2015年3月14日土曜日

<話題> 「かぐや姫の物語」 誰も知らないあれこれ祭り!

 昨日は、地上波テレビ放送で「かぐや姫の物語」をやってました(^^

 もちろん私も拝聴しましたが、なかなかすばらしい映像と物語で、うるうるきてしまいました(苦笑)



 かぐや姫といえば、いわずとしれた日本文学の最古典「竹取物語」です。創作物語とはいえ、歴史とご先祖探求をモットーとする当ブログで取り上げないわけにはいきません。

 おまけに大塚某の専門は、日本の国文学(古典)ですので、そっちの面からも捨て置くことはできません(^^;


 というわけで、今回は俺ん家コード流、「かぐや姫の物語」祭りでお届けします!


 

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 まず、この映画の原作である「竹取物語」は、日本で最も最初にかかれた文学であるとされています。

 国語の授業でも、そこは試験に出るポイントですね!


 ただ、みなさんなんとなく、「かぐや姫が十二単を着ている」といったイメージから、


 平安時代のお話かなあ


と思っているかもしれませんが、それは雰囲気です(笑)


 実際には、かぐや姫に求婚する5人の貴族がいるのですが、そのうち3人は実在が確認されており、


阿倍御主人、大伴御行、石上麻呂は全て飛鳥時代・奈良時代の人


です。


 残りの二人は、実在の人物名とは違いますが、作中の名前のつけ方などから「だいたいこの人物ではないか」という推測がついており、彼らもおなじ時代の人物だとわかっています。



 さて、飛鳥時代・奈良時代といってもピンときませんね?都でいえば、奈良の明日香宮と平城京が思い浮かびますが、ブンガク的には百人一首の


「春すぎて夏來にけらし白妙の 衣ほすてふ天の香具山」


で有名な持統天皇の前後あたりをイメージしてください。お父さんは中大江皇子であった天智天皇、先帝は大海人皇子だった天武天皇といった時代です。


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 ところが、この物語、わたしたちが想像するように、十二単を着て牛車に乗っているようなかぐや姫像で、


間違いというわけではない


とも言えるから面白いのです。


 そう!たしかに舞台設定は「奈良時代のこと」と見せ掛けてありますが、このお話が書かれたのは「平安時代」であろう、と推定されるからです。


 正確な執筆年代や、作者についてはいろいろ説があるようですが、大事なのは、「書かれたのは平安時代なので、その時代の風俗についても触れてある」というわけなんです。



 なんてったって創作ですから、「古い昔のことじゃった」とその時代よりもさらに昔のお話として設定されているわけですね。時代劇とか大河ドラマみたいなもんだと思えば、そうおかしくはありません。

 そして、その頃は時代考証とか無関係なので、飛鳥時代でも牛車に乗ってたりするわけです。



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 それよりも、もっと面白いのは、なんと現存する「竹取物語」はさらに時代が下って室町時代のものしかなく、さらに完全版となると、


天正20年


のものしかないというのだから驚きです。出た!天正年間!このブログファンにとっては、もうおなじみの時代、ついこないだみたいなもんです(笑)

 
 本来は歴史がながいのに、現存しているのはそれくらい「最近の写本」しかないわけですが、ということはつまり、原本から戦国時代までは


「手書きで、何度も何度もコピペされまくった」


著作権とか、もうなんか飛び越えてる存在だということがわかります。

 
 日本の文学の著作権有効期間は作者の死後50年ですが、「竹取物語」のコピペ暦は、なんと


700年


以上に渡ります。(成立~完全写本まで)


 ここまでコピペされると、これはもう文化です。


 その昔、一太郎とかロータス123がコピーされまくって広まったのと似てますね(爆)


 さらにすごいのは、原作は漢文だったのに、現存写本は「かな文字」で書かれているらしいので、


BASICからC++に移植されたみたいなもん


でもあるのです。すごい!あなどれません。



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 さらに竹取物語のすごいところは、実は「オヤジギャグ満載!」なところです。

 まあ、古典文学的には、この手の説話風物語には「ことばあそび」的(駄洒落っぽい)由来譚がつきものなのですが、そのレベルが恐ろしいほどオヤジなので、ご紹介しておきましょう。


 石作皇子がニセモノの鉢を持ってきて、嘘がばれて鉢を捨てても言い寄ったので「ハヂを捨てる」。

 車持皇子が玉の枝を作らせていた間、しばらく姿が見えなかったので「たまさか(希)」。

 つばめの子安貝をつかんだ!と思ったら体が落ちて離してしまったので「かいなし」。


などなど。うーん、ベタやなあああ!!


 極め付きは、なんと読者をひっかける、ひっかけ付き駄洒落!


 原作のラストシーンで、かぐや姫が帝に贈った「不老不死の薬」を、彼女がいないのであれば意味がないと帝は

「(月に近い)一番高い山で焼いてしまってくれ」

と命令するのですが、そこで


「不死(ふし)の薬を焼いたから富士(ふじ)山なのかな」


と思わせといて、


「ざんねーん、武士がたくさん登って焼いたので、士に富む山でした~」


と書いてあるわけです。作者はなかなかのつわものだと思われます。




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 それもそのはず、最近の研究では、どうも作者は


あの日本で初に違いない女装家  紀貫之


ではないかと言われています。なんといっても



「おっさんなのにギャルのふりして丸文字で書いちゃった(おとこもすなる日記といふものを女もしてみむとてするなり)」


りする、マツコもミッツもびっくりな、元祖ネットおかまですから読者をあざむくなど、おちゃのこさいさいといったところでしょうか。


(どうも、貫之作の土佐日記には駄洒落やギャグ満載というところもあって、作者が彼だと推定されているとか)


 ちなみに、土佐日記は日本の日記文学のはじめだとされているため、


 元祖ネカマかつ元祖ブロガー


だったことも間違いないようで(^^;



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 さて、紀貫之に話がとんだところで、ジブリ版「かぐや姫の物語」では、ヒロインの朝倉あきちゃんの幼馴染にして天然パーマのおにいちゃんとして



捨丸にいちゃん



という人物が出てきましたが、捨(すて)ということばは、そのまんま「捨てる・捨てられる」という意味で、丸(まる・まろ)という言葉は



 ・・・う○こ


という意味です。ダイハードシリーズでブルースウィリスが連呼するところの



「クソ野郎~ぅ」


とかなり近いです。


 そういえば、大河ドラマ「軍師官兵衛ちゃんbyひらパー園長延長おめでとう」でも、秀吉のこどもが最初「捨(すて)」で、つぎが「拾(ひろい)」でしたね。


 この話はおんなじことで、こどもには悪霊が取り付かぬように、最初から「悪いネーミングをつける」というのが、当時の基本でした。


 悪を悪ではねのける、という意味合いなんです。


 紀貫之も、幼名は「阿古久曽(あこくそ)」でした。


 う○ちくん、ぐらいの意味です。
 

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 さて、そんな感じでとめどなくどこへでも広がりそうな「竹取物語トリビア」でしたが、とりあえずはこの辺でお開きとしておきましょう。










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