2016年3月7日月曜日

<117>「歴代鎮西志」と「歴代鎮西要略」における、大塚隠岐の記述を比較する

 しばらく新しい展開がなかった当家大塚氏についての記事だが、時間のあるときに「歴代鎮西志」と「歴代鎮西要略」の記述の違いをチェックしておこう。


 というわけで、以前に前半部分の「大塚氏」の由来のあたりについては終えているので、今回は神代長良の土生島の戦いにおける「大塚隠岐」の記述についてまとめてみる。


 ああ、この記事から読んだ人はなんのこっちゃさっぱりわからんと思うけど、ごめんちゃい。





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歴代鎮西志 

(四月)廿四日黎明 納富但馬守龍造寺美作守、并高木副島等兵 其員六百許。急取駆于土生島砦。

江上種自東方、均来囲。三方重囲而大発鬨声。城中男女周章騒。不意之事也。納富信景特進攻寄城戸口也。長良曰、「我所欺乎。隆信已遭不意之囲。運命之所蹙(迫)也」

 当自殺云々。一族臣従頻諌焉。以令出去土生島長良依之。夜中出奔而入。金立山従者僅三人耳。土生島館者。神代左京亮、中野肥後、大塚隠岐、秀島伊賀、福所大蔵。古河帯刀等。



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歴代鎮西要略 巻第七下

(永祿年表 永祿八年乙丑)


(四月)廿四日黎明 納富但馬守龍造寺美作守、并高木別当等兵 其員六百許。急取駆于土生島砦。

 江上種自東方、均来囲三方。重囲而大発鬨声。城中男女周章騒。不意之事也。納富信景特進攻寄城戸口也。長良曰、「我所欺乎。隆信已遭不意之囲。運命之所蹙(迫)也」

 当自殺云々。一族臣従頻諌焉。以令出去土生島長良。夜中出奔而入。金立山従者僅三人耳。土生島館者。神代左京亮、中野肥後、大塚隠岐、秀島伊賀、福所大蔵。古河帯刀等。


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 両者を比較してみると、詳細な部分で差異はあるものの、基本的には丸ごと書き写しているらしき様子がわかる。句読点の打ち方と送りがなの加え方は、実はもう少し両者でばらけているのだが、白文レベルではほぼ同文だと言ってよいだろう。


 「北肥戦誌」では、もうちょっとだけ大塚隠岐が人間らしく描かれているのだが、歴代鎮西志、要略では名前のみである。



 それもなんとなく理由がわかっていて、このあと、長良家臣が1人ずつ壮絶に死んでゆくのだが、さすがに死に様はリアルに描かれる。この討ち死に場面では1人ずつの名前と様子が丁寧に記述されてゆくのである。


 しかし、大塚隠岐は、死なない。というか、死んだという記述がないのだ。これをもって私は、


「大塚隠岐は死んでいない」


と推理するのだが、いかがだろうか?!





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