前回は、真田の家臣に「大塚氏」がいた、あるいは真田と遠縁の「大塚一族」がいたお話でしたが、今回は氏族とは無関係です。
ですが、全国の大塚さんたちが多いに盛り上がりそうなこのお話。
NHK大河ドラマ「真田丸」のクライマックスが待ち遠しい、地名の
「大塚城」
についてのご紹介です。
大阪城の戦いにおける「真田丸」といえば、真田信繁が大阪城から外に出て築いた出城としての「真田丸」が有名ですが、 実は、真田の戦いのすごさは、
「真田丸じゃなくて、大塚城」
でそのクライマックスを迎えること、知ってました?
というのも、真田丸の戦いは、一回目の「大阪冬の陣」でのお話、だからです。
実際に信繁たちが滅びることになる「大阪夏の陣」は、2回目の戦いですから、ここで要注意なのです。
2回目の戦いでは、信繁は真田丸を使っていない!!!!ババーン!
と言えば、みなさん驚くことでしょう。
そうなんです。
真田氏の2回目の戦いでは、真田丸はあんまり関係ないことになっちゃってるのです。
では、真田丸の真の舞台は何処だったのか?!
それが、現在茶臼山古墳として知られる、其の名も
「大塚城」
なのであります!
ウィキペディアより大塚城
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%A1%9A%E5%9F%8E
この大塚城、実は大阪の陣を象徴するような城で、
1回目の大阪冬の陣では、家康の本陣
が置かれます。
そして
2回目の大阪夏の陣では、真田の陣
が置かれるのです!!!
どっちから見ても最前線!!!特捜最前線です!!!(←古いわ)
陣形については、ウィキペディアをご参照ください。
ウィキペディアより大阪の陣
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%9D%82%E3%81%AE%E9%99%A3
(画像はウィキペディアからの引用です)
ちょうど一番でかい赤い凸型のあるところ、そこが大塚城(茶臼山)です。
冬の陣では、ここに家康がいます。
(画像はウィキペディアからの引用です)
そしてなんと!大阪夏の陣では堺雅人が大塚城にいるのです!!!!
ちなみに、絵図では、信繁の下に、愛之助の息子「大谷吉治」の名前も。ノリカのこどもではないので、あしからず。
いやあ、クライマックスが待ち遠しいですね!!!
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