2022年10月13日木曜日

<125> 筑後大庄屋の正体を探せ3 ~古賀伊豆を追いかけて~

 

 さてさて、筑後大庄屋のはじまりとされる3人の正体を追い続けているこのコーナー、いよいよ3回目です。

 前回には、かなり大きなことが判明したので、まずはそのおさらいから。

 

 筑後大庄屋の始まりは、小早川隆景が秀吉によって筑後に送り込まれた時に

 

「石井和泉・古賀伊豆・田代興膳」

 

の3人が、大庄屋に任じられたということになっていますが、このうち「田代興膳」については、資料によっては「興膳善右衛門」とされている場合があり、まずそれが誤りであるらしいことがわかりました。

 

 さらに「田代」興膳という苗字についても、現代側から遡った時に、浮羽郡吉井の大庄屋がのちに「田代氏」であったことからの誤解であり、本来は「鳥越興膳」なのではないか?ということも判明したわけです。

 

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 では、残りの二人です。

 

 まず「石井和泉」という人物。これは当初、私も肥前系の人物なのではないかと思っていました。肥前には

 

石井和泉守忠清

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E4%BA%95%E5%BF%A0%E6%B8%85 


という、そこそこ有名な武将がおり、その関係者の可能性があったわけですね。

 この一族、肥前石井氏で藤原氏とも千葉氏の出身とも称していますが、龍造寺氏や鍋島氏の家臣として活躍するので、有名です。

 

 もともとは下総の氏族で、千葉氏にくっついて肥前入りしたらしい、ということは事実のようです。

 

 ところが、筑後大庄屋になった石井和泉は、当然ながら「和泉守忠清」とは別人らしいのです。

 

  前回出てきたのは、「日田郡石井村」の石井という地侍が石井和泉の正体である、ということでした。

 

 日田には「石井」という地域があり、これがまたかなり古くから発展したエリアのようで「石井大明神」なる神社があったりするくらい。

 「和名抄」にある”日田郡石井郷”と考えられています。

 

 なるほど、日田郡石井の地侍が帰農して大庄屋となったというのは頷けます。

 

 

 

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 では、いよいよ問題の「古賀伊豆」です。

 

 そもそも「古賀伊豆」の何がどう問題かというと、「筑後国三潴郡八丁牟田」村にやってきた龍造寺氏家臣の武将が「古賀伊豆」であると三潴郡の記録にあり、それが大庄屋となった「古賀伊豆」と同一人物なのかどうか、ということでしたね。


 もちろん、三潴郡の「古賀伊豆」はその名前しかわかりません。あるいは「龍造寺家臣」であったことだけはわかりますが、その出自は不明です。


 一方、大庄屋となった「古賀伊豆」は福岡県史資料: 第8輯」によると

 

「三潴郡古賀村出身の古賀伊豆守・高一揆衆」

 

とあり、 ある程度、出自を推理できそうです。


 ポイントは2つあります。



<ポイント1> 三潴郡古賀村出身

 

 まず、古賀伊豆は「三潴郡出身である」という点が興味深いです。最終的に筑後大庄屋となった古賀伊豆は

 

”天正年間に、生葉郡の大庄屋”

 

となっているので、実はエリアがちょっとズレているのです。もし、二人が同一人物であれば、「古賀伊豆は、いったん八丁牟田に赴任してそこから浮羽郡(生葉郡)へ移動した」ことになるでしょう。

 

 けれども、エリアが違うとは言え、現在の八女市星野・うきは市ですから、三潴とは隣接地帯で、江戸時代はどちらも久留米藩であり、のちに「三潴県」になっているエリアです。

 

 ですから、古賀伊豆が、「確固たる領地」を八丁牟田に持っていたわけではなく、短期の駐留であったとしたら、八丁牟田から生葉へわずかに移動していても、不思議ではないという絶妙な距離感だと思われます。

 

 なにより、古賀伊豆は「三潴郡出身」とあるので、だとすれば佐賀勢にいたときも、「佐賀本軍」所属ではなく、三潴の地侍が龍造寺に従っていただけ、ということもありえます。

 その頃ちょうど柳川までは、龍造寺隆信の息がかかっていたため、十分その可能性があるということです。

 

 

<ポイント2> 高一揆衆とは

 

  そして2つめのポイントは、古賀伊豆が「高一揆衆」であるとされている点です。高一揆衆とは簡単に言えば「大友氏の家臣」を意味します。


 まず、足利時代以降「筑後十五城」「高一揆衆(二十四頭)」という布陣で、大友氏は筑後や肥前を管理しました。

 

筑後十五城 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%91%E5%BE%8C%E5%8D%81%E4%BA%94%E5%9F%8E 

 

 蒲池・星野・黒木など、有名武家が並びます。

 

一方、高一揆衆は

「江島、上妻、三原、安武、町野、小河、菅、麦生、酒見、津村、酒井田、坂田、甘木、辺春、谷川、行徳、古賀、高三潴、林田、木室、荒木、水田、隅、稲員、諸富」

とされ、古賀氏がいます。

 

 彼らは大友直参の小豪族でした。苗字を見ると今も筑後の地名として続いている名だとわかります。

 

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 つまり、流れを整理すると、以下のようになるでしょう。

 

◆ 室町末期から戦国時代前期にかけて、九州北部で力を持っていたのは、「少弐」「大友」などの諸氏。

◆ 大友氏は筑後十五城と高一揆衆をもって筑後を管理

◆ 少弐氏は、じわじわと筑前を追い出されて肥前へ移動

◆ 少弐門下から龍造寺や鍋島が台頭。肥前はこの2氏が強くなってゆく。

◆ 龍造寺は肥前から筑後へ侵入、大友氏とガチバトル。大友弱体に乗じて柳川あたりまで支配下に。

◆ 龍造寺隆信・南から北上してきた島津に敗れて死去

◆ 次の瞬間、秀吉によってすべてにストップがかかる。


という感じです。


 ということは、蒲池氏もしかりですが、「龍造寺隆信」がめちゃんこイキッてしまったので、やむなく佐賀勢に従っていますが、筑後の連中はもともとみな「大友派閥」ということです。

 結局、龍造寺隆信は、蒲池鎮漣を謀殺してしまい、一時は龍造寺についていた筑後の武将たちの反感をかって離反をまねくわけで、ちょうど古賀伊豆や大塚隠岐はその真っ只中で身の振り方を考えねばならなかった、ということなのでしょう。

 ましてや、戦後処理もままならぬ間に、今度は中央から秀吉勢がやってきて、すべての動きをリセットさせられてしまうわけで、まさに天正年間という短い間に

 

「え?明日からワシどうしたらええねん!」

 

ということが各武将に起きていたと思われます。

 

 そう考えると、古賀伊豆は同一人物である、と考えてもあながち間違いではないかもしれません。

 

■ まず、三潴郡の武将であった古賀氏は、大友の高一揆衆であった。

■ 古賀伊豆守の頃、大友は弱体化し、龍造寺の筑後侵攻によって多くの筑後衆が佐賀勢に従った。

■ 古賀伊豆は、そのため「龍造寺家臣」ということになるが、地元に近い八丁牟田に駐屯していた。

■ あれよあれよという間に隆信が死に、秀吉軍がやってきて天下統一されてしまった。

■ 古賀伊豆は、赴任してきた小早川隆景に従い、直属の家臣ではない地侍なので庄屋に任命された。


というのが真実に近そうです。

 

 古賀伊豆から見れば、その瞬間瞬間に「誰につくか、誰に従うか」の判断を問われていた、ということなのでしょう。

 

 

  さて、問題の大塚隠岐です。大塚隠岐もまた、佐賀勢ではありながらその経緯においては龍造寺の元からの家臣ではありません。実際には神代長良の家臣ですから、つい先日まで龍造寺と争っていた側の人間であり、古賀伊豆と経歴が似ています。

 

 天正年間のある瞬間においては、大塚隠岐は古賀伊豆のおそらく与力のような形で八丁牟田へ赴任したわけですが、彼もまた佐賀を出たまま、放り出されてしまったことになります。

 

 そもそも、古賀伊豆と大塚隠岐の間に従来からの主従関係があったか?と言われれば違うのではないか?と思います。

 龍造寺の命令のもとでは、「おまえらは八丁牟田と会下古賀あたりを管理しろ」ということになって赴任していたけれど、上司上官はあくまでも隆信であって、二人は上下関係にあったわけではないかもしれません。

 

 そのため、隆信が死んだ後は、二人ともドライで、自分の身の振り方を考えます。


 古賀伊豆は小早川隆景のところへいち早く駆けつけ、雇ってもらおうとします。


 大塚隠岐は佐賀へは戻らず、隆信の後を継いだ鍋島直茂の「帰って来い」という命令を聞かず、既読スルーしています。

(もともと、隆信に従うのも微妙なのだから、当初正統な継承者ではなかった直茂に対しては、さらに言うことを聞くつもりはなかったのかもしれません)

 

※補足ですが、推測ながら古賀伊豆も大塚隠岐も、いわゆる先祖伝来の「本領」のようなものを持っていなかったのではないか?と考えます。

 古賀伊豆が古賀村の当主であれば、八丁牟田にいたり、生葉郡へ行ったりすることがすこし不可思議です。

 大塚隠岐も、本来は佐賀の人間ですから、「ある瞬間」は筑後にいたかもしれないけれど、その領地は短期的な位置づけだった可能性があるかもしれません。

 

 

 どうも、歴史をずーっと読み解いてゆくと、そういうことがあったのではないか?と思うわけです。

 

 こういう人間模様が、先祖の生きた証だとすれば、かなり面白いのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

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