地方>
■ 三百藩家臣人名事典. 第3巻 (茨城県 2.千葉県.埼玉県.神奈川県.富山県.石川県.福井県.長野県.山梨県.岐阜県)
家臣人名事典編纂委員会 編 新人物往来社 1988
■ 越前国丸岡藩 『丸岡藩鑑』(丸岡城略史) 五徳会1974
■ 越前国福井藩 『 結城秀康給帳』(『福井市史』資料編4 近世二) 福井市1988
■ 越前国福井藩 『給帳』(『福井県史』資料編3中・近世一)福井県1982
■ 越前国福井藩 『松平家蔵 慶永公御代給帳』 福井図書館1937
■ 越前国福井藩 『福井藩結城中納言秀康卿分限帳』 福井市立図書館1943
■ 越前国福井藩 『福井藩士履歴1~3』 福井県文書館2013~2015
■ 越前国勝山藩 『小笠原家給帳』(勝山市史 資料編第四巻)勝山市2010
■ 越前国勝山藩 『勝山藩士俸米帳』(勝山藩古事記)勝山藩古事記協賛会1931
■ 越前国大野藩 『土井家家臣由緒書』『土井家分限帳』『大野御家中切米分限帳』(大野市史 第四巻 藩政史料編一) 大野市役所1983
■ 越前国鯖江藩 『鯖江市史 資料編第五巻 藩政史料編Ⅰ・Ⅱ 鯖江藩御家人帳』 鯖江市役所1977
■ 越前国吉江藩 『延宝三卯年吉江給帳』(片聾記・続片聾記) 福井県立図書館1955
■ 越前国松岡藩 『松岡様御給帳』(松岡町史 上巻)松岡町1978
■ 越後国長岡藩 『長岡藩中分限帳(写)』 渡辺徳昭 町史考その14 1992
■ 越後国高田藩 『高田の家臣団(家中分限帳ほか)』 上越市史叢書5 上越市
■ 若狭国小浜藩 『小浜藩家臣由緒書』『分限帳』 (小浜市史 藩政史料編二) 小浜市役所1985
■ 越中国富山藩 『富山藩侍帳』 高瀬保 桂書房H3 越中資料集成1
■ 越中国富山藩 『明治二年富山藩分限帳』 富山県立図書館
http://www.lib.pref.toyama.jp/gallery/collection/intro.aspx?isnvmngcd=1:1491
■ 加賀国加賀藩 『加賀藩組分侍帳』 金沢文化協会S12
近代デジタルライブラリー版 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1144581
■ 加賀国加賀藩 『慶長元和寛永侍帳』 森田文庫K280/3(石川県立図書館)
http://www.library.pref.ishikawa.lg.jp/toshokan/dglib/samurai/index.html
■ 加賀国加賀藩 『寛文侍帳』 森田文庫K280/4(石川県立図書館)
http://www.library.pref.ishikawa.lg.jp/toshokan/dglib/samurai/index.html
■ 加賀国加賀藩 『侍帳』 日置謙1927(『石川縣史』収録)
https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ1400/WJJS16U/1700105100/1700105100100020
■ 加賀国大聖寺藩 『加賀藩・大聖寺藩侍帳』(石川県史・第2編S13)
国立国会図書館デジタルライブラリー版 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1184466
■ 加賀国大聖寺藩 「大聖寺藩士由緒帳1~3」(加賀市史料2・3・4 加賀市立図書館
■ 甲斐国 『甲斐叢書 7 甲国律令雑輯/甲陽遺宝/甲府殿分限帳』 甲斐叢書刊行会1935
■ 信濃国諏訪藩 『諏訪史料叢書32・33 分限帳 家中役人系図』 信濃教育会諏訪支部S17
<東海地方>
■ 三百藩家臣人名事典. 第4巻 (新潟県.静岡県.愛知県.三重県 1.滋賀県.奈良県)
家臣人名事典編纂委員会 編 新人物往来社 1988
■ 三河国岡崎藩 『本多家岡崎藩分限帳1~11』 岡崎市立中央図書館
http://www.library.okazaki.aichi.jp/?action=common_download_main&upload_id=963
(id=963の箇所を数字を上げていくと巻数が増えます。id=973が11巻)
■ 同上 『〃』 愛知芸術文化センター愛知県図書館 PDF版
https://websv.aichi-pref-library.jp/wahon/detail/18.html
■ 三河国岡崎藩 『岡崎藩士名簿』 岡崎市立中央図書館 (大正十年七月調)
http://websv.library.okazaki.aichi.jp/digital/
■ 三河国刈谷藩 『分限帳集成 刈谷土井家家臣録』刈谷古文書研究会 刈谷頌和会2014
■ 三河国西尾藩 『西尾藩の侍屋敷・西尾藩御役人両奉行系・西尾藩士成瀬氏資料・西尾藩大給松平氏分限帳索引』 西尾市史資料叢書3 西尾市教育委員会2007
■ 三河国西尾藩 『西尾藩大給松平氏分限帳』 西尾市教育委員会2006
■ 尾張国尾張藩 『尾州分限帳』 国文学研究資料館
http://base1.nijl.ac.jp/iview/Frame.jsp?DB_ID=G0003917KTM&C_CODE=0281-063017
■ 尾張国尾張藩家臣 『渡辺半蔵家家臣録』 太田正弘(自費出版)H11
■ 尾張国尾張藩 『藩士名寄』 徳川林政史研究所PDF公開ファイル(旧蓬左文庫)
http://www.tokugawa.or.jp/institute/017.0001-koukai-siryou.htm
<近畿地方>
■ 三百藩家臣人名事典. 第4巻 (新潟県.静岡県.愛知県.三重県 1.滋賀県.奈良県)
家臣人名事典編纂委員会 編 新人物往来社 1988
■ 三百藩家臣人名事典. 第5巻 (三重県 2.和歌山県.京都府.兵庫県.大阪府.鳥取県.島根県)
家臣人名事典編纂委員会 編 新人物往来社 1988
■ 伊勢国桑名藩 『桑名藩分限帳』 桑名市H1
http://www.city.kuwana.lg.jp/index.cfm/24,20507,235,414,html
■ 伊勢国桑名藩 『天明由緒』 桑名市教育委員会2008
■ 伊勢国桑名藩 『桑名藩史料集成』 (「寛政二年分限帳」「安政二年無格分限帳」「文久元年御家中分限帳」)桑名市教育委員会 1990
■ 伊勢国桑名藩 『桑名市博物館紀要 第2号』(「桑藩家中分限帳」、「移封家臣名簿」)
■ 伊勢国津藩 『安政四年津藩分限帳』 堀井光次 光書房S59
■ 伊勢国津藩 『藤堂藩(津・久居)功臣年表―分限録』 三重県郷土資料叢書〈第86集〉1985
■ 近江国彦根藩 『侍中由緒帳』(既刊1~14) 彦根市1994~ 彦根藩史料叢書
■ 近江国水口藩 『近江国水口藩加藤家分限帳』 甲賀市2011 市史編纂叢書第7集
■ 和泉国岸和田藩 『岸和田藩家中分限録 』 出口神暁編 鬼洞叢書4輯 和泉文化研究会1951
■ 大和国郡山藩 『分限帳類集 上下』 堀井寿郎柳・沢文庫保存会 H5 柳沢史料集成
■ 大和国小泉藩 『小泉藩分限帳』 柳沢文庫専門委員会 大和郡山市役所1966
■ 大和国新庄藩 『桑山家分限帳』 改訂新庄町史編集委員会1983
■ 播磨国明石藩 『本多氏 御家中知行高并役附』 兵庫県史資料編 近世1 兵庫県1989
『小笠原氏 御当家続史 二』 兵庫県史資料編 近世1 兵庫県1989
■ 播磨国明石藩 『明石藩旧臣録』 明石史話研究会 2004.9
■ 播磨国赤穂藩 『浅野氏 赤穂分限帳』『森氏 東西諸氏分限帳』 兵庫県史資料編 近世1 兵庫県1989
■ 播磨国赤穂藩 『浮田家分限帳』『浅野家分限帳』『森家分限帳』 赤穂市史 第5巻 赤穂市1982
■ 播磨国赤穂藩 『赤穂藩森家分限帳集』赤穂市史史料集 赤穂市教育委員会2016
■ 播磨国安志藩 『分限帳』『御家中筆並』『江戸詰め藩士の扶持高』『安志在藩の藩士扶持高』 安富町史 史料編 安富町1995
■ 播磨国小野藩 『一柳直盛国替につき直重・直家・直頼 供の面々』『一柳家中の席順名前書』 小野市史 第5巻 資料編2 小野市1998
■ 播磨国新宮藩 『新宮池田家藩士一覧』 播磨新宮町史 第7巻 新宮町教育委員会1969
■ 播磨国新宮藩 『池田家家臣由緒取調書』 播磨新宮町史 史料編1 新宮町2005
■ 播磨国龍野藩 『脇坂氏 分限帳』 兵庫県史資料編 近世1 兵庫県1989
■ 播磨国龍野藩 『脇坂氏分限帳 脇坂安政代』 竜野市史 第5巻 史料編2 竜野市1980
■ 播磨国林田藩 『林田藩禄席帳』『林田藩家禄扶持給分渡方帳』 林田郷土史 林田村教育委員会1955
■ 播磨国林田藩 『建部家分限』『御書方御礼式分限帳』『林田藩禄席帳』 林田の歴史 出口隆一2006
■ 播磨国姫路藩 『池田氏 侍帳』『酒井氏 江戸・姫路組分帳』 兵庫県史資料編 近世1 兵庫県1989
■ 播磨国姫路藩 『各年代の御船手組人名簿』 姫路藩御船手組 下里静1984
■ 播磨国姫路藩 『酒井家家臣 江戸・姫路組分帳』『御船手分限帳』 姫路市史 第10巻 姫路市1986
■ 播磨国姫路藩 『(赤松)政則の家士』『小寺家の家士』『黒田家の家士』『池田家の家士』 姫路城史 上巻 名著出版1973
■ 播磨国姫路藩 『奥平姓松平家の家士』 姫路城史 中巻 名著出版1973
■ 播磨国福本藩 『福本藩の士籍』 播州福本藩史 長谷川義徹1977
■ 播磨国三日月藩 『森家藩中順序』 三日月町史 第3巻近世 三日月町1982
■ 播磨国三日月藩 『三日月藩士の禄高と知行所』『幕末三日月藩の上士』 三日月町史 第5巻人物 三日月町1982
■ 播磨国三草藩 『三草藩士籍帳』 播州三草藩史 立藩編 播州三草藩史刊行会1984
■ 播磨国山崎藩 『松平康映の家臣団』『宍粟江戸両所ニ罷在人数帳』『本多政貞とその家臣団』 山崎町1977
■ 河内国丹南藩 「明和九年八月 丹南藩分限席順帳」 堺市史 続編 第4巻 堺市1973
■ 摂津国尼崎藩 『青山氏 給紙集』『松平(桜井)氏 分限帳』 兵庫県史資料編 近世1 兵庫県1989
■ 摂津国尼崎藩 『尼崎藩青山氏給帳集』『尼崎藩松平氏分限帳』『尼崎藩松平氏家中分限帳大概』『尼崎藩松平氏給人高・渡米調べ帳』 尼崎市史 第5巻 史料編2 尼崎市役所1974
■ 摂津国尼崎藩 『尼崎藩家臣団データベース”分限”』(要登録) 尼崎市立地域研究史料館
http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/digital/bugen/
■ 摂津国尼崎藩 『尼崎藩家臣団データベース”分限”』(要登録) 尼崎市立地域研究史料館
http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/digital/bugen/
■ 摂津国三田藩 『御地頭御役掛り』『摂三藩知行録』『御役掛名付』『藩政変革官員録』 三田市史 上巻 三田市役所1964
■ 摂津国三田藩 『三田藩九鬼家家臣系譜』『九鬼守隆・久隆代家中分限帳』『 九鬼久隆代組帳』『九鬼隆抵入部につき家中御礼帳』『九鬼隆徳代家中惣席録』 三田市史 第4巻近世資料 三田市2006
■ 摂津国三田藩 『久隆公三田入部の節列座』『九鬼隆昌公御代分限帳』『家中由緒書』『旧三田県華士族給禄人名簿』『廃絶した諸士』 三田藩の歴史 高田義久 2014
■ 丹波国柏原藩 『廃藩置県時の旧藩士氏名』『織田信包分限帳並に御物成拂方』『柏原移封の織田家家臣名簿』 柏原町志 (柏原)町志編纂委員会1955
■ 丹波国篠山藩 『青山氏 従御家老独礼迄勤仕年数附』 兵庫県史資料編 近世1 兵庫県1989
■ 丹波国篠山藩 『松平康信の家臣』『御家人一覧』 多紀郷土史考 上巻 多紀郷土史考刊行会 1958
■ 但馬国豊岡藩 『藩士分限帳』<宝永6・寛政12> 『豊岡誌 付録』 城崎郡豊岡町1942
■ 但馬国豊岡藩 『田辺京極家分限帳』『豊岡京極家分限帳』 豊岡市史 史料編 上巻 豊岡市1990
■ 但馬国出石藩 『仙石氏 御侍帳』 兵庫県史資料編 近世1 兵庫県1989
■ 但馬国出石藩 『御侍帳(仙石氏)』 出石町史 第3巻 資料編 出石町1987
■ 但馬国村岡藩 『藩士分限下調帳』 村岡町誌 下巻 村岡町1982
■ 阿波国徳島藩(淡路) 『須本諸士役付并席順姓名記』『阿波国徴古雑抄続篇 小姓・中小姓・日帳の氏名』『洲本無格分限帳』『稲田家臣団』『稲田騒動直前の分限帳』 洲本市史 洲本市役所1974
■ 多田院領 『多田院御家人名前書』 かわにし 第5巻 川西市1978
<中国地方>
■ 三百藩家臣人名事典. 第5巻 (三重県 2.和歌山県.京都府.兵庫県.大阪府.鳥取県.島根県)
家臣人名事典編纂委員会 編 新人物往来社 1988
■ 三百藩家臣人名事典. 第6巻 (岡山県・広島県・山口県・徳島県・香川県・愛媛県・高知県)
家臣人名事典編纂委員会 編 新人物往来社 1989
■ 『宇喜多家分限帳』 岡山市史 第2 岡山市1938
近代デジタルライブラリー版 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1261440
■ 『資料毛利氏八箇国御時代分限帳』岸浩編 マツノ書店S62
■ 長門国長州藩 『分限帳(7種)』 山口県文書館 毛利家文庫
(『広島御時代分限帳』『元就公御馬廻知行高』『天正十七年御馬廻分限帳』
『文禄慶長中分限帳』『慶長末年元和三年分限帳』『元和八年分限帳』)
http://ymonjo.ysn21.jp/msearch/search.php?m=oth&op=search&c=
■ 長門国長府藩 『長府藩分限帳』 下関郷土会S48 『郷土第19集』
■ 長門国萩藩 『嘉永改正いろは寄 萩藩分限帳』萩郷土文化研究会編S43
■ 長門国萩藩 『萩藩給禄帳』樹下明樹、田村哲夫編 マツノ書店S59
■ 長門国萩藩 『萩藩城下町の絵図に見る人名簿及び住所録』阿部次男H2
(-天和2(1682)~3(1683)年-)
■ 長門国萩藩 『萩城下町絵図にみる分限帳 -文化・文政年間』阿部次男H元
■ 長門国清末藩 『資料叢書 清末藩分限帳』 下関文書館S45
<四国地方>
■ 三百藩家臣人名事典. 第6巻 (岡山県・広島県・山口県・徳島県・香川県・愛媛県・高知県) 家臣人名事典編纂委員会 編 新人物往来社 1989
■ 阿波国徳島藩 『明治三年徳島藩職員録並御分知御家中分限帳』 桑井薫1992
■ 阿波国徳島藩 『阿州分限帳』 国文学研究資料館
http://base1.nijl.ac.jp/iview/Frame.jsp?DB_ID=G0003917KTM&C_CODE=0099-056002&IMG_SIZE=&IMG_NO=1
■ 阿波国阿波藩 『天保・阿波藩士分限帳』 三原宏文1978
■ 讃岐国生駒藩 (高松藩初期)『生駒家家臣分限ノ記』 合田學1999
http://kousakashikenshoukai.blogspot.jp/2010/10/blog-post_1559.html
■ 讃岐国高松藩 『高松藩士由緒録』 高松市歴史資料館WEB
http://www.city.takamatsu.kagawa.jp/kyouiku/bunkabu/rekisi/naiyou/yuisyo/yuisyo.htm
■ 讃岐国高松藩 『生駒壱岐守殿御家中分限帳』 上坂氏顕彰会史料出版部2001
■ 伊予国 『河野分限録』 伊予史料叢書第一集 長山源雄1900
http://www.geocities.jp/greenvillage_conbo/oyaji/kouno6.htm
■ 伊予国 西条藩 『西條藩士族姓名簿』 西条報恩会誌 塩出光雅編著 西条報恩会1984
■ 伊予国 小松藩 『文久三年小松藩士分限帳』 小松町誌 小松町1992
■ 伊予国 今治藩 『藩士分限帳』 今治郷土史 第3巻 今治拾遺 今治市役所1987
■ 伊予国 松山藩 『松山藩役録』 伊予史談会1989
■ 伊予国 松山藩 『松山分限帳』『松山武鑑』ほか 松山市史料集 第3巻 松山市役所1986
■ 伊予国 松山藩 『松山藩分限録』 愛媛県史 資料編 近世上 愛媛県1984
■ 伊予国 松山藩 『諸家譜』 松山叢談 第四(予陽叢書第七巻) 予陽叢書刊行会1936
■ 伊予国 宇和島藩 『宇和島藩庁 伊達家史料4-6(上中下) 家中由緒書』(宇和島藩分限帳) 近代史文庫宇和島研究会1978-1980
<九州地方>
■ 三百藩家臣人名事典. 第7巻 (福岡県・大分県・佐賀県・長崎県・熊本県・宮崎県・鹿児島県)
家臣人名事典編纂委員会 編 新人物往来社 1989
■ 対馬国対馬藩 『対馬藩分限帳』 安藤良俊・梅野初平・中村正夫 九州大学出版会1990
■ 対馬国 『 対州八郷給人分限帳』 梅野初平 潮旺社印刷 S48 非売
■ 豊前国小倉藩 『豊前叢書 第5巻』(天明7年分限帳・天保12年慶応2丙寅/知行録) 国書刊行会1981
■ 豊前国小倉藩 『小笠原藩侍帳』 小倉藩史研究会 編 鵬和出版1994
■ 豊前国千束藩 『千束藩分限帳(明治4年)』 福岡県史資料 第10輯S13
近代デジタルライブラリー版 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1208003
■ 豊前国中津藩 『豊前中津藩士銘々帖』 今永正樹 ふるさと豊前中津の会1987
■ 筑前国福岡藩 『黒田三藩分限帳』 福岡地方史談話会1978
■ 筑前国福岡藩 『福岡藩分限帳集成』 福岡地方史研究会 海鳥社1999
■ 筑前国福岡藩 『福岡藩家中分限帳(万延元年)』 福岡県史資料 第9輯S13
近代デジタルライブラリー版 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1207977
■ 筑後国久留米藩 『久留米藩御家中分限帳』 鶴久二郎1974(『久留米小史別冊』)
■ 筑後国柳河藩 『柳河藩立花家分限帳』 柳川市 柳川歴史資料集成第3集
■ 筑後国柳河藩 『福岡柳川藩分限帳』 堤伝S63
■ 筑後国三池藩 『三池藩分限帳 御家中分限録(明治2年)』 福岡県史資料 第10輯S13
近代デジタルライブラリー版 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1208003
■ 肥前国 『肥前鍋島家分限帳』 高野和人 青潮社H6
■ 肥前国佐賀藩 『佐賀藩着到帳集成』 佐賀県立図書館内古文書研究会1968/1981
■ 肥前国小城藩 『小城藩・着到と武家屋敷』 古賀次郎 小城町2001
■ 肥後国 『肥後加藤侯分限帳』 鈴木喬 青潮社S62
■ 肥後国熊本藩 WEB『新・肥後細川藩侍帳』 津々堂2003~
http://www.shinshindoh.com/00-samurai.htm
■ 肥後国熊本藩 『熊本藩侍帳集成』 松本寿三郎 細川藩政史研究会H8
■ 肥後国熊本藩 『宝暦五年御侍帳』 松本寿三郎 出水神社・汲古書院1988
■ 肥後国相良藩 『肥後国相良藩士分限帳』 佐藤光昭 五木文化研究所1983
■ 日向国高鍋藩 『宮崎県史・史料編近世4』(高鍋藩人給帳) 宮崎県1995
■ 日向国佐土原藩 『佐土原藩分限帳』 野田敏夫 日向文化談話会1965
■ 日向国飫肥藩 『飫肥藩分限帳』 野田敏夫 日向文化談話会1974
■ 薩摩国薩摩藩 『薩州島津家分限帳』 高野和人 青潮社1984
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