2016年10月31日月曜日

<調査中> 全国の大塚さん・大塚地区 「おおつか」なのかそれとも「おおづか」なのか?!


 久しぶりの更新ですが、いわゆる大塚氏族の調査については、とても地道に行っていて、なかなかまとまって書き込むレベルに達していないものもあったりして更新頻度が落ちています。ごめんなさい。



 さて今回はちょっと面白い資料があったので、みなさんに「問題提起」「なげかけ」だけをしておこうと思います。



 全国の「大塚」なみなさん!あるいは近くに「大塚」という地名があるというそこのあなた!



 それは「おおつか」と読みますか?それとも「おおづか」ですか?




 漢字の検索だけではひっかかってこないこの大問題(なのか?苦笑)。意外と奥深いかもしれません。



 というわけで、今日の元ネタの論文です。


■ 静岡大学リポジトリより


「オ・コ(小)とオー(大)が地名の連濁に与える影響について
: 明治期村名とその後の音変化から連濁・非連濁の傾向と規則性を読み取る」城岡啓二




 この城岡さんの研究は、音韻論的なアプローチですが、明治時代における村名について「おおつか/おおづか」の実例を示して下さっているのでとても参考になります。
 
 
 
 論文によれば、もちろん大半の「大塚」は「オオツカ」と発音されるのですが、
 
 
■ 鳥取市大塚(近世:因幡国高草郡大塚)はオホヅカ(つまり、オオヅカ)
 
■ 伯耆国久米郡大塚 (オオヅカ)
 
をはじめとして
 
■ 群馬県藤岡市
■ 群馬県吾妻郡中之条町
■ 埼玉県深谷市
■ 埼玉県比企郡川島町
■ 広島市安佐南区
■ 福岡県朝倉郡筑前町
 
の大塚はオオヅカであるといいます。
 
(いずれも郵便番号簿において)
 
 
 たしかに、これを裏付けるように、広島安佐南区の大塚駅などはWikipediaでも
 
大塚駅


わざわざ「おおづか」のふりがながありました。
 
 
 というわけで、上記のような地区にゆかりのある大塚さんは
 
 
「おおづかさん」
 
 
である可能性も出てきました。
 
 
 
 もし、われこそは「おおづかです!」という方がいれば、ぜひ教えてくださいね!
 
 
 


2016年8月18日木曜日

<姓氏家系>完全網羅 苗字 近藤姓・近藤氏・近藤さんのすべて! 全近藤氏族 由来・ルーツ 超まとめスペシャル

 今回の記事は、九州少弐系の氏族を中心としながら、横の広がりを調査するためにまとめたものです。


 近藤氏は”近江の藤原氏”などを意味しますが、少弐氏との関係においては、少弐の家祖である武藤資頼の父、武藤頼平の兄が近藤能成であり、その子が大友能直として大友氏の祖となることから採録します。



 全国の近藤氏・近藤さんにまつわる先祖のルーツを完全網羅しています。

 抜けているもの、未調査のものは、随時加筆しています。
(最終更新 2016.8.18)


☆個別の御家のルーツについてより詳しく知りたい方は、記事下部の
「苗字・名字の由来と先祖探しのアドバイスをします」
よりご依頼ください☆



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★ 参考文献 ★

 今回のリスト制作に当たっては、以下の参考文献を元に作成した。

 ① 「寛政重修諸家譜」 索引ならびに影印本 近代デジタルライブラリー 国立国会図書館

    http://kindai.ndl.go.jp/

 ② 「家紋でたどるあなたの家系」 千鹿野茂  八木書店

 ③ 「続・家紋でたどるあなたの家系」 千鹿野茂  八木書店

 ④ 「姓氏家系辞書・姓氏家系大辞典」 太田亮 近代デジタルライブラリー版

 ⑤ 「日本の苗字7000傑」  http://www.myj7000.jp-biz.net/
 

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 今回のリストは、上記参考文献を元に、全国各地に散らばる「吉田姓」「吉田氏」について、なるべく重複を避ける形でわかっていることを列記したものである。

※ 寛政譜に記載のある場合、数字においては【八木書店版】「寛政重修諸家譜」の巻数を表す。

【  】内についてはわかるかぎりの家紋を示した。


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A  近藤氏  藤原氏秀郷流 近江掾の位を得て近藤を名乗る。武藤・少弐氏へ 寛政譜13  【下がり藤】【五三桐】【稲穂】【稲の丸】【丸に軍配】【亀甲】など


B  近藤氏  未勘源氏 寛政譜20  【丸に角】


C  近藤氏   清和源氏村上氏族  信濃国更科郡清野より。元清野から近藤へ 【上り藤】【鷹の羽】


D  近藤氏  斎部氏流、阿波忌部氏より麻殖大宮司家を経て近藤氏




E  近藤氏  藤原南家豊成流より近藤氏


F  近藤氏  藤原氏良門流(勧修寺流)より近藤氏


G  近藤氏  相模国三浦氏の系より杉本氏をへて近藤


H  近藤氏  藤原氏末茂流より近藤氏(途中系不詳) 一宮氏へ続く


I  近藤氏  上鴨社家より出た近藤氏


J  近藤氏  豊後大神氏より大野氏・緒方氏を経て近藤





そのほか、近藤姓の家紋では


【抱き鹿角】

【三つ追い藤】

【三つ割角】

【藤桐】

【轡】

【扇】




などを用いるものがある。


 この他は現在調査中

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<告知です>

500円でなんでも頼めるココナラにおいて「苗字・名字の由来と先祖探しのアドバイスをします」というサービスを開始しました。

 https://coconala.com/services/41874


みなさんの「名字・苗字のルーツ調べ」をさくっとお手軽にお手伝いいたします。

詳しいサービス内容は上記リンクをご参照ください。


既に何件かサポートさせていただきましたが、喜んでいただいております(^^


あなたも歴史ミステリーの扉を開いてみませんか?!


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<特集で紹介されました~>

「こんなの見たことない!」ワクワクするユニークなサービスまとめ

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<新サービス開始>

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2016年8月1日月曜日

大塚某が 晋遊舎さんのMOOK本(ムック本)で取材を受けました! 7月27日発売! 本屋さん、コンビニでね!



 こんにちは


 ふだんは大塚姓に限らず、依頼があればどんな苗字でもルーツや由来を調べているのですが、そんな活動を続けていることもあって


 晋遊舎さんのムック


で取材を受けました!


 まあ、本のテーマが苗字よりも「副業」のほうだったので、そっちがらみですが(笑)


 記事が載っているのはこれ!


【副業完全ガイド稼げる! ずるい副業108】

 http://www.shinyusha.co.jp/media/kanzen147/



 まあ、ほかにもいろんなネタが載ってますが、苗字研究を業務にしている人はあんまりいないと思います(苦笑)



 全国の本屋さんなどで7月27日発売で並んでいると思うので、ご興味のある方はぜひ!


2016年7月18日月曜日

ネットでできるご先祖さま探し/ルーツ調べ 電子書籍 改訂版登場!


 当ブログではおなじみの「ご先祖さまのたどり方」が、電子書籍・改訂新版になって登場です!



「改訂版 ネットでできる ご先祖様の探し方・ルーツ調べ」


がPDFファイル50Pの新版で再び登場しました。


 前回は、直販だったのですが、今回は



 ココナラ
https://coconala.com/services/134664



ココナラさんとタイアップで、サービス提供しております。


 当ブログみたいに、自分でご先祖さま調べをしてみたい!という方は必見です。実践的なアドバイスも多数盛り込んでいますので、ぜひご活用ください。



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<目次> 

はじめに

 1 まずはここから!「姓氏家系辞書」「姓氏家系大辞典」を読んでみよう。

 2 事前準備 「苗字と家紋と出身地」を知っておこう。

 3 調査開始 「戸籍謄本」を取得してみよう。

 4 今の地名と江戸時代の地名を比べておこう。

 5 驚きの技術「地縁血縁解析法」を試してみよう。

 6 江戸時代の「藩」について調べてみよう。

 7 「藩士のリスト(分限帳)」を読んでみよう。

 8 地域の歴史(県・市町村・ムラ)を調べてみよう。

 9 ネット検索のテクニックを学ぼう。

10 専門書・古書の探し方を覚えよう。

11 古文書を読んでみよう。

12 より詳しい調査のために ~現地調査にとりかかろう~

 おわりに


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  ご興味のある方はぜひ!

2016年6月26日日曜日

<調査中> 山梨県の大塚さん

 ちょっとだけ思い出したように、全国の大塚さん調べを続けている。



山梨県東八代郡


の別の氏族の依頼で、苗字とルーツ探しをしていたところ、この地域にも「大塚」姓があることに気づき、ちょっとだけ寄り道をして調べてみた。



 すると、実は東八代ではなく西八代のほうに、「大塚村」を発見!正式には、


甲斐国西八代郡大塚村  (現在は、市川三郷町大塚)


という名称である。



 ちなみに、この大塚村と隣接していたのが



「甲斐国、下九一色村」


である。ん?んん?なんか聞いたことのある名前!!!




 そうである。今はなくなってしまったが、オウム事件で一躍有名になってしまった


「上九一色村」


の”下”のほうだった!




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 まあ、地理的にはそんなあたり、ということで完全に余談だったのだが、甲斐国の大塚姓についてはまだ資料をあまり見つけていないので、八代の大塚氏を含めてどういう系統かまだ判断がつかない。



 甲斐といえば武田氏族の支流に大塚氏は存在するようなのだが、この系統も資料がすくなく推測の域を出ていない。



 武田氏家臣の大塚氏については、たとえばこんなのが。


 Wikipediaより 武田信顕

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%A1%95

 

 甲斐から出た武田氏で、天正期に徳島の脇城に入り、長曽我部と戦って最終的には負けるのだが、その遺体を家臣の大塚善太夫が埋めた、ということになっている。


 もちろん、これだけではこの大塚氏が甲斐の系統か、徳島の系統かわからないのでなんともいえないのだが・・・。



 調査続行!




2016年6月25日土曜日

<調査中> 秋田県、山形県、そして宮城県と栃木県?の大塚さん 〜出羽国と大塚氏〜

 久しぶりの全国大塚研究の記事であるが、ふと面白い記述を目にしたので、ご紹介しておきたい。


 北海道の岸本さんという方は、苗字研究の大家で有名なのだが、「税のしるべ」という大蔵財務協会という仰々しいところから出ている雑誌にこんな記事を書かれたことがあったらしい。


” 大塚さんは全国にいるが、一番多く住んでいるのは栃木県である。”


 税のしるべ電子版
 http://shirube.zaikyo.or.jp/article/2014/07/28/19648.html



 というわけで、この系統の大塚さんについて調べたいわけだが、以前にもどこかで書いたけれどこの系統は、近世には「伊達家」の家臣やそのグループに属していることが多い。


 その理由は以下のようなことらしい。



 秋田の中世を歩く さんのサイト
 http://zyousai.sakura.ne.jp/mysite1/kawanisi/ootuka.html


によると、


旧出羽国 山形県東置賜郡川西町中大塚

というところに「大塚城」なる城があり、


藤原道隆の九世の子孫大塚因幡守親行が、「置玉郡長井荘大塚城」に居住した


と「伊達世臣家譜」に書かれているという。



 その後、南北朝時代には伊達氏が一帯を制圧するため、その後は大塚氏は伊達家臣として生きていったと考えられるのだが、このことについては、他でも伊達の資料に大塚の名が散見されることから、一定の信憑性があるように感じられる。


 
 出羽大塚城については、


城郭放浪記 さんのサイト
http://www.hb.pei.jp/shiro/dewa/ohtsuka-jyo/


にも書かれている。



 実は、この系統は


<調査中><59> もう一人の”大塚将監”は何者なのか?! 山形県の大塚さん
http://samurai-otsuka.blogspot.jp/2014/05/blog-post_2.html


で一度取り上げているが、その時は、「藤原道隆」の系統であることがわからず、地元の氏族だと考えていた。



 なので、今回ちょっと進歩(笑)



 ちなみにこの系統、  


『宮城県姓氏家系大辞典』(角川)では


◇仙台藩家臣、藤原姓、大塚因幡守親行の十四代左衛門佐宗頼が祖。一族に列す。磐井郡(岩手県)西永井村に田宅を置く。
 

◇仙台藩家臣、(1)の宗頼の次男和泉頼賢に始まる。平士。宮城郡七北田村大沢(仙台市)に田宅を置く。
 

◇白石片倉家の家臣、一番座、一貫文。三吉が初代。
 

◇白石片倉家の家臣、士格の一。五〇〇文。清助が初代。


とあるうちの最初のものだと思われる。





 秋田県の大塚氏については、「秋田県史」344Pには



”山本郡河戸村肝煎”


として大塚氏の名前が出てくるので、出羽一帯の大塚姓の分布も要調査であろう。






2016年6月8日水曜日

全国の大塚さんたち!クライマックスが待ちきれない! 聞いて驚け”真田丸”最後の戦地は「大塚城」だったスペシャル!

 前回は、真田の家臣に「大塚氏」がいた、あるいは真田と遠縁の「大塚一族」がいたお話でしたが、今回は氏族とは無関係です。


 ですが、全国の大塚さんたちが多いに盛り上がりそうなこのお話。


 NHK大河ドラマ「真田丸」のクライマックスが待ち遠しい、地名の



「大塚城」



についてのご紹介です。


 大阪城の戦いにおける「真田丸」といえば、真田信繁が大阪城から外に出て築いた出城としての「真田丸」が有名ですが、 実は、真田の戦いのすごさは、


「真田丸じゃなくて、大塚城」


でそのクライマックスを迎えること、知ってました?



 というのも、真田丸の戦いは、一回目の「大阪冬の陣」でのお話、だからです。


 実際に信繁たちが滅びることになる「大阪夏の陣」は、2回目の戦いですから、ここで要注意なのです。



 2回目の戦いでは、信繁は真田丸を使っていない!!!!ババーン!



と言えば、みなさん驚くことでしょう。



 そうなんです。



 真田氏の2回目の戦いでは、真田丸はあんまり関係ないことになっちゃってるのです。




 では、真田丸の真の舞台は何処だったのか?!


 それが、現在茶臼山古墳として知られる、其の名も



「大塚城」


なのであります!


 ウィキペディアより大塚城
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%A1%9A%E5%9F%8E


 

 この大塚城、実は大阪の陣を象徴するような城で、


1回目の大阪冬の陣では、家康の本陣


が置かれます。


そして

2回目の大阪夏の陣では、真田の陣


が置かれるのです!!!


 どっちから見ても最前線!!!特捜最前線です!!!(←古いわ)



 陣形については、ウィキペディアをご参照ください。


ウィキペディアより大阪の陣
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%9D%82%E3%81%AE%E9%99%A3



(画像はウィキペディアからの引用です)


 ちょうど一番でかい赤い凸型のあるところ、そこが大塚城(茶臼山)です。

冬の陣では、ここに家康がいます。





(画像はウィキペディアからの引用です)


そしてなんと!大阪夏の陣では堺雅人が大塚城にいるのです!!!!


 ちなみに、絵図では、信繁の下に、愛之助の息子「大谷吉治」の名前も。ノリカのこどもではないので、あしからず。



 いやあ、クライマックスが待ち遠しいですね!!!