前回に引き続き、「神代家伝記」に登場する「大隠岐=大塚隠岐?=大塚新兵衛」関連の謎を、少しずつ解いてゆきます。
■ まず、最初に「杠清右衛門」から調査して杠家に残っていた資料から「大塚新兵衛」という人名を探り当てたところまででした。
杠氏というのは、
https://www.hb.pei.jp/shiro/hizen/yuzurihashi-yakata/
室町時代に淡路からやってきた肥前・山内の地場豪族になった武家で、その後神代氏の重臣となった一族のようです。
■ 次に「江原平右衛門」の素性です。神代家伝記では、江原氏は武蔵から来た氏族で平姓、もともとは肥前千葉氏の家臣で、のち神代勝利に仕えるようになった一族のようです。
ところが、子孫の江口氏には別の系図があり、そちらでは菅原姓となっています。
江原丹後守和重 → 石見守重澄 → 重正(平右衛門) → と続くとのこと
【小城の歴史・第83号・令和3年】
■ 「神代太郎左衛門」は系図によると
神代勝利 → 神代源内利光 → 神代太郎左衛門 → となり、神代一族です。おなじ名跡が、のちに小城藩士としても続くようです。
■ 「中野彦右衛門」の中野氏は肥前の御家人のようで、
”北肥戦誌は後藤三郎氏明の伯父塚崎十郎定明の子五郎頼明を中野五郎頼明と記し,頼明の代頃より中野姓を始めて”(「竹崎季長と霜月騒動」1996佐藤)
元寇の頃から中野氏を名乗っているようです。
■ 「福嶋五郎右衛門」の福島氏はもともと八女郡の氏族で、神代勝利の別腹の兄(周防守利元)の母の父にあたる人物が「福島兵部太夫」であり、その系統と思われます。
■「神代源右衛門」も神代姓なので、神代一族ですが、承応3年の神代常宣家臣起請文に名前があるので、ふつうに神代一族と考えてよいと思います。
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今回はあっさりとここまで。実はちょっと別件が見つかったので、次回そちらをまとめます。
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