2020年5月26日火曜日

<122> 肥前・筑後の大塚氏のルーツ


 久しぶりにわが苗字である「大塚」氏について調査を再開したのと、ココナラさんでのお仕事である苗字調べのためにいくつか新資料を購入した。九州系の苗字調べの依頼も多いので、役にたつことと思う。


 その中で、うちの大塚姓に関する部分を今回ご紹介するとすれば



 ■1 「佐賀藩の総合研究」 藤野保 1981


 ■2 「三根町史」 1984


 ■3 「系図研究の基礎知識」 近藤出版社


の3点を挙げておこう。


 「佐賀藩の総合研究」のほうは、その後続編が執筆されているが、私の分野だと中世から江戸初期までなので、第一巻のほうが当てはまる。

 


 この2冊の購入で、めちゃくちゃ目新しいことがわかったか?と言われれば実はどこかで聞きかじっていることばかりで、特に新事実は無かったのだが、それらを補完する周辺事項としてはたいへんに役に立った。




 では、肥前・筑後の大塚氏についておさらいである。



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 「佐賀藩の総合研究」における記載事項としては、まず


少弐経資の弟、「少弐資俊」から西氏がはじまった


ことが書かれている。 この事項そのものは、「武藤少弐興亡史」 渡辺文吉 1989に書かれていることと同じであるが。


(既出)
 https://samurai-otsuka.blogspot.com/2014/07/blog-post_8379.html


 少弐資俊が「西筑前守」を称して西氏をスタートさせたことが、判明しているというわけだ。


 
 それから嘉吉元年あたりの少弐子孫として「大塚」の記載がある。これは、「北肥戦誌」の記述を引っ張ってきたものであり、こちらも当方では既出。


 大塚氏がその後、「竜造寺家臣」として続いた話もちらりと書かれている。


 このあたりの話は、渡辺文吉さんが発掘した「大塚系譜」のほうが詳しいし、それに登場する細かな人物名が「北肥戦誌」と合致するので、おおむねこの系譜の内容はざっくり信頼できるということになるだろう。



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 一方「三根町史」においては大塚氏の扱いは薄い!


 大塚氏がほぼ三養基郡から出ていることは間違いないのだが、残念ながら大塚氏の存在が表に出てきた時代が遅いからか、ほとんど言及がなかった。



 ただ、傍証となる記載はいくつかある。現在、はっきりとその場所が明らかになっていないが、



 三根郡大塚村



が存在したことが一次資料の文書で示される。


 「三根町史」では、三根に入った横岳氏の話はたっぷり出てくるが、これまた残念なことに大塚村がいったいどこでどうなっているのかも話としては出てこない。


 

 もうひとつ、気になる話もある。これは話が合致するのか未検証だが、


「三根西郷」

「三根東郷」もある


というエリアがあって、個人的には「西氏」の苗字のルーツはこの西郷なのではないか?と思う。



 三根西郷は、三根郡大庄屋の管轄エリアで、三根東郷は養父郡大庄屋の管轄エリアであることも示されている。



 別の本だが「佐賀藩研究論攷」池田史郎 によると三根郡西郷に上峰町が入っているとのこと。


 
 古墳めぐりウォーキングさんのサイト
http://kofunmeguriwalking.web.fc2.com/plan/miyaki-1.html


を参照すると、この三養基エリアには「大塚のもとになる古墳」がたくさんあることがわかる。


 撤退した”イオン上峰”あたりが、大塚氏の発祥の地ではないかと推測しているのだが、いかがだろうか。




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 それから「系図研究の基礎知識」では、


 龍造寺家重が大塚氏を称する


 話が出てくる。 子孫は鍋島氏の家臣となったとされているが、こんな重要な話なのに、元ネタがわからない。


 たぶん、犬塚家重の間違い・誤植だと思うが・・・。


龍造寺高房のきょうだいが、「犬塚家重」として犬塚の名跡を継いでいる話のことだと思われる。


龍造寺高房
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BE%8D%E9%80%A0%E5%AF%BA%E9%AB%98%E6%88%BF






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 今回はここまで!!!




 

3 件のコメント:

  1. こんにちは、私の先祖も佐賀藩士の大塚姓です。佐賀の乱で敗戦以降佐賀を離れ、日本各地に散り散りになったとか。もしかしたら筆者さんと遠いご親戚かもしれませんね。。

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  2. コメントありがとうございます。

    佐賀藩に属する大塚氏は、その系譜が平成になってから確認されたものがあるようで、おそらくは龍造寺氏時代に、もともとは対立していた「神代長良」の家臣だった系統がわかっています。

    また、もしかするとそれ以外にも「少弐氏」の分かれから直接、龍造寺や鍋島氏の家臣になった系統があるかもしれません。

    おっしゃるとおり、元々は同族だった可能性もありますね。


    もしよろしければ、御家の家紋がどんなものかお知らせくだされば嬉しいです。

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  3. ご返事ありがとうございます。家紋、祖母に聞いてみます

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