2019年7月22日月曜日

江戸時代は「人に身分」があるのではなく、「ハコに身分」があった? いや、今もだけれど。



 もう、随分と苗字調べやルーツ調べを臨床レベルでやっていますが、全体像としての苗字ではなく、個々のおうちの苗字を調べていると、つくづく


「苗字、家、そして人というのはハコなんだなあ」


と感じます。



 分かりやすく言えば、苗字というのはその苗字のラベルがついている「ハコ(箱)」で、そこにメンバーがほうりこまれているというかぶら下がっているものです。


 親子関係すらそうで、現代の私達は実際のDNA上の血縁を重視しますが、昔の人たちはバンバン養子も取るので、


「父という役割をする箱」「子という役割をする箱」


があって、そこに血縁関係のまったくない別々の人間が入っていても「家」は成立するのだ、ということをたくさん目の当たりにしてきました。



 江戸時代に限らず、日本の歴史はこの「箱」を重視してきていて、その中に入る人物は、誰でもよいとは言いませんが、結果的に「誰でもよくなっちゃう」ことは起きていたようです。



 とにかく、この「箱」を重視する!のが日本人の特徴だと思います。



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 歌舞伎役者や落語家もそうだし、「何代目鉄砲鍛冶国友なんちゃら」さんでもそうなのですが、


「つながりのある”人名”というハコに、誰か別々の血の人が入る」


ということもよくあります。



 江戸時代、武士と町人の娘は結婚できませんでしたが、身分が違うので表向きはそうなりました。

 ところが、その百姓の娘を、同僚の侍の養女として籍に入れて、そして武士に嫁がせるなんてことはよくありました。


 ようするに「箱という体裁」が整っていればOKだったのですね。中身はともかく。




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著者は語る 『壱人両名』(尾脇秀和 著)
https://bunshun.jp/articles/-/12680



 いま、江戸時代ネタでけっこう話題になっている書物、「壱人両名」では、同じ人物が武士として振舞ったり、別の場所では百姓になっていて副業のように使い分けていた話が出てきます。


 あるいは侍株を売ったり買ったりする話や、その株のつながりが家の系譜として繋がっている話なども出てきますが、ふだんからそんなことばかり調べている私にとっては



「おお!やっぱりそうか、そうだよね!」



という感じです。


 きっと、一般的に思われているような「武士と百姓」の身分の違い、というのは実態とはずいぶん異なるし、幕末戊辰戦争前後などには


「にわか雇われ武士」


みたいなのもかなり増えました。士分の売り買いなども思っているより多かったのではないでしょうか。



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 実は現代でも似たようなことが起きていて、


「お父さんは正社員というハコに入っているけれど、息子は非正規雇用で社会からしんどい目に合わされている」


なんてことはよくあります。



 江戸時代だけでなく、現代でも「正社員のハコ」「役職のハコ」なんかはやっぱり重要で、「ハコがない」と生きづらいのです。


 おなじ家であっても、お父さんは事務次官で、息子はひきこもりなんてことがあるときに、私達は


「父という個人」「子という個人」


を見ているフリをしながら、実は「役人というハコ」「ひきこもりというハコ」にばかり目が行っているのかもしれません。


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